スケッチ Life of sketch

益子秋の陶器市 2016.11.04

2016年11月益子の陶器市に行ってきました。
料理が好きなので、盛る器も大切にしています。
陶器市で思うことは、ものつくりは作家さんの人柄が作品に反映されている点。
優しい雰囲気の作家さんはやはり、優しい陶器が。
実直まじめな作家さんは誠実な陶器が造られているような気がします。
益子は古い街並みと新しい若者が素敵にブレンドされています。

Dumb Ways to Die おバカな死に方

コミュニケーションしていくには、何よりもストーリーが必要です。
ストーリーとは、相手の感情を動かすエピソードや仕組みを指します。
Metro Trainsの事故防止啓発キャンペーン「Dumb Ways to Die(おバカな死に方)」のストーリーには、人の心を動かすストーリーがありました。
Metro Trainsはオーストラリアのメルボルンにある鉄道会社。
踏み切りを無視してわたったり、勝手に線路に降りたりするのが危ないことはわかっている筈なのに、そんなバカげたことで事故死する人間が絶えず、増加傾向にさえありました。
そこで、少しでも電車関係の事故を減らすべく実施されたのがこのキャンペーンです。
中心になるのは、ユーチューブやフェイスブックなどにアップされた3分あまりの動画。
軽快で耳に残る音楽にのって、ジェリービーンズ風のかわいらしいキャラクターが次々と現れます。
しかし、彼らはすべて、非常におバカな死に方をしてしまうのです。
「髪の毛に火をつける」「クマを棒でつつく」「賞味期限切れの薬を飲む」「トーストをフォークで取り出す」などです。

安曇野 ゲストハウス・ノーサイド

安曇野で1日お世話になりましたノーサイドさん。
声優さんのような美声のダンディーなご主人の付かず離れずの素敵な接客。
素晴らしい温泉と何よりの絶品の食事。
本当においしかったです。

荻原守衛 おぎわら・もりえ 碌山(ろくざん)美術館

東穂高禁酒会
相馬愛蔵は東京新宿中村屋の創業者で荻原碌山、中村彝、中原悌二郎、戸張狐雁らの芸術家たちと親交を深めていた。
荻原守衛は1901年ニューヨークへ渡り、その後パリへ美術学校で学びます。

安曇野 2016・05・03

長野県は安曇野に行きました。
四季の美しさと人間の生活のバランスが素晴らしい。
安曇野は、北アルプスの山々から湧き出た清流によってできた複合扇状地です。
稲作やりんごを栽培、安曇野わさび田湧水群があります。
多くの美術館や資料館・記念館・美術館巡りを楽しむことができるほか、喫茶店や蕎麦屋、レストラン、宿なども多くあります。
アルプスの山々はとても美しい。

日本登山の歴史

近代以降、約130年にわたる日本の登山史をひもといた時、大きく4度の登山ブームがあると言われます。
その第1期が大正期から昭和初期にかけての「大正登山ブーム」です。
その基盤を築いたのは「日本山岳会」の設立でした。
1905年のことですから、今年で110年。
日露戦争の終結、自由で進取の気性に富んだ大正と言う時代の空気に後押しされて、このブームが作られたのでしょう。
山岳雑誌、「山と渓谷」昭和5年創刊
第2次登山ブーム
昭和31年日本山岳会のメンバーが世界初のマナスル登頂を成功させました。
マナスル(Manaslu)は、ネパールの山。
ヒマラヤ山脈に属し、標高8,163 mは世界8位。
山名はサンスクリット語で「精霊の山」を意味するManasaから付けられています。
初登頂は1956年5月9日に、今西壽雄・ギャルツェン・ノルブら日本隊によって達成。
社会全体が戦後の復興に向かっていた時期だったこと、朝鮮特需の影響も大きかったと思います。
この年の11月に朝日新聞で連載が始まった井上靖さんの小説「氷壁」も火付け役になりました。
第3次登山ブーム
「日本百名山」は、深田久弥さんの著書でこれをもとにしたNHKの番組が、中高年の登山ブームのきっかけとなりました。
その背景として考えられるのは、高度経済成長を支えてきた世代の退職です。
それまで仕事一筋だった人ですから、定年後、何をしたらいいか分らない。
その時に、映像で出てきた「日本百名山」でした。
山への交通網の発達、登山用具が進歩して軽くコンパクトになったこと、山小屋が近代化してきれいになったことも見逃せません。
第4次登山ブーム
この後が「山ガールブーム」です。

高円寺の風景

高円寺の街はどことなくノスタルジック。
新宿に近いのに、なぜか全体が昭和の匂いが残る町。
最初の高円寺のイメージは、古着、ロック、サブカルチャー、演劇、アニメ、酒、酒、酒。
また、高円寺はチェーン店が駅前以外には入り込まない風習がある。
スターバックス、ドトール、ツタヤ、大きな資本が参入しない。
去年、ようやくデニーズが参入。
今年はサイゼリア。
ファミリーレストランがなかったのだ。
高円寺はスターバックス片手におしゃれに歩くより、ワンカップだろ!!
みたいな部分がある。
お店近くにある味のある「コクテイル」
最近少し内装を変えたみたい。
そこで、御役目御免の本棚が「素人の乱」で4,000円で売りに出ていた。
とても味のある本棚で僕の大好きなテイスト。
欲しかったなぁ。

イマジン自給道場

このプロジェクトは、自給自足がしたくてたまらない有志が集まって運営をしています。
多くの人達が自給的暮らしを求め始めている今この場も多くの人に役に立って頂けたならなと思いこのサイトを開設しました。
自分達の食べているものがどの様な過程を経て自分の身体に入っていくのか?
それをちょっとづつ知っていく事がこれからのよりよい豊かな生活につながっていくと思います。
イマジン自給道場は田んぼや畑で自給をする事を学びます。
お米、大豆、塩の自給し、この三つを使ってお味噌を仕込み。
ひとりひとりが生産者です。
農作業に興味のある人はより深め、まだ興味のない人には、きっかけを作れるように活動します。
発起人であり代表の柿田祥誉さん
駐車場やトイレを貸していただいたり、農業について教えて頂いています!
火曜日リーダー 自然派創作料理と手打ちほうとう【元祖へっころ谷】古屋賢悟さん
チームをまとめて頂き、ぐいぐい引っ張って頂く、けんご兄さんです!
僕も農業・食について学んでいきたいと思っています。
来週も参加予定です!

女として生きる

『女として生きる』
監督・撮影・編集:江畠香希/日本/2011/日本語/カラー/MiniDV/100分
トランスジェンダーの当事者でもある作者が、マスメディアによって、異端、風変わり、色物などとステレオタイプ化されたセクシャルマイノリティのイメージの解体を試みる。
イベント「女装ニューハーフプロパガンダ」のスタッフや参加者へのインタビューを重ね、彼/彼女らの生活も追いながら、多様な性のあり方を問いかける。
2013年10月6日(日)
14 :30会場
15 :00上映
『女として生きる』(100分)
17 :00上映
『カレが捕まっちゃった 9.11原発やめろデモ !!!!! ことの次第』(66分)
18 :15トーク
※両作品とも英語字幕付き
当日¥1000(二作品鑑賞できますが、一作品の場合でも¥1000になります。)
素人の乱12号店 エンジョイ☆北中ホール(仮)
東京都杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋

映像作家 江畠香希 サイト
自分の友人にヘアメイクのお仕事を生業にする人がいます。
彼はバイセクシャル。
アメリカは、オバマ政権がブッシュ政権とあまり変わらない外交政策や経済政策を継続する半面、今年の第2期就任演説では人種や性別のみならず性的指向による差別をも撤廃するって言って社会面でリベラル色を強調してるし、州レヴェルでも住民投票で同性婚を合法化したところが増えてる。
カトリック国のフランスでもフランソワ・オランド大統領が反対運動を押し切って同性婚を合法化した。
かつては大統領候補にも挙げられたパリ市長のベルトラン・ドラノエも、ベルリン市長のクラウス・ヴォーヴェライトと同様、ゲイであることを公言してる。
僕の人生観というか、考える根本には人間の存在があります。
人と自然。
人とモノ。
人と人。
未だに世界中には争いは絶えない。
肌の色、国籍、性別。
人間が父親と母親からこの世に生を受け、その子が自分らしく生きていける。
そんな当たり前のような権利を勝ち取るために、先人たちは悔し涙に暮れる日も、夜空を見上げ満点の輝く星に希望を変えてきたのでしょう。
日本の歴史はこの海に囲まれた島国から始まります。
新鮮な海の幸に、食文化は開く。
四季がもたらす土からの贈り物。
そこで、農耕文化が自然と始まること。
決められた季節に種をまき、肥料を与え、収穫をもたらす。
日本人には決められた「村」単位のルールに従うことが生きることにつながる。
人の眼を気にする。
場の空気を読む。
協調性を重んじる。
このような、勤勉さをもたらす気質が生まれるのは当然な気がします。
西洋の狩猟民族のような、個人主義的な気質は生まれにくい環境。
ルールに従わないこと、それは死を意味したのだと思います。
個人の尊重と社会的モラルのバランスは難しい。
人は楽しむために生まれてきています。
一人の喜びも大切ですが、多くの人との繋がりはまた違った喜びをあたえてくれます。
そこに社会が生まれ、規律が生じます。
かつての日本では、士農工商・部落問題・隠れキリシタン・ハンセン病・在日朝鮮人。
多くの差別・偏見がありました。
より、グローバルに、合理的に物事を計ることは難しい。
違うことを畏れない。
自分と他人が違うことをより大きく・楽しく・価値あるものにしたい。
新しいものは協調よりも、爆発から生まれることの方が多い。
男とか女とか、
美しいとか醜いとか、
黒いとか白いとか、
大きいとか小さいとか、
偏見を恐れず、自分らしく生きられる。
真理は多くの自由をもたらしますが、少なからずの不自由も伴う。
そこで、失った悲しみを恐れず、より多くの幸せを楽しもう!

ichiro suzuki イチロー

ニューヨーク・ヤンキースのイチロー外野手が、本拠地ヤンキー・スタジアムで行われたトロント・ブルージェイズ戦で日米通算4000本安打を達成。
─1本のヒットの大切さ。現在、1本のヒットを打つということ。
プロの世界でやっている、どの世界でも同じだと思うんですけど、記憶に残っているのは、上手くいったことではなくて、上手くいかなかったことなんですよね。
その記憶が強く残るから、ストレスを抱えるわけですよね。
これは、アマチュアで楽しく野球をやっていれば、いいことばっか残る。
でも、楽しいだけだと思うんですよね。
コレはどの世界も同じこと。
皆さんも同じだと思うんですよね。
そのストレスを抱えた中で、瞬間的に喜びが訪れる、そしてはかなく消えていく、見たいな。
それが、プロの世界の醍醐味でもあると思うんですけど、もっと楽しい記憶が残ったらいいのになあというふうに常に思っていますけど、きっとないんだろうなあと思います。
─これから見据えていくもの。
これからも失敗をいっぱい重ねていって、たまに上手く行ってという繰り返しだと思うんですよね。
何かを、バッティングとは何か、野球とは何か、ということをほんの少しでも知ることが出来る瞬間というのは、きっと上手く行かなかった時間とどう自分が対峙するかによるものだと思うので、なかなか上手く行かないことと向き合うことはしんどいですけど、これからもそれを続けていくことだと思います。
─昨日の三盗、今日のファウルのスライディングキャッチ。走ること、守ることがきっちりできている状態をキープしたまま稀な数字に到達したことについていかがですか?
そもそも僕は学生時代にプロ野球選手というのは打つこと、守ること、走ること、考えること、全部できる人がプロ野球選手になるもんだと思っていたので、今もそう思ってるんですけど、実はそういう世界ではなかったというだけのことでね。
それが際立って見えることがちょっとおかしいというふうに思いますね。
さっきの話とちょっとかぶりますけど、僕にとって普通のことですね。
そうでないといけないことですね。
─普通のことを長くキープする選手が少なくなっていく中で今日という日を迎えたことは?
だからそういう年齢に対する偏った見方というのが生まれてきたんでしょうね。
そういう歴史が、気の毒と言えば気の毒ですよね。
そういう偏った見方をしてしまう頭をもっている人に対してお気の毒だなあと思うことはあります。
─諦めるという瞬間はあるのか?
きわどいとこきますね。
これは駄目だな、言わないほうが良いと思いますね。
ちょっとややこしい言い方になりますけど、ま、諦められないんですよ。
色んな事は。
諦められないという自分がいる事を、諦めるという事ですかね。
諦められない自分がずっとそこにい事はしょうがないと言うふうに諦める。
なんか、野球に関して妥協はできないので、まあもうちょっと、なんだろうな、ま、休みの日は休め、こっちの人みんな休むじゃないですか、そういう事ができないんですね僕は。
そういう自分がいる事は仕方のない事なので、そうやって諦めます。
─他の選手はどこかで満足している。イチローさんはない?
いえいえいえ、僕満足いっぱいしてますからね、今日だってもの凄い満足してるし、いやそれを重ねないと僕は駄目だと思うんですよね。
満足したらそれで終わりだと言いますが、とても弱い人の発想ですよね。
僕は満足を重ねないと次が生まれないと思っているので、もの凄いちっちゃい事でも満足するし、達成感も時には感じるし、でもそれを感じる事によって、次が生まれてくるんですよね。
あの意図的に、こんな事で満足しちゃいけない、まだまだだと言い聞かせている人は、しんどいですよ。
じゃ、何を目標にしたらいいのですか、嬉しかったら喜べばいいんですよ。と言うのが僕の考え方ですけどね

奥田染工場 奥田博伸さん

イイダ傘店 

最近、巷で耳にする“小商い”というキーワード。
それは、街のあちこちで芽生えている、経済成長から縮小均衡へと移行する時代に見合った経済活動を模索する動きです。
今回紹介するイイダ傘店は、使い捨てではなく長く使える傘をオーダーメイドで制作している、全国でも珍しい傘屋さん。
布づくりと傘づくり
―― 展示会で受注して傘をつくるというスタイルは珍しいですね。
飯田 実は最初から傘づくりを目指していたわけではないんです。大学では染織科でテキスタイルを学んでいて、プロダクト用の布というよりも自由に染めたり織ったりして、これ何に使うの?というような実用性のない布を作っていました。
―― 具体的に傘づくりを誰かに教わったのでしょうか?
飯田 師匠というか、80歳を超えても1人で傘を作っている方がいらっしゃるんです。ただその方は人に教える気は全然なくて訪ねてくる人をみんな断っていて、僕も最初は軽くあしらわれていました。それでも自分で作った傘を持っていって見せると、やはりプロなので欠点があると気になって「これは駄目だ。こうだ」って言ってくるんです。会ってくれるのは短い時間なので、それを必死でメモして家に帰って、改良してまた持っていく。それを繰り返して通いながら傘の作り方を身につけていきました。だから教わったというよりもちょっと独学に近い感じもあります。

江の島 夏の前の海

何年かぶりに江の島に来ました。
この時期は梅雨時で、周りは海の家を建設の方たちで、大賑わい。
夏が待ち遠しい!
サーフィン、ウィンド・サーフィンなど賑わいです。
最近は海で体を焼くことが昔ほど少ない気がします。
美白!?
海の家はどのような使い方をするのですか?と聞かれたことがありました。
僕は北海道で育ちましたが、車社会です。
貴重品、泳いだ後はある程度乾いたら、車でOKでした。
湘南は電車で来る方も多いのです。
地元の方は自転車、徒歩、車もいます。
海の家でのかき氷や冷えたビール、焼きそばや焼きイカなど最高でしょう!
アローハーですね。
この日はよく晴れてくれました。
僕もこのようないくつになっても、楽しみを忘れない人になりたいです。
湘南の親父はかっこいい!

code kurkku(コードクルック)

東京は代々木
こだわりの空間で楽しむ、日本人の心に響く『和』を取り入れた新感覚イタリアン
kurkku(クルック)とは、フィンランド語で「きゅうり」のことらしいです。
これからの時代のオーガニックなライフスタイルを東京から発信!
代々木VILLAGE by kurkku(代々木ビレッジ バイ クルック)」が誕生。
総合プロデュースは、小林武史。
634坪の敷地内には植物が生い茂ります。
西畠清順 1980年生まれ。
兵庫県川西市の花と緑の生産卸売り会社「花宇(はなう)」の5代目。
依頼主の求めに応じて国内はもとより世界各地を飛び回り、植物を収集・発見する「プラントハンター」。

日仏学院 ブラッスリー ドゥ ランスティテュ 坂倉準三

東京日仏学院の設計を担ったのは、ル・コルビュジェ門下の建築家、坂倉準三氏でした。
この建物の見せ場の一つ、階段室。
このような、素敵な階段室は(個人住宅は別として)東京でもあまりないでしょう。

スタイラス ネームボード


ずっと、表に出すネームボードが気になっていました。
作り変えたこと3回目。
ようやく、お店になじんだものが、できた気がします。

モレスキン Moleskine

モレスキンの歴史は古く、フランスの古都トゥールが発祥の地とされています。
手帳のモレスキンには約200年もの歴史があり、画家のゴッホやマティス、ピカソなども愛用していたと云われています。
モレスキンというブランド名ですが、モグラの毛皮という意味でモグラは mole です。
mole の skin というわけですね。
現在使われているモレスキンの手帳ですが、その表紙は撥水加工された合皮です。
その昔、モグラの毛皮は労働用のズボンなどにも使用されていたようです。
may the force be with you
フォースと共にあらんことを!

プリザーブドフラワー  preserved flower


日本人の美意識に、何でもあからさまにしないという感覚があります。
庭があっても、ガラスをはめて、年中、見えるようにはせず、冬は障子をしめ切ります。
その障子越しの日差しが、一日の暮らしに穏やかに馴染んでいるのです。
じわっと明るくなったり、じわっと暗くなる移ろいに身を置くということです。
そのことを美しい、楽しいと思うことです。
空間の声に耳を傾け、「こうでありたい」という声を聞きもらさず思いを大切にします。
このプリザーブドフラワーは、居心地がよさそうです。

山中湖の開発・歴史

富士五湖最大の湖。
本栖湖(もとすこ) 精進湖(しょうじこ) 西湖(さいこ) 河口湖(かわぐちこ) 山中湖(やまなかこ)
海抜は982メートルで、日本の湖としては3番目の高所にあります。
真夏でも平均気温が約20℃前後という冷涼な気候です。
山中湖村は、330年前には平野村(ひらのむら)、山中村(やまなかむら)、長池村(ながいけむら)の3つに分かれていました。
家の数は、この3つの村を合わせて77戸のようです。
山中地区(ヤマナカ) 山中湖の西側に位置する山中区では、ホテル、民宿等の宿泊施設が充実。
旭日丘地区(アサヒガオカ) 山中湖の南側に位置し、ホテル、ペンションなどが充実。 御殿場方面から一番近い場所で、フィッシングポイント、レンタルボートショップがあります。
平野地区(ヒラノ) 山中湖村の東側に位置し、スポーツ合宿施設が充実。山中湖をイメージしたクジラシッポにあたるワンドではブラックバスや、ワカサギのフィッシングエリアとしても有名。
長池地区(ナガイケ) 山中湖の北側に位置し、絶景の富士山スポット「親水公園」があります。民宿、ペンションも数多くあり、富士山を部屋からも楽しめる宿も多いです。
歴史
明治時代になると横浜などの外国人が避暑にやってくるようになります。
馬車鉄道が敷かれ、精進湖に外人専用ホテルができます。
大正時代、当時の山梨県知事によって北麓の観光開発計画が立てられます。
鉄道・道路の整備、自然保護、諸施設の整備、別荘地の開発の四点からなる計画。
具体的な推進母体は民間会社である富士山麓電気鉄道株式会社と富士山麓土地株式会社が推進。
顧客ターゲットを「一般大衆」としたい県側と「上流層」に焦点を絞りたいとする鉄道会社側と対立します。
その後、主に鉄道会社側の意向に沿って開発が進められます。
中心的人物は鉄道会社社長の堀内良平。

淡谷のり子 神風特攻隊

淡谷さんには大戦の末期、国内外を慰問で回った時の忘れられない思い出がありました。
白い鉢巻をした若い兵隊たちが客席の一隅にいた。
彼らの上官が、「特攻隊です。途中で命令が下りました時は中座しますのでお許しを」と、断りを入れてある。
その言葉が気になりながら、歌っていると、急に一人が立ち上がり舞台の前に進み出て、にっこり笑って敬礼した。
まだ幼い感じの顔だった。
そんな若者が次々と同じように敬礼して去ってゆく。
これから還らぬ特攻の任務に就くのだ。
胸が詰まって彼女は歌えなくなった。
「すみません、少し泣かせてください」
そう言って彼女は客席に背を向け、声を上げて泣いたそうだ。
実際に彼ら特攻隊員は二度とこの地を踏むことはありません。
戦時下で、「贅沢は敵だ・戦時経済統制下の東京」「欲しがりません勝つまでは」
多くの慰問活動を行い「もんぺなんかはいて歌っても誰も喜ばない」「化粧やドレスは贅沢ではなく歌手にとっての戦闘服」
という信念の元、その後の第二次世界大戦中には、禁止されていたパーマをかけ、ドレスに身を包み、死地に赴く兵士たちの心を慰めながら歌い送っていた。
彼女の歌手としてのプロ意識、また、最後に見る女性がもんぺ姿で、みすぼらしいかったら悲しい想いをさせてしまうということでしょう。
今の時代、音楽にしても、映像にしても、最近の美しい・楽しい・面白いで、完結していいと思います。
リズムに対する言葉ののせ方、ビビットにデフォルメされた映像。
理性で必要か、不必要か、意味があるとか、ないとか関係ないと思う。
その時点で、文化の低さを露呈しているものだ。
美しかったり、楽しかったりすることは、それ時点で、自然法則を内包しています。
アメリカ、ヨーロッパような美術館、コンサートホールなど公共施設が、日本は高すぎる気がします。
戦争は絶対悪ですが、その未来を思って若い命を投げ出した方の心は忘れてはいけないと思います。

デレク・レドモンド Derek Redmond

1992バルセロナ五輪・男子400m デレク・レドモンド選手。
優勝候補の一角と目されながら試合中に不運の負傷、しかし諦めずに片脚で完走を目指しました。
絶望と苦痛の中でも試合を投げない息子を、独りのままに見過ごせなかった父親のジム・レドモンドさん。
僕は美容師という仕事をしながら、いろいろな人の人生を見させていただいています。
僕も去年、高円寺で独立。
うまく、仕事として軌道に乗るかは、絶対はないです。
勝った人が一番、努力したとは限りません。
努力した人が必ず勝てるとも限りません。
ほんのわずかの差、時の運で「勝者」と「敗者」に分かれます。
人生という長い舞台での勝敗は、勝つことよりも、負けないことだと思います。
勝敗を決めるのは、そこからどのような結論を出すか。
昨日より今日、今日より明日、今月より来月、今年より来年。
人生といっても、一瞬の連続。
最後まで諦めない、ゴールに向かうレドモンドさんの姿勢はかっこいいです。

健康

僕は美容師という仕事柄、整体の先生や東洋医学などの知り合いがいます。
最近は健康について、気を使うようにしています。
アメリカの医療費の高さは話を聞きますが、歯の治療に20万円くらいは、ざらだそうです。
なぜ、アメリカ人がジョギングなどの健康に気を使うか納得。
いろいろな、健康法、ブートキャンプやピラティスなど当たり前なのでしょう。
自己責任の国、アメリカ。
そこで、東洋人として、漢方の考え方を紹介。
漢方では、生体の機能を「気・血・水」に分け、このバランスのとれた状態を「健康」と考えます。
このバランスが崩れ、病気でもないが健康でもない状態を「未病」と言います。
未病が悪化すると「病気」と考えます。
すごくシンプルですね。
そこで、それぞれの役割。
「気」は「病は気から」の喩えどおり生命力のエネルギー源で、生命活動や生理機能を維持する原動力です。
「血(けつ)」は全身に栄養を与え、生命活動を活性化する血液です。
「水(すい)」は体液の総称で、身体の防御機能に関与しています。
人の身体は、気・血・水が過不足なく巡り、臓腑(五臓六腑)が協調して健康な状態が保たれています。
何らかの影響により、気・血・水が不足したり、五臓六腑が機能低下すると「不調」が起きます。
怖いですね。
食生活・睡眠・運動・ストレスなど。
たとえば、気の巡りが悪くなると。
「気滞(気が乱れた状態)」になり、イライラ、憂鬱、怒りっぽい、やる気がないなどの不調につながります。
血のめぐりが悪くなると。
「瘀血(おけつ)(古い血が体内に滞り、流れが悪くなり、固まりやすくなる状態)」になり、頭痛や肩こり、冷えのぼせ、生理痛につながります。
水のめぐりが悪くなると。
「水毒(必要以上の水分が体内にたまって発生する症状)」となり、むくみ、鼻水、めまい、冷え症などの不調につながります。
毎日の健康があっての生活です。

東京仕事百貨

僕は人との出会い、モノとの出会い。
いずれにしても、本物と出会うと心が動きます。
以前、脳科学者の茂木さんの本を読ませて頂きましたが、「なぜ人は涙を流すか?」
という疑問に、その出来事・事件が自分がこれから生きていく中での起こりうる困難に対して、「これは君の人生にとって、必要な情報だぞ!経験だぞ」
と判断し、心が動いたとき、悲しいや嬉しい、悔しいや楽しいなど感じ取り、涙を流すそうです。
それに近い感動がありました。
僕はラジオで出会った。
「東京仕事百景」というプロジェクトを主催する中村 健太さん。
僕は人との出会い、モノとの出会い
いずれにしても、本物と出会うと心が動きます。
以前、脳科学者の茂木さんの本を読ませて頂きましたが、「なぜ人は涙を流すか?」
という疑問に、その出来事・事件が自分がこれから生きていく中での起こりうる困難に対して、「これは君の人生にとって、必要な情報だぞ!経験だぞ」
と判断し、心が動いたとき、悲しいや嬉しい、悔しいや楽しいなど感じ取り、涙を流すそうです。
それに近い感動がありました。
僕はラジオで出会った。
「東京仕事百景」というプロジェクトを主催する中村 健太さん。
なぜ、東京仕事百科をはじめたの?
たしか高校生のときだったと思います。
将来について考えるワークショップのようなものが行われました
。先生たちは「こんな仕事に就きたい」→「そのためには大学に進学」→「そのためには勉強」というようにして、僕たちを勉強させるのが目的だったのかもしれません。
けれどもとても良い経験をさせてもらいました。
そこで、自分はプロジェクトをつくったり、みんなが(そして自分も)楽しんでいる状況、場づくりがしたい思っていました。
でも果たしてそれを実現するにはどんなことを勉強したらよいのだろう?と考えます。
そんなときに、物理学科よりも情報学科よりも、建築学科が一番近いのではという直感を信じて、明治大学建築学科に入学。設計意匠を専攻しました。
3年生になるまでは楽しく設計の授業を受けていました。
けれども建築家は、あらかじめ敷地だったり、そこで何をするのか、すでに決まった方針の中でデザインしていく立場です。
設計の課題では、場所や用途など自由に決めて良いものもありましたが、現実にはそんなことありません。
でも自分はそんなプロジェクトのはじまりから関わりたいと思いました。
とある製氷所のリノベーションプロジェクトでは、デザインよりもプロジェクト全体を考えてばかりいました。
どんなレストランを入れよう?
ここでコミュニティはつくれないか?街の人にも利用してもらいたいな。
どうすればこのプロジェクトを進めることができるのだろうか?
それは設計の仕事じゃないように感じましたし、そのためにはまだまだ足りたいことだらけでした。
就職活動のときにどんな会社がいいのか探してみましたが、ナビサイトで検索しても結果はうんざりするものばかりで、そこで探すこともやめてしまったように思います。
けれども先輩たちに相談したことは、とても良いものになりました。
それぞれの考え方はばらばらでしたが、立場を超えて業界や会社のいいところも大変なところも助言してくれました。
そんなときにほとんどのみなさんがオススメした「ザイマックス」という会社。
はじめはまったく知らなかった会社でしたが、話を聞いて興味を持ち入社することになります。
そこで場所をつくりはじめるところから、そのあとずっと運営していくところまで、すべて関わるような仕事をはじめました。
そのときに漠然と感じたのは、「器」よりもそこに関わっている「人」が重要なのでは、というものでした。
社会人3年目も終わるころ、自分の仕事をあらためて考えるような時期がありました。
そのときに自然体で居心地のいいバーに出会うことになります。
お酒は強くないのですが、常連さんたちとも仲良くなり、自然と足を運ぶようになりました。
あるときは週6日通っていました(定休日が1日あったのです!)。
そんなある日、なぜ通うのか考えてみました。内装もいい。
食事やお酒も美味しい。でも一番の理由はバーテンダーの彼や常連のみなさんに会いに行きたいから、ということに気づきました。
いい場所にはそこに合った人がいる。
その人が活き活きと働くと、その場所もまたよくなる。
ずっと学生のころから考えてきた「場づくり」ですが、そこにぴったりの人との出会いがあれば、いい場というものは生まれるのではと思いつきました。
そこから1年後に東京仕事百貨は生まれることになります。

レディー・ガガ 高円寺

日本ファッションの発信源は、原宿や渋谷だけじゃない。
世界中のファッション通が注目する「キタコレビル」??そのビルは新宿から中央線で約6分、若者に人気の街・高円寺の庶民的な商店街の中にある。
大きな手書きの文字がその名を主張してはいるが、パッと見ではどこからどこまでがキタコレビルなのかは判別不可能な2階建てのビル。
レディー・ガガが、『GARTER』や『シークレットDog』のアイテムを着用したこともあります。

高円寺のリメーク王子こと江幡晃四郎

パタゴニアの創設者イヴォン・シュイナードYvon Chouinard 

狩猟のために鷹やハヤブサを調教する南カリフォルニア鷹狩団体のメンバーだったイヴォンは、ある日、グループリーダーの一人、ドン・プレンティスから絶壁にあるハヤブサの巣まで懸垂下降する方法を教わりました。
このスポーツがとても気に入ったイヴォンと仲間は貨物列車に飛び乗り、サンフェルナンド・バレーの西端、ストーニー・ポイントの砂岩の岩場へ向かうようになります。
それから間もなく、彼らは下降するだけでなく、岩を登ることを学んだのです。

マックス・エルンスト(Max Ernst)

Max Ernst (1891年4月2日 ブリュール?-1976年4月1日 パリ)
シュルレアリスムの代表的画家の一人。ドイツ、ケルン近郊のブリュールに生まれる。
1919年からケルン・ダダの主要メンバーとして活動。
ジョルジョ・デ・キリコに強い影響を受ける。
この頃から百科事典や小説、美術史の書物の図版や写真を切り取って組み合わせるというコラージュの手法を用いるようになった。
翌20年にアンドレ・ブルトンの招きの応じてパリで展示を行い、ポール・エリュアールとの交友を通じてパリ・ダダに協力。
1922年にパリに移る。

リアル・井上雄彦

「だから、僕は生かされてるんですよ」
京谷和幸
僕と同じ、北海道室蘭市出身の素晴らしい人。
小学校2年の時にサッカーを始め、室蘭大谷高校サッカー部時代には3年連続で全国高校サッカー選手権大会に出場しました。
2年時からユース代表、3年時からバルセロナオリンピック代表候補にも選ばれました。
3試合連続でハットトリックを達成したこともあり、「北海道に京谷あり」と言われました。
ジェフユナイテッド市原・千葉とプロ契約。
車を運転中に脇から急に出てきた車を避けようとして電柱と正面衝突し脊髄を損傷し、下半身不随となって車いす生活を送ることとなります。
車いすのバスケの漫画「リアル」
作者である井上雄彦さんは言います。
「車いすのバスケの選手を取材して感じるのは、何らかの形で、選手たちはある意味、一回、死んだ。それを乗り越えて今がある」障害を持ち、今まで当たり前のように出来ていたことが出来なくなった現実を受け入れることは、並大抵のことではない。
だけど、人間の真価は、打ちのめされるような困難にぶつかったとき、問われるものです。
京谷和幸さんは言います。
「いや、基本は弱いですよ。弱い自分を知っているから、虚勢と意地と見栄を張って、強がっているうちに、だんだんと、強い自分が出来あがってきた。きっと、自分の弱さを知らないと、本当の意味で強くなれないんだと思います」
「夢を持てることは幸せ。だって生きているっていう実感が湧くから。それに、夢に向かって、行動を起こせば、必ず出会いが訪れる。その出会い一つ一つに感謝の気持ちを持つことで、また新たな出会いがやってくる。その出会いが幸せを運んできてくれたり、目標としていた夢を後押ししてくれたりもする。夢・出会い・感謝。たったこれだけの事を意識するだけで、人生は、こんなにも楽しくなる」
「相手の目をしっかり見て、笑顔でありがとうと伝える。そうすれば、相手も笑顔になる。その笑顔がさらなる出会いを運んでくれる。しかも出会いはチャンスになる。失敗・挫折したときや、夢・目標を見失った時、出会いが背中を押してくれる。甘い誘惑から誘われ、進むべき道から脱線したとき、出会いが軌道修正してくれる」

庵野 秀明 Hideaki anno

庵野 秀明(あんの ひであき、1960年(昭和35年)5月22日 – )とは、日本の映画監督、アニメーターである。
新世紀エヴァンゲリオン

押井 守 Mamoru Oshii

押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 – )は、アニメや実写映画を中心に活動している日本の映画監督。
GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊
イノセンスINNOCENCE

大友 克洋 Katsuhiro Otomo

大友 克洋(おおとも かつひろ、本名同じ、1954年4月14日)は、日本の漫画家、映画監督
AKIRA・童夢・スチームボーイ

今敏

今 敏(こん さとし、1963年10月12日 – 2010年8月24日)は、日本のアニメ監督、漫画家。北海道出身。
PERFECT BLUE・千年女優・東京ゴッドファーザーズ・パプリカ
アニメと言う一つの表現。
そこに、圧倒的な表現を感じるアニメ作家、今敏。

ディズニーランド・Efficiency

一般の企業を考えてみてください。
Efficiency・効率。
人件費・輸送費・時間・効率化を第一とすることが多いと思います。
無駄と節約。
生き金と死に金。
ディズニーでは、効率は一番下です。
東京ディズニーランドではパーク内のゲスト数6万人近くなると、入場制限されます。
実際、入場制限時は僕がいたロケーションは忙しかった。
雨が降ったり、おおきなパレードが終わったりすると、一気に食事に固まるのです。
毎年、60~70万人パーク内に入れないと言います。
売り上げよりも、ゲストに喜んでもらう、キャストに満足のいく良いオペレーション重視の現れです。
見かけたことはないでしょうか?
カリブの海賊やスプラッシュマウンテンなどまだまだ乗れるのに、発進している光景。
アトラクションに乗る際、子供やお年寄りが危険な可能性のある場合、安全を優先する行動がキャストに行きわたっている証拠です。

ディズニーランド・Show

全ての仕事がショー
僕はカストーディアルキャストを尊敬しています。
地面にじかに置くのではなく、お互いにもたれ掛かるこの形。
この、細部まで行き届いた「演出」。
オープン当時は、掃除の印象が暗く、人と話すこともなく、黙々と作業をこなすイメージとして、人気がなかったようです。
僕がキャストをさせて頂いたとき、素敵なお話を頂いた。
アトラクションやフードなどのキャストさんは、お客様が「わくわく」「どきどき」の楽しみの気持ちの状態のゲストを相手にします。
しかし、カストーディアルさんはアトラクションの移動中だったり、トイレ、ゴミの掃除など、一見「華やか」に見えません。
カメラを撮ってもらう、アトラクションの場所案内、電車情報など直接ゲストとの接点が非常に大きいお仕事です。
よく、美容師さんはいろいろなお客さんを相手に大変ですね!?と言われます。
しかし、僕からすると看護師さん達のような、好きでこの場所に来ている人達でない人の接客のほうが大変に見えるのです。
あっという間に
こーんなかわいい演出も!!
事実、カストーディアルキャストの時給は他に比べて、少々高めなんです。。よ

ディズニーランド・Courtesy

ディズニーランドでは「ホスピタリティ」のことを「Courtesy・礼儀正しさ」と言っていました。
マズローの5段階欲求説というものがあります。
人間の欲求には、低い順に、生理的欲求、安全欲求、愛情欲求、尊敬欲求、自己実現欲求となり、下位の欲求が満たされないと上位の欲求を求めないとされるものです。
一般のアルバイトでは、食べるため、安心して暮らすためといった欲求に働きかけるが多いのですが、ディズニーランドでは、尊敬欲求、自己実現欲求を満たすための制度があります。
アメリカのディズニーランドも同じようですが、非常にインテリジェンスの方がキャストに多くいらっしゃいます。
人に尽くすことが、自分の喜びに感じる人。
全ての人間の尊厳をお持ちで、人種、年齢、性別、宗教を越えて、関わりあおうとする姿勢。
本当に尊い行動です。
ウォルトディズニーは感動を呼ぶパークであるためには、「テーマショーを具現化する良いストーリー」があり、「舞台となるこだわりのある施設」と「ゲストと良いコミュニケーションがとれるキャストの存在」が欠かせないと言っています。
日本の古くからのサービスに対しての考え方に
「経験年数や職位、知識や経験などが高ければ、礼儀正しい正しいオペレーションやサービスが出来る」という、考え方がありました。
日本は単一民族、農耕民族であったため、きめられた範囲の畑を四季に渡る約束事を守る事を大事とされたため
「言われた事を忠実にやること」
が重んじられました。
「マニュアルに書かれていない事なので、できません」
では、キャストはできません。
「ようするに、やる気があって、エネルギッシュで、親しみがあり、向上心のあるキャストさえいればいいんだ」

ディズニーランド・Safety

ウォルト・ディズニーは、夢や冒険をテーマにしてディズニーランドを作りました。
しかし、いくら冒険とはいえ、本当の危険なのではショーにはなりません。
「安心しながらスリルが味わえ、楽しめること」
東京ディズニーランド、東京ディズニーシーの飲食施設では、国際的な安全管理手法であるHACCP(ハサップ)システムの考え方を取り入れた衛生管理を行っていました。
カリナリーキャストをさせて頂いたときは、野菜を炒めるにしても必ず温度計で、既定の温度を確認していました。
HACCPハサップとは、ハンバーグを焼くときに、挽肉中の感染症や食中毒原因細菌などが,ハンバーグの中心の温度が何度にどれだけの時間経過すれば安全なレベルになるかを科学的に分析して、分析の結果決定した管理方法を実施することです。
どんなに、忙しいときも肉類、野菜、ソーセージ全てに徹底していました。
ロケーションの料理長は毎日、全種類の食材を試食していました。
また、万が一食中毒発生の調査が出来るように、日付を記入して保存。
最後の掃除も念入りでしたが、キャストが帰った後も、夜の掃除のキャストの人が更に掃除をしていつもピカピカです。

ディズニーランドのサービスとホスピタリティ

世界の国々はビジネス競争が激しく、人々の心に余裕を持てなく、ストレスがたまりやすいと思います。
そのため「癒し」や「やさしさ」、「安心感」など、心の凝り固まったった状態をもとに戻すために、「日常」と「非日常」のエンターテイメントが求められていると思います。
僕が美容師を志したときは、技術はまだ何もできない状態でしたので、お客様に年齢・服装などにあった本を出すこと、髪の毛を掃くこと、声を出すこと。
全て、見て覚えるか、先輩に注意されながら覚えていました。
日本の「サービス」に対するとらえ方には、単一民族的なところが強く「あうんの呼吸」「塩梅」など非常に抽象的です。
「仕事は盗んで覚えるもの」、日本の伝統技術、家元制度、弟子入り制度がなせる技でしたが、今の時代にはミスマッチなようです。
そこで、ウォルト・ディズニーは基本的な運営方法のスタンスを決めました。
「SCSE」
Safety,Courtesy,Show,Efficiency

ディズニーランドのストーリー性

ディズニーランドと遊園地の違い。
はたして、何でしょう。
ディズニーランドはウォルト・ディズニーが作ったアニメーションの世界観・ストーリーをゲストに見せる舞台なんです。
僕は、すべての価値にはストーリー性が必要だと思っている。
例えば、ルイ・ヴィトン。
1835年当時14歳だったルイ・ヴィトンはパリへ400キロほどの道のりを一年以上かけて歩きました。
そこでは荷作り用木箱製造兼荷造り職人として働き、それが始まりなのです。
1852年にはナポレオン3世皇妃ユウジェニーの専用荷作り職の命を受け、1854年には旅行鞄の専門店としてパリ・キャプシーヌ通り4番地で創業します。
その歴史が付加価値として、ブランド化しています。
コンセプト・ストーリーがしっかりとしていれば、ぶれがないはずです。
ゲストが目にする場所を「オンステージ」。
そこにいるのですから、従業員ではなく、キャスト(舞台俳優)というわけです。
着る服も、ユニフォームではなく、コスチューム(舞台衣装)なんですね。
全てにストーリー性が一貫している。
素晴らしいですね。

ディズニーランドのすべてのゲストがVIP

「私たちは王様や女王様をもてなすことが好きだ。でも、ここでは全ての人がVIPなんだ」
ウォルトディズニーの残された言葉です。
僕はディズニーシーで、キャストの経験があります。
美容師以外にさせて頂いた仕事。
思い出せば懐かしい、大切な思い出です。
「ユカタンベースキャンプグリル」
僕はこの厨房で、料理を作らせてさせて頂いた。
美容師は接客業・デザイナー・営業、いろいろな要素があります。
その中で、ディズニーの接客は体験しておきたかったのです。
「ディズニーランドは大切なゲストをまるで、自分の家のファミリーに招くようなところ」
という、素敵な接客術を持っています。
今の僕の大切な信念になっています。
チェリソーを冷凍庫から、スチームに入れる時の蒸気の熱、
盛りつけの時のご飯の正確なグラム数、最初は誤差何グラムとはかりで計測の日々、ソースをかける時のちょっとした絵心、たまった食器をみんなで手伝いながら片づけるチームワーク、みんな、一人のゲストに喜んでもらいたい一心です。
働いていたときは毎日のことですが、ゲストにとっては生まれて初めての人もいるし、一年に一度の楽しみの人もいます。
ディズニールックお願いしまーす!
仕事を始める前に、爪、靴下、髪型みんなでチェック!
厨房に入る前には、ひじから下の30秒くらいの消毒.。
みんな、ゲストに喜んでもらいたかったのです。

僕という人間の土台形成

僕はモノというものは、多角的な面で見るように努めている。
すべての物事には、良い面と悪い面を具有している。
人間という存在は草木と同じように、環境・時代からの影響をまぬがれない。
家庭・学校・社会・国。
美容師という仕事を通して、多くの人たちとお話を共有させて頂いている。
高円寺という地域は本当に、メディアに流されない未来を見据えた人たちが集まる。
20代、30代、40代と考え方がまるで違う。
今のゆとり教育は、1960年、70年代の改善作用が多く影響する。
キーワードは高度成長期、バブル経済、校内暴力、非行少年、偏差値教育、暴走族など。
僕は少年期を国全体が推し進める、「科学の力が人間を幸せにする」
「豊かになることが幸福である」という価値観の社会で生きていた。
勉強が出来るか、できないか、「数値化」される人間の存在。
人間はこの当時は、みな、数値化されていた。
今でも覚えているのは、この当時の大学生の発言。
英語を中学・高校と6年もの間学んで、会話が出来ないという大学生の現状は?
という質問に、「僕たち学生は、英語がしゃべれる、しゃべれないという事実が問題ではありません」
「日本では英語は学問です、言語ではありません」
「求められるのは、企業側が意味がある、ない関わらず、従順に従うことができる学生を求めているのです」
僕の生きた時代では当たり前だった。
そこから、矛盾を感じた10代の若者は荒れ狂っていた。
「スポコン」スポーツ・根性
昭和の匂いがしますね(笑)
みな、社会の矛盾を全身で受け止めて、未来にその刃を向けていた。
常に自分の中の一匹のオオカミの存在を感じていた。
先生の存在はそのまま、社会の見えない権力だった。
正しいことから目をそらし、人間の欲望を無限に拡大させた。
この当時は文化・芸術が今、振り返るとほとんど残っていない。
時代が正しい価値観で洗い流したのでしょう。
僕は今でも、何かに生き詰まったとき、思い出したように尾崎豊の存在みる。
生きることを怒りで、全身で表現した。
薄い氷の上をゆっくり進むような、ぎりぎりの生き方。
だれにでも弱さはあるんですよ。
その弱さとどう向き合っていくかとうことが人間にとっての課題なんですね。
尾崎さんは、その答えをを模索しているうちに人生終わってしまったわけですけどね。
本当はもっと長生きして、尾崎さんが自分の弱さというものと向き合ってそれをどう克服していくか、見たかったきもしますけど。
でもそれは我々一人ひとりが自分の中で自分の弱さを見つめて、それを克服するなかで見つけるものかもしれまないですね。

Winnie the Pooh くまのプーさん  Ernest Howard Shepard アーネスト・ハワード・シェパード

僕は小学生の低学年児、ぬいぐるみが、なぜか好きだった。
後年、ディズニーランドでキャストをした経験もあります。
今でも好きですが、自分でも意外です。
アーネスト・ハワード・シェパードのイラストの雰囲気に惹かれていました。
もちろん、ウォルトディズニーのぷーさんも好きですが、イギリス時代の童話風が特に好き。
こんな、タッチの線がいつか自分でも、出したいです。
ミルンとクリストファー。
かわいいですねぇ。
ぷーさんはもともと、ティディベアが原型だったので、クリストファーに引きずられてかわいそうです(笑)。
たまに、ディズニーランドに行くと、真っ先にハニーハントに行って、ファストパスを取ってからゆっくり楽しみます。
そこで、逢うぷーさんのハチミツまみれの笑顔は「NICE ONE!!」

ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)

「実はあらゆるデザインのなかで、仕事としての難しさでは、(ファッションが)一番なのではないかと思います」。
「ちょっとセンスの良い素人が作った服と、勉強して服作りで食べていこうというプロが作った服。
市場に出たときに『好き、嫌い』で判断されてしまう。
ファッションは、最終的にそういう恐ろしさがある分野だ」。
ファッションで生きていきたい、服を作っていきたいということは、その壁といつも戦わなければならない。
この壁と戦って突破する、ここを少しでもわかってもらえればいいのかな。
表現活動や物作りをするために越えなければならない最低ラインの専門性を、山本氏は‘スペシャリテ’と呼びます。
「知識というよりも栄養。文学ならば文章を読む体力。基本ができて自分が出てくる。洋服についてもそれは言える」。
「素人とプロの差が縮まっている。でも最低ラインを越えないと職業としての長続きは不可能。そして、作ったものの奥行き。その一着の服の中に込められた妙な力。それを作れるのがプロ」。
風俗化された現在のファッション。ブランドのマークを買う消費者。
北野武監督映画「BROTHER」
耀司さんとのコラボもカッコイイ。

寺山修司・天井桟敷 Syuji Terayama

僕の芸術・美術の原点、職業「寺山修司」
圧倒的な表現、インパクト、アヴァンギャルド、アナーキーイズム。
よく、映画にたずさわるお客様とお話をする機会がありますが、絵画性・演劇性・演出・メディア・コマーシャル・芸術性。
いろいろな要素が含まれる。
僕は美容師として、髪の毛を扱う仕事をさせて頂いているが、ヘアースタイルは元来、機能性として短くして、涼しくなりたいということでしょう。
前髪が目に入るとか。
しかし、人間は美しくありたい、人に良く見られたいなど、自己表現性や欲求が含まれる。
アートの世界で美しいだけの表現は、長く評価されたためしはない。
人間が生きるということは、きれい事だけでは生きられない。
いろいろな、時代性、国事情、民族間、人間性により、対立、闘争を繰り返してきた。
美しい・きれいは表現の本の一要素でしかない。
語り継がれる名作には人間の煩悩・憎しみ・悲しみ・不条理がしっかり描かれている。
寺山修司の作品には決して、メジャーに万民に受ける華やかさは少ないかもしれないが、人間の本質・芸術性を感じる。
魯山人は言っている。
表現するには何事も基本が必要です。
基本は人から教わるところから始まります。
しかし、うかうか習うとは危険であるとも言います。
習うとはまず、「技巧」を覚え、柄にもない、身分にもない、匠気(おごり)が出る。
中に匠気を有するから、だいたいの人間は匠気に押されて、抑止できない。
技巧の面白さを忘れることが出来ない。
どうしても、本格に向かない。
本格とは、作為なくして、表現できる人格者だ。
どう下手に表現しても、本格になる境地。
書道、華道、絵画、演劇どれをとっても同じこと。
美容師も「上手いですね」という技巧にばかり走り、くさくなり、そのお客様の人間性を無視した、一見上手そうに表現する方も多くいるし、ぼくもその時代があった。
そんな時、寺山修司の表現を見ると自分の原点に戻れるのです。

店のデザイン

街を歩いていると、ふとした瞬間に気になる光景に目がとまる。
お店の雰囲気が俗っぽくなく、その個性を人目に媚びずに、たたずむ。
普通は、どこかで見たようなチェーン店的な、営業目的前面のデザイナー任せのお店が多い。
または、お客様のことを微々とも考えない、デザイナーのエゴが強いデザイン。
なんとも、森に存在するブナやスギの木のように、何気なく感じる息遣いのようなお店。
看板一つをとっても、市販のもの・きらびやか・だけの不自然のもの。
なかなか、「茶け」があるようなものはお見えできない。
モノは人が創るので、必ずその人らしさが出る。
出来るものが「よい」ときは、創りだす「ひと」もよい。
魯山人は「創りだされるモノは、そのときどきで、いろいろである」と言っていた。
けっして、無機質に複製されるものではない。
美容師として、よいモノを作り続けたいですね。

蔦屋 T-site

先日、気になっていた次世代蔦屋・代官山に行ってきた。
朝7時から夜2時までの営業時間。
本・映画・音楽
書籍はスタバーなどで、自由に読める。
コンセプトは「本、映画、音楽を通してライフスタイルを提案すること」
ライフスタイルを発見できる場を私たちは提供しているだろうか。
なるほど。
ぼくは、これからのビジネスは「モノ」を売るのではなく、それによって生まれる出来事・「コト」を売ることだと思っている。
人と人、モノと人。
出会いが生じることに「ドラマ」が生まれる。
ぼくは、ここを訪れて「ディズニーリゾート」を思い出した。
代官山という一等地で広大な駐車場。
案内するキャストの清々しい動き。
コンセルジュを置く事によるサービス。
代官山はJR線ではないし、多くの人が訪れる場所ではない。
有名デパートがあるわけでもなく、営業時間が深夜2時。
蔦屋さんの意気込みを感じる。
ぼくは、新書であれば渋谷の東急本店の本屋か、神保町の本屋さんを利用することが多い。
この後の、動向を見ていきたい。

ジャン=ミシェル・バスキア Jean-Michel Basquiat

ニューヨーク市ブルックリンで生まれたアメリカの画家。
27歳で亡くなったアーティストです。
ぼくが初めてバスキアの作品を体験したのは15年くらい前でした。
表現は「何を描くか?」ではなく「どう描くか?」
が、現代のアートだと思います。
その、一つ一つの線、強弱、太い細い、タッチ、すべてに個性があります。
また、使う色、混ぜ方、のせ方、使う画材。
萩原朔太郎は物事を感じることに、その味わいよりも、「香り」を大切にしました
芳醇な香り。
知性に頼る表現は理性的であるが、説明的になりやすい。
「感性による熟成発酵」。
そこに、その人なりの表現が生み出されると思う。

森林浴のススメ

「森林浴」という言葉が誕生したのが、今から約30年前だそうです。
森林浴というと、それだけで森のイメージが広がり、肩の力がふっと抜けて、安らいだ印象を持ちます。
それが現在「森林療法」「森林セラピー」という、科学的な検証によって認定されているようです。
まず、森林に入ると
①心身がリラックス
②脈拍数・血圧が減少
③ストレスホルモンの一種である唾液中のコルチゾールと、尿中のアドレナリン(2泊3日の森林浴で68%)も低下。
また、ストレス時に高まる交感神経活動が抑制され、逆に、リラックス時に高まる副交感神経が活性化するようです。
また、NK細胞(ナチュラルキラー)の活性が高まり、腫瘍細胞やウィルス感染細胞をやっつけて、免疫力向上です。
加えて3種類の抗がんたんぱく質の増加も確認されており、森林浴をすることでガンになりにくく、ウイルス細胞にも感染しにくい体づくりが出来るようです。
この実験では、効果の持続も検証され、森林浴1週間後でNK細胞の活性が45%高く、1ヶ月後でも23%の高さを維持しているようです。
つまり、1か月に1回以上のペースで、森林散策するのがお勧めのようですね。
また、たとえ1時間の森林浴でも、抗酸化力が上昇。
細胞内の酸素で分解しきれない活性酸素は、人間の体を酸化させ、高血圧、糖尿病、ガン、老化などさまざまな病気の原因になります。
一体、森の中の何がその効果を生み出しているのでしょうか?
その代表格が、植物から放出される「フィットンチッド」です。
ロシア語で、フィットンは「植物」
チッドは「殺す」
植物が細菌などから身を守るために発する揮発成分の総称だそうです。
その中でも、ヒノキやマツ、スギなどの針葉樹から「αピネン」があります。
αピネンには、ストレスを和らげて、リラックスをさせる効果があります。
一方、自然の中の水辺近くでは、「マイナスイオン」が出ていると言われますが、その効果は未だ実証されていないようです。
実際、滝や渓流はリラックス気分です!
さあ、山に分け入りましょう!

山と低酸素による人間への影響

よく、富士登山で低酸素病になって、9合目まで行って断念した。。など聞きます。
ぼくは、2000メートルくらいまでしか経験がなくどのようになるか、お客様でエベレストに同行した方がいたので聞いてみました。
まずびっくりが、エベレストに登るには、一人当たり費用600万円から800万円かかるようです。
次に酸素の問題です。
低酸素(酸素分圧量 30 %)、低気圧(平地の三分の一)、低温(マイナス 10-35 度くらい)。
これが自然条件になるようです。
人間の体の構造条件を超えたところに、それも酸素ボンベを使わずに登ることは並大抵のとこではないそう。
低酸素によって、精神的にネガティブになり、怒りっぽくなり、泣いたり悲観的になるようです。
かと思うと、突然、ハイテンションになったり、感情が極端に不安定になり、低気圧はひどい頭痛をもたらします。
高度順応を怠れば、発熱し、喉がいたくなり、風邪に似た症状が出て、早く登ろうとすると体が酸素を取り入れなくなるようです。
聞いているだけで、頭が痛くなりました。

高円寺・落語 アンプ寄席 春風亭一之輔

先日、高円寺のとある場所で寄席を開催するということで、営業を通常どうり終わらせて、伺った。
いつもは、演芸場など足を運びますが普通のカフェでの開催。
だいたい、演芸場ではほとんどが高齢者です。
65歳以上は2000円、通常料金は2500円。
さすがは高円寺だけあって、若い人ばかり。
幸い、一番前の席に座ることが出来、息遣いや場の空気を読みながら話を進めるしぐさを感じました。
何度か、寄席に足を運んでいますが、美容師にも上手い、下手、合う、合わないありますが、落語もそうだと思います。
座布団と扇子で呼ばれると、どこでも勝負する言葉の格闘家だと思う。
話の冒頭、2000円という金額はとても馬鹿にならないですよ、と。
映画よりも高い。
はたして、映画よりもいいものを提供できるかどうか、おひとつお力添えを。
ぼくも、美容師をさせてもらってカットの金額に見合うだけの技術・サービスが提供できているか?
一之輔さん同様、毎日「汗」かいています。
人間は善悪を区別できると同様、美的感覚、精神性を追求するべきだと思う。
文化・芸術にしても、人々を不幸に陥れる怠慢や慢心に対する闘いです。
落語にはたしかに、今に無い風習・言葉が多い。
先日の落語でも、「へっつい」や「かんかんのう」
ぼくは、本を読んで勉強していたが、解らない人も多いと思う。
過去から現在、そして未来へ多くの人を巻き込み、心を結び、固まった心をほぐしてくれる、落語は格闘だ。

「由比ヶ浜の波は、優しくシェイプされているんです」

なぜだろう?
初めてあったのに、以前から顔見知りのような感覚を味わうことがあります。
サーフィンを日常の生活にしている人とは、いつも親しくさせて頂いている。
ぼく自身、波乗りは全然したことがないのですが、話をするとぼくが山を愛するように、海を愛する気持ちが伝わる。
「由比ヶ浜の波は、優しくシェイプされているんです」
この言葉の響きが、ぼくの胸を響かせました。
自然は時に人間を怒りに身を任せたのごとくに、全てを飲み込んでしまう時もあれば、孤独に打ちひしがれた時に、母親の無償の愛のごとく包んでくれるときがある。
ハワイのノーシュシェアの大きな波は、日本の冬の天気配置図「西高東低」の低気圧が遠く離れたハワイに届き、地球が作り出す大波へと変化させるのだそうです。
はじめは小さな波が、遠く離れれば離れるほどに大きくなる。
それは、大きくなりまた荒々しくもなる。
しかし、湘南に届く波は湾に包まれているため、初心者の人にも手を添えるように、サーファーを優しく運んでくれるそうです。
日本人の美徳に、人間と生活を育む環境は常に関係し合うという考え方があります。
人間の能力が自然を網羅したような考え方をした人がいますが、はたしてどうなのでしょうか。
ぼくは、波を乗る人、山を望む人、自然を感じる人が好きです。
むかし、北海道に住んでいたアイヌの人たちは鮭の漁の時には、山の神様、大地の神様、水の神様などに必ず感謝の言葉をかけていた。
自然を大切にする人には、共通の清々しさを覚えます。
なかなか、東京からは海のスポーツをするとなると、最初の気持ちが少々重いですが、常に自分の中に大きな自然を感じていたいですね。
由比ヶ浜を歩くと、自宅からサーフボードを片手に自転車のペダルをこぎながら、潮風を全身に浴びて、信号を待つサーファーも見かけますが、砂浜と海と町が作り出す風景の一部になっている瞬間が気持ちいいですね。

ワンズドライブ 白山店/One’s Drive

先日、白山にある友人の美容室に行く用事があり、その帰り素敵な「ハンバーガー屋さん」を紹介してもらった。
完全なる!アメリカンテイスト!
よくぞここまで、こだわっているなぁという内装でした。
どんな職種のおお店でも言えますが、統一感というのはなかなか難しいものです。
だいたいは、あれも、これも、どれも、といった塩梅で、月日の長い分だけイメージが崩れてくるもの。
肝心のハンバーガーもとても美味しく、幸せな一時でありました。

You Make Magic! 魔法を作るのはあなた! TOKYO DISNEY RESORT

TOKYO DISNEY RESORT
僕は美容の道を続けてきているが、一度違う職業を経験した事がある。
半年ほど、ディズニーランドに食事をつくるキャストとして働かせていただいた。
接客業を志してどうしても経験したかったこと、どうしてディズニーのキャストさんはあんなに、笑顔で人々に元気をあげられるのだろう!?
僕も同じ舞台にたって、ハピネスをゲストとキャストのふれあいの中から感じたい!
そう思いました。
ぼくは、非接客の調理部門の配属でしたが、最高にハッピー!!だったし多くの人に喜んでいただくバックステージを支える厳しさもたくさん勉強できた。
最初にびっくりしたのが、接客業で当たり前の「いらっしゃいませ~!!」が、ディズニーランドにはない。
そんなこと、考えたことすらなかった。
20歳で美容の道を志し、誰よりも気持ちよく「いらっしゃいませ」を言うこと。
そう教わってきたし、実行してきた。
しかし、確かにディズニーには一度もいらっしゃいませとは言われたことがない。
オリエンタルランドでのOJT「研修プログラム」で、先輩キャストに考えてみてください!と言われた。
僕には答えが出なかった。
「こんにちは!」「いってらっしゃい!」「このあともごゆっくりお楽しみください!」
キャストはゲストとふれあい、会話を大切にする。
いらっしゃいませは、キャストからゲストへ一方通行の言葉で終わってしまいます。
ふれあい。
そこが、キャストの心構えのスタートでした。

Walt Disney:このパークにいる間は、毎日生活している世界のことをすっかり忘れてもらいたい。別世界にいるような感じをもってもらいたいんだ。

僕は美容室で掃除をするということは大切に思っているし、これからもお客様のためにも気を抜かずやり続けるつもりです。
でも、本当に感動するくらいの掃除はキャストをするまではできていなかった。
毎日、ディズニーではゲストが帰った夜にデッキブラシで、あの広大なランドを磨いている。
その基準は。
赤ちゃんが、よちよち歩きできる気持ちいいレベルに。

Walt Disney:「私たちは、王様や女王様をもてなすのが好きだ。でもここでは、全ての人がVIPなんだ」

今、目の前にいるゲストのために

今、目も前にいるゲストにとって、どうすることが一番よいのかを「考える」事が大切です。

僕の、今でも心がけている大切な、大切な言葉。
僕は朝、昼、夜の3交代制の夜が多かった。
あの頃一緒に働いていた、多くの人たちは今でもゲストにハピネスを届けているのでしょう。
最後にウォルトが贈る言葉です。

「ほら、見てごらんよ、こんなにたくさんのうれしそうな顔を見たことがあるかい?こんなに楽しんでいるところを…
わたしは、一人でも多くの人に、笑顔でパークの門から出ていってほしいんだ」

名古屋の「ごくつぶし」

先日、仕事も終わりに近づく雨がぱらつく夕刻、ふらりとお店のドアが開きました。
壁一面に飾られるアメリカの情報誌「LIFE」を眺めていました。
「昔あつめてたんだよねー」っと、1950年代のアンティーク本を横目に振り替えられました。
不精髭に目の輪郭がぎりぎりの濃いめのサングラス、パンツからシャツまで70年代のウッドストックから抜け出てきたような出で立ち。
その外見とはよそに、非常に物腰柔らかく素敵な笑顔。
ちなみに、奥にいる方。
なんでも、名古屋で「ごくつぶし」というメンバーで活動していたが、上京してきたということ。
最近、人とつながりを持つときには、あれこれ聞きすぎることは控えている。
その人本人が持つ「パーソナリティ」。
長い年月を生きるほど、熟成され生きた樽の匂いを含んだウイスキーのように自然に香るものだと思う。
甘いだけでなく、苦さ、コク、フルーティーな清涼感、人それぞれだと思う。
ゆったりと、施術しながらの会話から昔は本気の野球少年、同い年だったということもあり時代の流れを感じられました。(まさにスポ根)
いろいろな人生を精いっぱい歩み、酒とタバコとROCKと一片の詩。
高円寺にはこういう素敵な出会いが、用意してくれる。