美容師ブログ 第3章 鶴丸先生に師事し新宿マスターズサロン(日本で初めてのプロの美容師育成機関)に転勤③。

2023年現在、高円寺でオーナー美容師をしています。
東京の窪田理美容専門学校を卒業し、インターン(今はこの制度はありません)から美容師を約30年近くしています。
これから、僕の美容室が気になって来店するお客様のための動機の一つの「どんな美容師さんなんだろう?」という経歴、人柄を来店前に理解してもらうという事と自分の歴史の一つに「プロフェッショナルの美容師育成のスクールの先生時代」があるため、美容師を目指す人の参考になればという思いがあり、書き進めようと思います。


プロミュージシャンはどれほど音楽理論を理解しているのか?

作曲家の答えは

「プロはどれほど音楽理論を理解しているの?」
「プロは全員が音楽理論を理解しているの?」

  • 理解している人もいるし、理解していない人もいる、理解の度合いも人それぞれ
  • 音楽理論を踏まえて作曲する人もいるし、音楽理論をまったく考慮せずに感覚で作曲する人もいる
  • 音楽に対するすべての理論的な知識を隅から隅まで完全に理解している人は多分いない(それぞれの専門分野がある)

音楽理論の基礎とは

音楽理論は音楽のアイデアを伝えるための世界共通言語を作成し、ミュージシャンが効果的にコミュニケーションできるようにします。
これらの概念を学ぶことで、音楽がどのように機能するかをより深く理解し、より優れたリスナーおよびクリエイターになり、他のミュージシャンとの交流を改善することができます。
音楽理論は、トレーニングのレベルに関係なく、音楽をより深く理解したい人にとって役立ちます。
音楽教授である必要はありません。
独学の音楽家の多くは、理論を学ぶことで直感的かつ直観的に演奏する能力が奪われるのではないかと懸念しています。
しかし、音楽理論は創造性を制限するものではなく、逆に、音楽を通じて自分の感情をより正確かつ完全に表現できるツールを提供します。
直感的なアイデアに合わせて、より詳細な楽曲を作成するのに役立ちます。

僕が教わった技術は萩原宗先生がイギリスへ単身渡英して学んだ事を多くの美容師さんが宗先生から学び、日本人の毛質・骨格などを考慮し改善・進化させ、鶴丸先生そして自分に伝えられたものです。
このエッセンスは僕が講師時代何千人という美容師さんに伝えさせてもらいました。

マスターズサロンでの思い出

宮藤官九郎の脚本による「不適切にもほどがある!」が話題になりましたが、僕が20代美容師アシスタントだった時代はこのドラマのようでした。
美容師さんは給料が20万円はスタイリストにならなければ夢の金額でした。
有給休暇、ボーナス、労災などありません。
僕が最初にマスターズサロンに転勤した時に最初に鶴丸さんに言われたことがあります。
僕以外の講師たちは全員元々違う美容室で働いていたスタイリストで、自分でお金を払い長い年月を経て鶴丸さんにスカウトされて講師になった人たちでした。(現場の萩原宗スタッフからは久しぶりの講師だったそうです)
よって、「鈴木(僕)はお金を払わない状況で講師になる。他の講師の手前もある為、鶴丸さんのアシスタントとして授業を手伝いながら見て覚える事」
ノートを取って授業を受けることは許さない、と言われました。
黒板に書く図形や文字、授業の内容と言葉を必死に覚えました。
生徒さんがいる状態で黒板を写せない状況と、授業が終わると次の授業の為に綺麗に黒板を消すので全て頭に叩き込みました。
数カ月を過ぎた時、夕方仕事が終わって鶴丸さんに「この後俺の前で、テクニカル1の基礎の授業をしてみなさい」と言われました。
他の講師も全員揃う中、数カ月家に帰ってノートに書いて覚えたことを緊張しながら講義したと思います。
最後に鶴丸さんから「明日からテクニカル1の授業をしなさい」と言われました。
常に気を抜かないで、全力で誠実に勉強することを教えてくれました。
これだけを聞くと、ちょっと怖そう!?ですが、愛情も深い人でした。
常に身だしなみには気を付けていて、だらしなかったり不潔な服装だと注意をしてくれました。
マスターズサロンはとても歴史のある建物だったのでトイレも古めかしいものでした。
基本的には講師スタッフが掃除をするのですが、ある時鶴丸さんがサロンからいなくなってみんなが探していると、トイレに椅子を持って行って座りながら便器を丁寧に磨いていました。
僕たちに直接注意をする時もありますが、率先して自分から一番やりたくない仕事をする人でした。

カットは目で切る!

左手はコームを持ち、右手は鋏を持ちます。
旧来のイギリスのヴィダルサッスーンを母体にしたカットでは(日本のほとんどの美容室はサッスーンのパネルの積み重なりでヘアスタイルを造形するスタイル)「身体で憶えて鋏で切る」という事で再現性を可能にしてきました。
しかし、マスターズサロンの講義は常に原理原則を基礎として、お客様一人一人に似合わせるオートクチュールスタイルでした。
よって、お客様の身長、首の長さやあごのラインなどの骨格、直線が人間に与える印象の理解によってデザインするカットなので「眼で切る」つまり、どのラインがお客様にとって美しさを引き立たせるかを考えるので、眼で切るなのです。
鶴丸さんは薩摩で生まれてお父さんを結核で亡くされています。
一家は結婚式などのカメラ屋さんだったそうです。
その仕事をお父さんが病気がちだったそうで、小さな時からお手伝いをしてきた。
後から取り直しのきかない仕事だから、一瞬でシャッターを切るようにお客様を正面から、横顔・プロフィルを見て、どのラインが美しく見れるかを決めなさいと言われました。
いつも毅然とした姿勢で仕事をしてきた鶴丸さんはお父様がなくなる直前、外をさみしそうに体を丸めて歩いていると、寝床に付しているお父さんが歩いてきて丸まった背中をパシッと叩かれ「そんなに悲しそうに歩いていてはいけない、毅然と前を見て生きるんだ!」と薩摩弁で言われたそうです。
僕に対しても、歩くときはあごを上げて少し上を見るように毅然と歩きなさいと言われた。
今の時代では自分は自分だから干渉しないでほしいというのが当たり前でしょうが、この時代は当たり前のように躾をしてくれました。(身を美しく、師匠・親から弟子・子供に受け継がれたのでしょう。)

高円寺・阿佐ヶ谷の美容室スタイラス

受講生想い出

受講生の一人の女性(23,4歳くらいだったと思います)に講義の最中にどうしてマスターズサロンに受講しに来たんですか!?と質問しました。
僕は技術は厳しかったですが、諸先輩から教えて頂きました。
その女性は「5年間シャンプーしかしたことがありません」と答えました。
若かった僕は?マークしかありません。
2000年代の美容室ではまだまだコンプライアンスなど存在せず、昔のスタイルで徒弟制度や先輩・会社が社員・スタッフに対して責任を負う事を放棄した機関が存在しました。
僕はその女性のひた向きに練習に励む姿勢に感心していました。
当時の美容師のアシスタントの給与は14,5万円程度です。
その中から貯金をして、(マスターズの講習は1講義8000円で安くはなかった)美容師さんは当時、休みは火曜日の週一回が普通でしたので、火曜日のみかほとんどの人は地方などから半年や1年間くらい美容師を一旦辞めて講習に来ていました。
その為、多くのお金を工面して東京でマンションを借りバイトをして通われていました。
授業はみんな仲良く真剣に講義が終われば同じ美容師どうし、歌舞伎町にお酒を飲みに行ったりカラオケも行きました。
よく生徒さんどうしの恋愛話も聞いていました。
しかし、一体この授業を受ける為に安い美容師さんの給与でどのくらい頑張ってお金を貯めてきたのだろうと講義をする時は一日でもいい美容師になってほしいと願っていました。

マスターズサロンを卒業する時が来る

目の前のたった一人のお客様をヘアスタイルを通してきれいやかわいい、かっこいいを共有し幸せにする。
ここに全てがあるような気がします。
僕が30歳くらいの時、売り上げが伸び悩んでいました。
その時の店舗の女性の店長に言われたことが、突破口を開いてくれました。
「どんなに、フロアーに自分のお客様がいても目の前の一人のお客様を大切に接客しなければ、2人、3人と多くのお客様を満足させられないのでは!?」と助言してくれた。
僕は数をこなすこ(売上を上げる)ことに心を奪われ、大切なことを忘れていました。
当時、僕よりも年下で年上の僕に言いづらいはずなのに、しっかりとしたアドバイスを頂いて生涯の指針に今でもなっています。(篠塚さん、ありがとう。)
基礎的技術とはそのアイデアを助けるものだと思います。
サロンでの仕事は時間という制約があります。
お客様の中にはお子さんを託児所に預けていたり、美容室の後に待ち合わせ・食事の約束の人もいます。
また、前回と同じヘアスタイルを望まれたとき再現できる理論も必要になります。
アーティストであれば一つの作品に多くの時間をかけたり、自分に合わせた自由な時間で作品と向き合えると思います。
お客様の希望にこたえるという美容師の仕事を続けるに、はいずれ自己流では限界が来るような気がします。
しかし、理論にとらわれるとお客様を素敵にするというアイデアが消え去ってしまうのです。
先生という未来を育てる職業は最高の仕事ですが、よりクリエイティブな世界に転換しようと決意しました。
当時の僕はヘアスタイル=カットという比重がとても強かったのです。

2000年代 ヘアスタイル apish

一般の方がヘアカラーに対して関心が集まりだしていて、自分のヘアカラー技術に不安を覚えていました。
2000年代ヘアカラー技術は日本ではまだまだ発展途上でした。
ヘアカラーの微妙な色味やブリーチ技術は各サロンがしのぎを削って発展していました。
また、美容室の世界は職人型個人経営で今でいう働き方改革・労働時間の短縮・社会保障・労災など美容室の分野では遅れがありました。
そこで、ニューヨークで活躍していたカラーリストが日本に戻ってくるという情報を得て、その進んだ技術を教えてくれるという会社で、現代企業型の経営で店舗展開して上場企業にまで大きくしていたTAYA美容室に仕事場所を移すことに決意します。


美容師さんは技術職であると同時に、時代に敏感な感性も求められると思います。
映画、音楽、ファッションにとても関連している職業だと思います。
しかし、忙しさに言い訳をして世の中の流行に対して関心を持たなくなる美容師さんも多くいらっしゃいます。
そんな時、チョキチョキという若い男性のファッション雑誌が注目される中、お洒落キングというプロモーションから美容師さんのあり方を示してくれた美容師さんが内田さんです。

内田聡一郎/「レコ」CEO兼トップディレクター : 神奈川県出身。2018年2月に独立し、3月1日に自身のサロン「レコ」をオープン。サロンワークをはじめ一般誌や業界誌の撮影、セミナー、数々のミュージシャンやアイドルのヘアメイクを手掛けるなど、幅広く活躍。
CHOKi CHOKi おしゃれキング 新しい美容師のあり方を提示してくれました。