美容師ブログ 第2章 インターン時代からスタイリスト合格まで②

僕が美容師になった1990年代は今から思うと大きなターニングポイントだったと思います。
「技術(プロセス)重視」から「お客様(結果)重視」への転換です。
カット技術向上志向だった時代は、技術レベルをお客様からの評価と捉え、美容師は技術向上に価値を置いていました。
とにかく上下関係はありましたが、技術を伴わない美容師は年齢や経験年数関係なく評価されませんでした。
それに対し、2000年代になると技術はあくまで手段であり、お客様からの評価に価値を置くべきだという考え方ができてきます。
現在2023年代までの美容業界の「顧客が望むものを作る」という考え方です。
スマートフォンやヘアカタログのイメージ通りにヘアスタイルを提供できる美容師が評価されています。

僕が入店した豪徳寺店の話をしましょう。

駅から5分もしない好立地
豪徳寺 ヴィラ・ゴートク1F 1994年ほどから美容師1年目をスタートします。
昔の豪徳寺駅は現在とは違い地上を走っていました。
階段状の下で夜遅くまで勉強や試験の為のモデルハントをさせて頂いた。
当時、物凄いオーラをまとった可愛らしい女性に声をかけると、事務所に所属しているので許可を貰えたらOKですと言われ顔を見たら、吉川ひなのさんでびっくりしました。
豪徳寺が地元だと思うのですがよくお見かけした。

90年代前半の日本はバブル経済に沸いていました。
当時は珍しいこのヴィラ・ゴートクはデザイナーズ建築で現代的。
地下には舞台衣装を作るファクトリーがあり、同じビル1Fのcafeは田舎から出てきた僕にはとてもおしゃれで入るのも臆する雰囲気でした。
隣りのイタリアン・レストランシェフは90年代フジテレビで放映されていた料理の鉄人で対決されていた。
スタッフの女の子に何度もカットモデルさんを依頼させて頂いていました。
美容室のお客様は芸能人の方、マクドナルド初代社長藤田さんの奥さまなど品格というものを多く学ばさせて頂きました。
当時の美容師の給与は13万円。
労災や有休、ボーナスなど職人の世界には必要ないという時代。
僕はこの豪徳寺の時代、ほぼ夜12時近くまで毎日練習をして自宅と美容室をバイクで往復していました。
このお店は当時珍しく、美容室とエステを併設していました。
美容師の業界は上下関係が厳格でエステティシャンのスタッフにはいつも励ましていただいていました。
席数はフロアーが2つに分かれていてA面4席、B面2席、シャンプー台3席でスタッフ11人くらいで毎月売り上げが500万円以上で激務の毎日でした。
土曜日、日曜日、祝日はお昼はほぼ食べられません。
チョコレートなどを買っておいて、糖分を補給しなくてはいけません。
この習慣は僕が務め人(お店を出すまで)ほぼ同じでした。
90年代の萩原宗美容室は10店舗位あり、同期が50人くらいいましたが4,5年で半分くらいの人数になっていました。
朝の営業から家に帰るまでの当時の一日。
僕の店舗は新卒の同期が男が2人、女の子が一人の3人。
朝9時くらいに交代でお店のカギを開けます。
前日の洗濯したクロスやタオルを片付けて9時50分くらいから店長の朝礼で10時開店。
アシスタントが待合のお客様を名前でお呼びし、席に通してスタイリストに大きな声で「○○さん、A1(席の名前)で△△様カットでお待ちです!」と伝えます。
席に通したアシスタントが基本的にシャンプーに入りますが、当時はシャンプーに指名制度があり、お客様が希望のシャンプーアシスタントを指名ができた。
僕は20年間務め人時代の美容師でこの指名シャンプー制度は2店舗ありました。
現在(2023年)の日本人人口分布は50%が50歳以上です。
1990年代は若者の人口が多かった時代。
スタイリストとアシスタントの割合が1:1くらいでアシスタントが多かった時代です。
今現在は3:1くらいか、スタイリストしかいないお店などが多くなったいます。
売り上げ重視のお店体形やアシスタントを雇う余裕がないお店、教育の面で教える側、教わる側両方にデメリットが多いので難しい状態が続いていると思います。
改善していかなければいけませんが、技術の世界は一般的なサラリーの世界とは大きく違います。
飲食の世界、芸能、ファッション、カメラマン、スタイリスト、職人の世界は師匠から弟子という一流の世界は普遍的です。
一日9時間の仕事、週休二日制や有休などが普通とされる職業とは一線を引かなければなりません。
一芸に秀でるとは10年は必要だと思います。
外国人の方が多く日本を訪れる理由は治安の良さ、全国どこに行っても美味しい料理、漫画やアニメーションの文化、日本のテクノロジー、今現在東京高円寺で美容をしていますが、日本にライブで来る外国人のミュージシャンは日本でレコードを探し、古着を高円寺で購入する人が多いのです。
話が逸れてしまいましたが、夜20時で営業終了までにシャンプー台から床まできれいに掃除を終わらせ終礼。
コンビニなどで夜食を軽く済ませ、土日は全体練習で平日は課題の個人練習です。
先輩に頼んで残って教わったり、個人でウィッグやモデルさんを呼んでカラーやパーマ、カットの練習をします。
楽しんで、夢に向かって仕事をしていましたが、本当にスタイリストになれるのか不安との葛藤も毎日でした。

MINX 美容室 高橋マサトモ ヘアーショー

下北沢でアヴァンギャルドで一世を風靡していた美容室MINX。

僕の美容人生に大きな影響を頂いた茂木さんを紹介します。
1975年「ヴィダル・サスーン」(イギリス・ロンドン)にてアーティスティックディレクターに就任。
1983年 イギリスから帰国。東京・青山に「boy」をオープン
基本をもとに恐れることなく自分の美しいと思う形を表現できる類まれな存在の美容師さんです。

美容室BOY 茂木 正行