太陽が似合う日焼け姿が 女の子たちの憧れだった

日焼け美人の歴史は1966年夏、資生堂「太陽に愛されよう」キャンペーン、前田美波里の鮮烈な広告ヴイジュアルに始まる。
続いて70年代にピンク·レディー「渚のシンドバッド」や榊原郁恵「夏のお嬢さん」がヒットすると、日本の海辺にもビキニの女の子がチラホラ登場。
やがて1980年にHISの前身会社が設立されると、聖子ちゃんの「青い珊瑚礁」をBGMに日本人の心は風を切って一気にブルーラグーンへ。
高度経済成長による円高も後押しして誰もがふらりとハワイやグアムへ出かける
時代に突入。
そんななか1982年に日焼け美人の真打ち登場!! ハワイ育ちの元祖バイリンギャル早見優がシングル「夏色のナンシー」を発売すると、女の子たちの憧れの的に。


この曲はコカ·コーラのキャペーンソングに起用され、実際にハワイで撮影されたCMは爽やかな南太平洋の風を日本のお茶の間に届けた。
当時のアイドルは水着グラビアもやっていたから、「小麦色のマーメイド」という曲が流行ったくらい自然なこととして夏に日焼けする人も多かったのだ。
85年には本田美奈子がデビュー。


のちに「1986年のマリリン」で大ブレイクする彼女も、野生児のように日焼けした元気な女の子だった。
続く88年には3代目スケバン刑事として人気の浅香唯が、カネボウ夏のキャンペーン·キャラクターに選ばれCMソング「C-GIRL」が大ヒット。
こんがりした肌のジャケットで自身最大のヒットを記録する。

https://www.youtube.com/watch?v=_5yCBF6JzfQ


その後、ホイチョイプロダクション制作の映画『波の数だけ抱きしめて』で中山美穂がキュートな海辺のDJ役に扮して日焼け界·有終の美を飾ると、美白のビッグウェーブが押し寄せ、日焼け礼賛時代は泡となり砕け散っていくのである。

https://www.youtube.com/watch?v=KxTvE0ubAkQ


でもね、細かいことなんて気にせず思いっきり今を楽しんじやってるあの感じこそ80年代の青春。
美白の令和にも、その心意気だけは忘れずにいたいものです。

上智大学に入学し学業も両立させた早見優ちゃん。
一切CGレタッチなしでこの美ボディはすごい!!
「C-Girl」は1988年4月発売。カネボウのキャンペーンも同ヴィジュアルで。
デビュー曲「夏少女」のジャケットの頃は真っ白。
どちらもかわいいからぜひ検索を。
NOBODYの曲では「セシル」もいい。切ない恋の詞は何歳になっても泣けます。

今じゃマッポの手先!『スケバン刑事』をアイドルが演じる落差萌え


主題歌の「白い炎」も大ヒットした斉藤由貴。
ヨーヨー投げを失敗するとフィルム代がもったいなくてスタッフに
申し訳なかったとか。
鉄仮面を被ったままの『スケバン刑事Ⅱ』
初回は伝説化。
毎回スタッフが考え抜いた演出に南野陽子は今も感謝しているそう。
南野陽子は映画版にも主演。
三代目の浅香推率いる風間三姉妹との共演にファンは歓喜した。

人呼んで“スケバンデカ”。
スケバンとは80年代ヤンキー文化を象徴するキーワードのひとつで、学園を陰で仕切る女番長=スケバンチョウのこと。
しかも警視庁の特命で悪を取り締まる刑事ときたもんだから、そのハイブリッドぶりに興奮する人続出。
学園が毎週悪の組織に狙われると、鉛のヨーヨーを武器に闘うのもアガりました。
こんなかわいいアイドルが学校にいるだけでも大騒ぎなのに、正義の味方ってことで誰もがテレビにかぶりつき。
ドラマは1985年春にスタートし、初代スケバン刑事は斉藤由貴、二代目は南野陽子、三代目は浅香唯が襲名。
でもね、ヨーヨーといえども侮るべからず。
悪党を倒すのはもちろん、映画版では敵のヘリコプターも墜落させていたのだ。相楽晴子や吉沢秋絵などが演じた仲間たちも、ビー玉や琴の爪、金属の折り鶴、リリアン棒など、いかにも女の子が好きそうな道具を使って敵を懲らしめるのが痛快。
転んだり木に飛び乗ったりの激しい殺陣も、アイドル本人が結構やっていたため生傷が絶えなかったとか。
実は当時のアイドル雑誌『平凡』によるこの斉藤由責の取材写真も、腕に擦り傷が。
真剣に演じていた何よりの証拠なのです。
悪と対時するときの決め台詞にも萌えた! 斉藤由貴は「スケバンまで張ったこの麻宮サキが、何の因果かマッポの手先、だが魂まで薄汚れちゃいないんだ。テメェら許さねえ」。
南野陽子は土佐出身の役だから「おまんら、許さんぜよ!!」。
浅香唯は地元の宮崎弁で「許さんかいね!!」。
この方言も良かった。
その瞬間、水戸黄門のようにヨーヨーを敵にかざすと、赤い蓋がパカッと開いて中から警視庁の桜の代紋がお目見え。ョーヨーのレプリカは、もちろんバカ売れしました。
みんなナチュラルメイクでかわいかったし、戦隊モノと学園モノの真ん中にトップアイドルがいるのを考えたら、毎週観たくなったのも当然。
ぜひ坂道シリーズでリメイクを。でなきゃ許さんぜよ!

歌と意外性の天才中森明菜 外巻きとポニーテールで国民をキリキリ舞い!

1982年5月発売、デビュー曲の「スローモーション」もロングへアのしっとり系で登場。
「1/2の神話」の大沢誉志幸、「禁区」の細野晴臣など作家陣も意外性たっぷり。
あるときは大胆なドレス、あるときは大勢のスタッフとともにすっぴんアラレちゃんメガネ&オーバーオールで歌ったりと、毎週の生放送歌番組に視聴者熱狂。

中森明菜 あられちゃん

中森明菜がデビューした1982年は松田聖子フィーバーの真っ只中。
同期アイドルが全員聖子ちゃんカットというなか、2ndシングル「少女A」で歌番組『ザ·ベストテン』に初ランクインした明菜姫は、なんとポニーテールで登場。

中森明菜 ポニーテール akina nakamori


ぶっくらした健康的なほっぺに後れ毛、ガンガンに飛ばしてくるクールな視線に誰もが釘づけになったのは80s レジェンドのひとつ。本人は無意識だったかもしれないが、歌謡曲の真髄は時代へのアンチテーゼにある。
その後、唯一無二の個性を本能的にセルフプロデュースしていった明菜ワールドの原点が、あの瞬間にあったのだ。
本人日く「少女A」の歌詞は刺激的すぎて違和感を感じていたそうだけど、カメラの前に立てば大胆に歌の世界へ悪依。そのアンビバレンスがまたたまらなかった。
さらに3rd シングル「セカンド·ラブ」ではバラードをロングの外巻きで歌い、女性らしさを前面に。

中森明菜 ロングへあ


吐息を織り交ぜたこれまた独自の明菜唱法でチャート1位を爆走。
この変貌にもみんな驚いたもんだ。
その後もツッパリ&しっとり、2つの曲調で緩急をつけて、ポニテとロングで国民をキリキリ舞い。
そこに大人にやらされてる感は一切なく、本人の強い意志を感じたティーンはズッポリ明菜沼へ。
やがて井上陽水自ら売り込んだという「飾りじゃないのよ涙は」で一気にアーティストへの階段を駆け上ると、サンバ調の「ミ·アモーレ」、おかっぱウィッグとロングビブラートの「DESIRE -情熱-」で2年連続レコード大賞を獲得。
誰があそこまでの進化を予見したか。
明菜姫は子どもの頃から習っていたパレエのおかげで体も柔らかく、振りつけも独創的。
歌の上手さはもちろん、視聴者を釘づけにする意外性の申し子、天才だったのです。
明日から私たちもボニテとロングの明菜オマージュ、やってみる!?

80年代好きと行く!憧れの聖地マルベル堂

今年で創業100周年を迎えた「マルベル堂」は、大正から令和にかけて数々のスターの輝きを届けてきた日本で唯一のプロマイド専門店。
店内にはおよそ8万5000種類の写真が並び、中森明禁や沢田研二、光GENJIとい
った錚々たるラインナップに目を奪われる。
「アイドルと見つめ合いたいファンのために、カメラ目線が基本。
みんな爪先まで見たがるので、顔に手を添えて撮るんです」と6代目カメラマンの武田仁さん。
現代のアーティストやお笑い芸人の写真もあり、スマホケースに挟める小さめのサイズ展問も。
2014年からは「マルベル80’s」と題した撮影コースがスタートし、誰でも80年代風の自分のプロマイドを撮ってもらうことが可能に!

忘れられない!ブレイク年別10人

星の数ほどのアイドルがデビューし、1人1人個性が際立っていた1980年代。
真面目に話すと資金が潤沢にある時代だったからこそ、大人たちが全力で1人の
女の子に賭けることができたのだ。
それだけに記憶に刻み込まれた思い出深い顔も多いはず。
ドーナツ盤と呼ばれたシングルのレコードジャケットを、当時のレコード店のディスプレイのように並べてリプライズ。
プレイクした年別にかわいいジャケットをズラリ!

80 年→河合奈保子

明るい歌声とナハハと笑う姿がアイドルのお手本のようだった河合奈
保子。
絶対音感を持ち、その実力は物の歌手と共演する際もハモリバートを難なくこなすほど、アーティストの尾崎亜美や竹内まりやも絶賛する青楽的才能の持ち主。
童顔でグラマラスポディだから水着グラピアも多かったけど、笑顔をたやさず「スマイル ・フォー・ミー」「ヤング・ボーイ」など多くのヒット曲で80年代を牽引。

81 年→中島はるみ

キリンレモンのCMで素やかなインパクトを残した身長177cmのおしゃれガール。
バリコレに出演できそうな通用感で注日の的に、雑誌モデルで活躍したのち歌手デビュー。
男性アイドル全盛の81年に華を添えた1人。
「シャンプー」というタイトルは、当時人気だったキャラクターのモンチッチみたいな髪型にびったり。
桜中学シリーズ『2年B組仙八先生』にも出演。
現在もモデルとして活躍している。

82年→堀ちえみ

デビュー曲「潮風の少女」は、素朴な彼女の魅力を象徴するシングル。
主演ドラマ『スチュワーデス物語』で大プレイクし、「ドジでノロマな
亀」が84年の流行語大賞に。
今でも話題になるひたむきな演技だけど、観ているうちにダイグイ、ドラマに引き込まれちゃうからそのボテンシャルは本物。
「リ ・ボ・ン」や「Deadend Street GIRL」など良曲に恵まれ、今もファンから愛されている。

83年→森尾由美

不作と言われた83年を逆手にとり、最近もアイドルイベントを主催した森尾由美。
バラエティ、ドラマと活躍の場を広げ、松居直美、磯野貴理子と出演するトークバラエテイ『おそく起きた朝は…』は『はやく~』に改名され27年続く長寿番組に。
80年代アイドルの息が長いのは同世代の人口の多さもあるけど、個性がしっかりしていて、とにかく明るいから。
ハーフアップの髪型も人気を後押しした。

84年→菊池桃子

囁くようなかわいい喋り方を、毎日誰かが教室でマネせずにはいられ
なかった80年代を代表するアイドル。
最近、当時の楽曲配信が解禁され海外からも注目が。
特にバンド、ラ·ムー時代のサウンドは、林哲司作曲の松原みき「真夜中のドア」や竹内まりや「September」と並んでワールドヴァイナル·チャートの上位に。
桃色のほっぺのふっくらした顔は実にフォトジェニックだった。

85年→中山美穂

ドラマ『毎度おさわがせします』で大ブレイク。
デビュー当時はどこかボーイッシュだったのにグングン女っぽくなって、80年代後期のアイドル四天王に。
松本隆·筒美京平コンビの名曲を経てブラックミユージックに傾倒。
その後WANDSと組んだ「世界中の誰よりきっと」がタブルミリオンを記録した。
ドラマ『ママはアイドル!』に中山美穂役で主演。
そのときの愛称·ミポリンで今も呼ばれている。

86年→水谷麻里

サンミュージック主催のオーディションでデビュー。
審査員だった松本隆が作詞した「21世紀まで愛して」「地上に降りた天使」「乙女日和」は、アイドルの真髄がこれでもかと詰め込まれた名作なので、ぜひ配信で聴いてみて。
今なら坂道シリーズでセンターを張れそうなルックスと、短い活動期間の後に、ファンだった漫画家の江口寿史氏と結婚した生き方も、他のアイドルとは一線を画す純度100%。

87年→荻野目洋子

86年前半に「ダンシング·ヒーロー」で一躍トップアイドルに。
翌年洋楽カバーも盛り込んだアルバム『NON-STOPPER』が大ヒットし
87年売り上げ1位を記録。
「続·六本木純情派」が収録された同年発売のアルバム『246コネクション』も80年代ならではの青春が詰まった詞曲と荻野目ちゃんのヴォーカルが炸裂。
作詞家·売野雅勇&作曲家·筒美京平コンビの最高傑作との呼び声も。

88年→工藤静香

おニャン子クラブ時代からふわりとした声で人気だったけれど、ソロではナイーブさと骨太のロック調でメリハリをつける静香節が本領発揮。
カネボウ88年秋のイメージソング「MUGO ·ん色っぽい」は中島みゆきの作詞でファン層を拡大。
一方で「抱いてくれたらいいのに」のようなバラードで実力も見せつけ、そのヘアメイクやファッションは80年代末の流行を一歩も二歩もリードした。

89年→Wink

緊張して笑顔が作れなかった2人が、笑わないアイドルとして大ブレイク。
微妙に2人で違う振りつけも新鮮で、どちらを真似するか教室では取り合いに。
ユーロビートに乗せたウィスパーヴォイスもファンの心をつかみ、89年のレコード大賞を獲得。
今でもカラオケで歌うと盛り上がるみんなの青春です。
鈴木早智子と相田翔子、2人のはかないキャラが最後の純正アイドルと呼ばれるゆえんかも。

さあ、プロマイド撮影

小道具は新和の香りが漂う、赤い公衆電話やラジカセ,メロンソーダなど、時々で合うものをカメラマンがチョイスしてくれる。
中には、
吉永小百合や郷ひろみも腰かけたという“伝談のイス”も!

スタジオに一緒に訪れたのは、80年代カルチャー愛好家・浅野ナナちゃん。
私服の“Wink風” ワンピースと当時流行したというピンクのリップカラーで、
気分はすっかりアイドル!
始まりは緊張していたけれど、喪め上手な武田さんのおかげで、知らず知らずポージングもノリノリに。
撮影後、写真はその場でプリントされ、あっという間にプロマイドが完成。
特製の透明袋に入れてくれる上、データの後送サービスもあるのがうれしい。