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河村康輔 KOSUKE KAWAMURA

河村康輔 そのコラージュを構築する要素

河村康輔とは何なのかを探るため、まずは本人にロングインタビューを敢行。
そのルーツに迫りたい。
その根源に近づくには、自ずと河村の半生を振り返る内容となっていった。
いかにして河村コラージュが構築されていったのか。
そのアーカイブと共に見つめ直す。

河村康輔 KOSUKE KAWAMURA akira

河村とハードコア・パンクと原宿ファッション

どこから話せばいいんだろう……って感じなんですけど。
いきなりコラージュアートに至った経緯から聞いてもいいですか? いわゆるルーツの話です。

それは完全にハードコア・パンクとの出会いです。
パンクとハードコアカルチャーを好きになったからってのが大きくて、1番最初はGee (Gee Vaucher パンクバンド、CRASSの女性メンバー)かな。
ハードコア・パンクを聴き始めたのは高校1年生のときだったんだけど、その頃はまだ初期パンクばっかり聴いていて、ハードコアにどっぷりって感じでもなかったんですよね。
色んなコンピレーションを買って、好きなバンドを見つけるような作業をしていた時期だったと思います。
当時は、今のようにサブスクやSNSがなかったわけですからレコードショップに通いながらってことですよね?
そうです、地元にアフロレコードっていう多分ブラックミュージック系のレコ屋があって、HIPHOPやレゲエ、スカに紛れて、ワンコーナーだけハードコア・パンクの棚がありました。
近所には、そこぐらいしかなくて通っていました。
それでNo Future や Captain Oi! (どちらもパンク・ハードコア系のレーベル)のコンピレーションとかを買ったりしていました。
そんなある日、スタッフのお兄ちゃんが女の子に、とあるレコードをすっごいゴリ押ししてる現場に遭遇したんです。
「コレ、めちゃくちゃヤバいから」みたいな会話をしてて。
結局、その女の子が買わなかったみたいで、いつも通りパンクの棚を漁っていた僕の前にポンッとレコードが置かれたんです。
真っ黒いジャケットの中央に白いロゴがポンと配置されているシンプルなデザインのレコードだけど、(スタッフが)あんなに力説するぐらいなんだからカッコいいんだろうと思って買って帰りました。
それがCRASSの「Christ-The Album」

ベースにあるのは完全にハードコア・パンク

(1982年発表、4作目のアルバム)でした。
そのレコードの中ジャケがポスターになっていて、そのアートワークがすごく気持ち悪かったんです(笑)。
同時に、めっちゃカッコいいなって。
最初はコラージュとして認識してなくて、なんか写真が切り貼りされてるのかな?
くらいの感じでした。
それを部屋に飾ったりしていたと思います。
後で知ったのですがそれはコラージュではなく超絶技法の絵でした。
すごく偶然かつ自然に CRASS との出会いが(笑)。 コラージュを認識したのは、もう少し後ですか?
はい、同じくらいのタイミ―ングで Dead Kennedys (アメリカのハードコア・パンクバンド)の 1st (アルバムFresh Fruit for RottingVegetables』) は聴いていたんだけど、お金もないから、そんなにアルバムをたくさん買えるわけでもなくて、友達と情報交換をし合っていて。
そしたら 「Lard (DeadKennedys の元ボーカル、 JeIlo Biafra が在籍していたバンド)は聴いた?」って話になって「いや、何それ?」って。
それで、レコードを見せてもらったらジャケットがめっちゃカッコよくて衝撃を受けたんです。
そこで、これがコラージュなんだって感銘を受けた記憶があります。
だから、そこからですね。
それまでもコラージュのアートワークは見ていたけど「なんかカッコいい」ぐらいの認識だったと思います。
純粋にコラージュとしてのカッコよさを感じたのは『LastTemptation Of Reid』 (1990年発表、Lardのデビューアルバム)で、色味も含めてすごいなって。


それから、〝切って貼って〟のコラージュにやたらと反応するようになっていきました。
で、 CRASSもコラージュっぽいぞ?ってことに気づいて他のレコードも買い集めるようになっていって。
そういうジャケットを集めたくて暇さえあれば友達とレコ屋と本屋を巡るようになっていました。
そこで、同時にB級ホラーもすごく好きになって。
おお、そこからB級ホラームービーに行くんですね。
それもハードコアからの流れなんですけどね。
TACOS U.K. (日本のハードコア・パンクバンド)をやっていた植地さん(植地毅。 フリーライター、デザイナー。数多くのバンドのジャケットを手掛けた)もB級ホラーが好きで、雑誌『BURST』 とかで紹介しているのを読んで追いかけるうちに、僕も好きになっていったんです。
B級ホラームービーのジャケットもコラージュが多く、そのアートワークがめっちゃカッコいいと思ってのめり込んでいき、VHSとかを集めるようになっていきました。
そしたら友達の1人が、本屋で「またヤバいものを見つけた」って言って、見せてきたのがムック『映画秘宝』で、表紙のデザインがめちゃくちゃカッコよくて。
それを担当されたのが宇川さん(宇川直宏。 現代美術家、映像作家、グラフィックデザイナー等)で、すごく影響を受けることになるんです。
一方で、河村さんは裏原ストリートカルチャー全盛期世代でもありますよね。
多くのストリートブランドがムーブメントを作っていました。
そこからの影響はありますか?
そうですね。相変わらずハードコアのレコードとB級ホラーを掘るっていうのをいろんな先輩方の影響でやりつつ、たしか中学3年から高校1年の頃に裏原宿のファッションブームがあったんです。
パンクキッズだった自分としては、まずヒカルさん(岩永ヒカル)を好きになって、そこからスケシンさんの存在を知り、その二大巨塔を追いかけることになっていった。
ヒカルさんがBOUNTY HUNTERを始めてオモチャ (ヴィンテージトイやフィギュア)を展開するようになって、それ以前から雑誌で紹介されたりもしていたし、どんどんオモチャにも興味を惹かれていって、シリアルやトイ、 キャラクターものを集めるようになりました。
高校生の頃は、ヒカルさんやスケシンさんのスタンスに憧れていたし、オモチャ屋をやりたいって思ったこともあるし(笑)」