なんでんかんでん 川原ひろし社長 高円寺
1987年7月、環七に突如出店した「なんでんかんでん」は,2012年11月惜しまれながら閉店、6年間の沈黙を破り、2018年9月3日に高円寺にて復活,残した伝説は数しれず。
東京人が食初めて食べた豚骨ラーメン!
数百メートルの長蛇の列に渋滞!
ラーメンブームのさきがけ!
世界初の食べるプリント海苔!
さらにマイケル ジャクソンどんぶり伝説!
1日の売り上げ120万円超え!年商3億!
仰天エピソード満載!ラーメンを日本の文化にした男・川原社長の超濃厚なインタビューを召し上がれ。
まずは、川原社長と高円寺とのつながりから聞かせてください。
高円寺はね、しょっちゅう昔から来てたんですよ。
今、家が野方ですから毎日歩いて帰っているんですよ。
その前からも高円寺にはしょっちゅう飲みに来てたんです。
僕は、山手線の中の街は苦手で。
中央線とか西武線とかが好きでね。
今から考えてみると博多から上京して最初に遊んだのが高円寺だったんですよ。
叔父さんも住んでいたこともあっていま、オープンして2週間で毎日、店の前に立っているんですよ。
ちょっと変わった人が多いよね。
中野ともちょっと違うしね。
売れる前の役者さんとか多いよね。
売れる前のミュージシャンとかも多いです。
普通は売れたらみんな高円寺を出て行くんですけど、「なんでんかんでん」は売れて高円寺に戻ってきてくれたみたいな気がして編集部としては勝手に喜んでいます。「なんでんかんでん」復活おめでとうございます。
オープンされる前の6年間はなにをされていましたか?
暇してたんですよ。
よく寝ました。
時間が決まってないからね。
今まで住宅地でひっそりやっていたけど、高円寺は大都会でしょ。
接客をしっかりやって商売してたんだけど、今度は人の店を忙しくしたいなあって思ってコンサルティングをやりたいって考えてたんですよ。
あとは結婚式の歌と司会もやってました。
ほかにセミナーとか催眠術の学校もやってましたよ。
キーワード「博多」が出てきました。
上京物語を伺いたいです。
いつ博多から上京されたのですか?
ではその状況をお話しします。(笑)
俺が19歳の時。
18歳から福岡で予備校行ってたんですよ。
それでね、19歳でもう一度受験してまたダメでね。
もう一度しようかどうしようかと思って先に上京しようと思って出てきたんです。
クラシックの歌手になりたくて音大に行きたかった。
僕は幼稚園から音楽学校だけどなかなか難しくてね。
高校3年生で音大に行こうと決めたから遅かった。
まずは東京に行きたかったの。
音大は結局ダメだったけど歌をやりたくてね。
シャンソンとかタンゴが好きでね。
ある時、僕が出ている雑誌を見た人から僕に作曲の依頼があったんですよ。
囲碁の歌を作りたいって依頼。
西村先生って方がプロデューサーでいて、本業はシャンソンとタンゴだって言うワケ。
それで西村先生と気が合って。
ちょうど西村先生が手がけていたタンゴ歌手の女性が途中でいなくなって、その歌を僕がイベントとかでタンゴを歌うことになった。
そのあと、銀座の銀巴里(日本で最初のシャンソン喫茶)でデビューして。
そうこうしているうちに漫才のダブルけんじが前座歌手を探しているという情報を聞いて紹介を受けて行ったんです。
そしたら一発OKでね。
ダブルけんじ師匠からせっかくだから弟子にならないかって言われた。
持ってますねェ
芸能界、トント 拍子?
君ね、歌手で前座だけど,いつも一緒にいるからうちの弟子だと紹介したほうがみ
んなから可愛がってもらえるからと言ってもらっていきなり弟子になったんですよ。
ー予備校生からの変身具合がすごい。
さすが東京。
それで前座の歌手が始まったけど、ダブルけんじ師匠は演歌歌手をどうやら探し
ていたようでね。
僕が演歌も歌えると思っていたようなんだけど、前座ではシャンソンかタンゴしか歌わないからびっくりしていたらしいの。
それで演歌を歌うようになるんじゃないし声が違 んだよね。
そしたら師匠がほかのところに行く?と言う。
で、司会もやっていたからおしゃべりの世界に入らないかって話になって。
司会業を中心にやって1曲歌わせてもらうようになってね。
ほんといろんな人の司会やったよ。
マヒナスターズとか五月みどりの時代ですよ。
うちの師匠が春日八郎さんの司会やれってことになって。
ダブルけんじの宮城けんじ師匠は、もともと春日八郎さんの専属司会者だったのね。
東けんじ師匠は玉川良一の付人ね。
春日八郎は、「お富さん」ですよね。
親父がカラオケでいつも歌ってました。
そう、春日八郎さんは当時の大スターだからね。
で、うちの師匠は豚骨ラーメンが好きでね。
豚骨ラー,メン食べたいなあっていつも言ってたの。
よくラーメン屋に行ってたんだけどどこもあっさりしたのばっかりでね。
もっと油でギトギトなのを食べたいって。
そしたら、仕事で車を走らせてたら板橋あたりで「土佐っ子」っていうラーメン屋があったのよ。すごい行列が車から
見えて驚いたのよ。
なんじゃこれはって。
帰りにもう一回ゆっくり見てみたら、行列のみんなが箸持って並んでいるのよ。
箸に色がついててね。
そんな流行っているラーメン屋なんて見たことないからさ。
そのあとに、師匠と行ったらギトギトの油のラーメンだった。
東京の人はあっさりラーメンしか食べないって思ってたからね。
実はその頃にちょっとラーメン屋やってもいいかななんて思っていたりしたのね。
でも僕が小さい頃ってラーメン屋はかっこ悪い商売だったの。
友達のお父さんがラーメン屋でよく小学校の時に友達のお父さんが出前で走っているのが見えて、よくみんなにからかわれていたのよ。
でもその「土佐っこ」を何回か行くようになってその大将がかっこよく見えてきてね。
あまりの繁盛ぶりでどれくらい儲かっているかお金の計算したよね。(笑)
ラーメン屋意識改革ですね。
当時、シャンソンまだ歌ってたの。
僕のファンでよく来てくれる女性がいてね。
こう言われたの。
「シャンソンっていうのは人生もっと苦労して、それから歌ったほうがいいよ。恋愛失敗したり、いろんな挫折を味わってから人生を歌い上げたはうがいいわよ。あなた, 20歳でシャンソン歌っても私は、ちっともジンとこないのよ。」って。
当時うちの叔父さんも歌手だったの。
レコード大賞新人賞を獲った本郷直樹た(「燃える恋人(昭和46年の大ヒット曲/ 作詞:阿久悠作曲:中村泰士)」ってら 言うんだけど。
この叔父さんがバーニングプロダクションのタレント第1号なんです。
叔父の影響も大きくてね、いろいろ世話になったりしてね。
でもこの女性が「シャンソンは30歳とか50歳すぎからがいいのよ」って言われてね。早く芸能界デビューしないといけないって考えていたけど、この女性のおかげで歌手は後回しにしようって思ったんです。
じゃ、なにしようかって考えて、芸能界に行きたいって思うやつは目立ちたがり屋じゃないですか。
やるなら目立つことをやろうと思って。
それで豚骨ラーメン屋は目立つだろうなってやったんですよ。
上京物語が豚骨ラーメンより濃いです。これから豚骨ストーリー開始ですね。
当時、豚骨ラーメン屋がほとんどなくてみんなインチキだったからね。
絶対やったらヒットするって思った。
誰かに先を越されたらいけないから最初にやろうって思ったね。
うちは明太子屋(明太子の「ふくや」)で、うちが「明太子」って名前をつけて売り出した最初だった。
学校の先生に持って行ったら「なに、この明るい太い子は??」って言われて、当時は明太子ってうちのしかなかったから。
そんなんで、一回も会社勤めしてなくて豚骨ラーメン始めたの。
高校の時に、ラーメン研究会を友達とやってたくらいで。
なんとなく作り方は分かってた。
でもなんであんなにスープが白くなるんだろうって言うじゃないですか。
ラーメン屋のおばちゃんに教えてもらったりしてたけど最終的には紹介してもらったラーメン屋台のおじさんにレシピを教えてもらったの。
あとは、自分で研究しなさいって言われて、自分の家で1回やったの。
実際、お店始めてみたら、豚の頭がいいスープが出るんですよ。
肉屋に豚の頭を20個届けてくれって注文を言ったら、ほんとに豚の頭まるまる来たの。
豚の頭のガラが欲しいと僕は思ってたのに。
当時、33年前、肉屋にはそんなのは東京にないって言うのよ。
福岡では頼めばあるのに東京にはなかった。
しょうがないから豚の頭をナイフで削って骨にしてね。
最初は豚の毛がついているんですよ。
豚の毛って硬いのよ。
毎回、ナイフがボロボロになるからナイフ代だけで大変だってことになって。
豚の毛をコンロで焼いて取ってたら焦げの匂いでスープがダメになってどうしようかなって考えていたら、しばらくして肉屋さんが豚の頭を骨にして持ってきてくれたんですよ。
で、いくらですか?と聞いたら、売ったことないから値段がわからないと。
だったら10円にしてよって言ったの。
了解してもらって、その代わりチャーシューとかほかの食材を買うことにした。
そしたら、僕が決めた豚の頭の値段が今の東京の豚の頭の基本の値段になっているのよ。
福岡のほうが全然高い。
ー「なんでんかんでん 伝説の話を聞かせてください。全盛期の頃にスープが薄
なっていた噂がありますよね。
あれはね、「しくじり先生!って番組でね。
あれはちょっと嘘なんですよ。
番組の台本が収録の前日夜中に出来て、打ち合わせに行ったら「スープが4倍に薄くなっていた。」って台本に書いてあるの。
ディレク
ターに「いやいや、そんな4倍なんて言ってないですよ。確かにスープが薄かったこと
はありましたよ。そういう時はお金をもらわないで出していたってスタッフさんに言いましたけど。」
実際、薄いことはあったんですね(笑)。
本当の部分は全部カットされて4倍のところだけ放送されたんですよ。
ただバラエティ番組としては面白かったみたいね。
マイケル·ジャクソンのどんぶり伝説もありますよね。
あれはね。2003年にマイケル·ジャクソンのレコードを出しているソニー·ミュー
ジックから電話が来てね。
マイケル·ジャクソンが新しいアルバム「NUMBER ONESって作品が出るのでマイケルが来日した時に、話題作りをしたいとソニー・ミュージックが「なんでんかんでん」のマイケルどんぶりを200個くらい作りますよと。
プリント海苔にマイケル·ジャクソンとアルバム名を入れて「マイケルラーメン」ってのを作ったんです。
来日した際は、なんでんかんでんで記者会見をしたいと言う話になっていたの。
店中にマイケルのポスターを貼って、音楽も有線でマイケル一色にして流してね。
3ヶ月間くらいウキウキしてたんですよ。
もうすぐマイケル来日するぞと。
そしたら幼児虐待で逮捕されちゃって来日できなくなったの。
また機会を見つけてやりますからって話があったんだけど、2009年に帰らぬ人に
なって…
どんぶりが残っていたらよかったけど、どんぶりを売ってくれとか、ラーメン食べてどんぶりを持って帰る人もいたのよ。
ラーメンの地位が上がって、海外進出や外国人のお客さんもたくさん食べるようになっている状況をどうご覧なっていますか?
うちの店も外国のお客さんも思った以上に来ますね。
英語のメニューもそうですけど、急遽タイ語とかのメニューも作ろうと思ってますよ。
川原社長、イチ押しメニューをお願いします。
僕はね、基本的にラーメンってシンプルなものが好きなんですよ。
本当は、僕のイメージはもっとラーメンは安くて5、600円で出したいんだよね。
でもそうは言っても実際大変は大変。
普通のラーメンがいいと思う。
せめてたまごラーメンとかね。
最後に、高円寺住民の皆さんにメッセージお願いします。
とにかく気楽に声をかけてください。
なるべく夜は店にいるようにしていますから。
軌道に乗ってきたら夜中も営業したいなって思ってますよ。