2人の伊達男への憧れが“フレンチシック”という理想像をつくった。

1980年代に日本で巻き起こったフレンチブームは、のちに“フレンチシック”というような言葉で表されるが、結局のところ、どういったスタイルのことを指すのか、実態はなかなか掴みがたい。
ふたりのアイコンを通して、日本におけるフレンチシックがどのようなものだったかを見ていこう。

Serge Gainsbourg セルジュゲンズブール

1928年、パリ生まれ。歌手・作曲家・映画監督・佛優など、マルチな才能を発揮していた。稀代のモテ男であり、その独特な着崩しから、たびたび”ノンシャラン”の代名同として挙げられる

ノンシャランとミックス感が肝。

端的に言えば “フレンチシック”とは、80年代に日本人が憧れた”フランスっぽい”スタイルのことを指す。
しかしそれは、アメカジほど分かりやすいものではなく、実態は極めて複雑で曖昧だ。
もし「”フランスっぽさ”とはなにか」ということからその実態に迫るとすれば、おもに2つのキーワードがあげられる。
“ノンシャラン”と”ミックス感”である。
ここでは、そのふたつのキーワードを紐解くため、セルジュ·ゲンズブールとポール·ウェラーを重要人物として挙げ、ふたりを深く知るオーベルジュの小林さんに話を聞いた。


“ノンシャラン”と言えば、50年代後半からヌーヴェルヴァーグで活躍したジャン=ポール·ベルモンドなどまで遡ることができるが、その少し後に、ノンシャランをより分かりやすく体現した人物がいた。
セルジュゲンズブールである。


「まず彼は服をちゃんと着ません。 いわゆる共通ルールに従うのではなく、”マイルール”を強く持っている人。
たとえばシャツをはだけさせたり襟を立てたり、当時極めて難易度の高かったブリーチジーンズを愛用していたり。
ここまで”オレ式”を貫いて説得力があったのは、ゲンズブールぐらいだと思いますね。
ノンシャランな人として挙げられますが、決してだらしないわけじゃなくて、おそらく陰ながらファッションに関して努力していたんでしょう。


それをおくびにも出さず「おれはこういうスタイルだから」で突き通せるところが本当の”ノンシャラン”なんですよね」
一方、フレンチシックなる言葉が生まれた最大のきっかけとなるのが、1984年にリリースされたスタイル·カウンシルによるアルバム『カフェ·ブリュ』。
フロントマンであるポール·ウェラーの着こなしは英国人ながら実に”パリっぽい”とされた。
「’80年代前半、ジャズ·ソウルなど世界の音源を発掘しDJがクラブで編集してかけるというカルチャーが生まれました。
それまで英国やフランスで流行していたパンクに変わって、クラブカルチャーのようにもっと幅の広いメトロポリタンな音楽性がロンドンで受け入れられるようになると、そこにポールが食いついたんです。
そんな背景もありながら製作された『カフェ・ ブリュ』。
“世界の優れたものをミックス”した音楽性をビジュアル面で表現するにあたり、DJ的·編集的な考え方やファッションに長けていたのは、彼のなかではロンドはなくパリだったんだと思います。
英国人がこれをやってのけるという”ミックス”の感覚は実に”フレンチシック”的だと思います」
このふたりの伊達男をはじめとするフランス人の粋なスタイルに憧れた日本人は「ビームス」や「シップス」などのセレクト店、『ポパイ』『ホットドッグプレス』などのメディアを中心に、フレンチスタイルの,教科書づくりを進める。
しかし、セルジュに倣えばフレンチシックとはあくまで”俺の流儀”の自己発信。
男の数だけ様式美があるはずで、さらに言えば人と被る事も忌み嫌う。
そんなパリジャン達のスタイルブックが分かり易いはずがない。