Novelle Vague ノンシャランを世界にさらけ出したヌーヴェルヴァーグ

Novelle Vague ノンシャランを世界にさらけ出したヌーヴェルヴァーグ。

1950年代後半ごろに興った“新たな波”を意味する映画運動、ヌーヴェルヴァーグ。
映画の枠を超えて社会·文化に大きな“うねり”を生んだこの出来事は、
フランスのリアルなファッションが、世界へと広まっていくきっかけとなる。

ヌーヴェルヴァーグが映すフランスのリアル。

日本人が抱く、いわゆるノンシャラン(無頓着)なフレチスタイルのイメージについて語ろうとすると、実は1950年代末のヌーヴェルまで遡る必要がある。
そもそもヌーヴェルヴァーグとはフランス語で『新しい波, を意味し、それまでの映画の概念を根底から覆そうとする運動のこと。
ジャン =リュック·ゴダー ルやフランソワ·トリュフォーが代表的な監督として挙げられるが、彼らはもともと『カイエ·ドゥ・シネマ』という映画批評誌において、批評家として映画について論じていた、言わば”ただの映画マニア” たちだ。
そんな彼らが自主的に製作した作品が『勝手にしやがれ』や『大人は判ってくれない』だったのである。
当時の世界情勢を考えると、ヌーヴェルヴァーグが起こったのは必然だった。
’50~’60年代は、戦後高度経済成長期に育ったベビーブーマーたちによる旧体制への反抗の時代で世界のあちこちで革命が起こっていた。
キューバ革命や中国の文化大革命をはじめとして、アメリカとソ連は冷戦中であり、日本でも1959年と1970年に安保闘争が巻き起っている。
フランスでは、1968年5月に学生たちが主導する”5月危機”が勃発。
彼らは「平等・自由・セクシャリティ」をスローガンとして掲げ、社会や政府の旧体制に抗っていた。
すなわちこの当時、世界全体が “革命”のムードの中にあったの だ。
一方で、このような社会情勢とは切っても切り離せない関係にある映画や音楽などの文化·芸術も、”旧”から”新”への転換期。
ヌーヴェルヴァーグも、そんなカウンターカルチャーのなかの代表的な運動のひとつだ。
では、ヌーヴェルヴァーグはなにがそこまで新しかったのか。
それまでの映画作品は、作り込まれたセットや衣装のなかで演じる、たとえばミュージカルのような娯楽作品が主流だった。
また戦争に対する士気を上げるための、プロパガンダ的なニュース映画なども多く撮られていた。
戦後になると、古典的な小説や物語を映像として再現する文芸映画が増えていく。
トルーマン·カポーティ原作の『サウンド·オブ·ミュージック』や’30年代の実話をもとにした『俺たちに明日はない』などがその代表作だ。
そんな原作·脚本ありきの”作られた”映画ではなく、人間の本質をリアルに描こうとした先駆者がいた。
’40年ごろからアメリカで映画を撮っていたアルフレッド·ヒッチコックである。
一般に “サスペンス映画の監督”と思われている彼だが、実は「精神とは」「自由とは」という人間のリアル。 に迫った哲学的な作風が特徴なのだ。
そのような作風はそれまでの映画の在り方に比べると非常に斬新で、ヌーヴェルヴァーグの”映画マニア”たちにも多大な影響を与えた(実際にトリュフォーは、彼に密着して『映画術』という本を書いている)。
彼らはヒッチコックの作品のように、人間の “リアル”を描き出すことにこだわった。
セットの中ではなくロケ撮影であったり、それまで音声はアフレコだったもの
を同時録音にしてみたりと映画における新しい技法を次々と取り入れてみせた。
そしてなにより “リアリズム”を重視していた彼らの作品に出てくる登場人物は、着飾らない普通の人間たち。
言葉遣いも衣装も作り込まれたものではなく、当時の”今”を切り取ったものだったのだ。
ハリウッド映画の登場人物が、ブランドものでゴージャスにまとめたファッションだったのに対し、ヌーヴェルヴァーグは、一見服に頓着がなさそうな汚い恰好。
そんなリアルかつ自由な彼らの在り方を、世界に曝け出したのがヌーヴェルヴァーグの作品であり、このスタイルに影響を受けたブランドも多い。
1975年に自身のプランドを立ち上げたラランスを代表するデザイナー、アニエス ベーもヌーヴェルヴァーグが大好きだったという。
こうしてフランス人の”ノンシャラン”な恰好良さは、世界へと広まっていくになる。

勝手にしやがれ( À bout de souffle) ジャン=リュック・ゴダール
自動車泥博のミシェルは盗んだ車でパリに向かっている途中、追ってきた警官を射殺してしまう。
パリに着いた彼は、好意を寄せるバトリシアと共に時間を過ごそうとするが、刑事の捜索は続き…

大人は判ってくれない (Les Quatre Cents Coups) フランソワ・トリュフォー
12歳の少年アントワーヌは、厳しい母親とぱっとしない父親に育てられ、学校でも日々叱られてばかり。
親友のルネと会っている時間だけが、彼にとって有意義な時間だった。
しかし、ある日事件が起きる。

あこがれ( Les Mistons) フランソワ・トリュフォー
まだ初心な少年たちは、男心に突き動かされ美女ベルナデッドを追い回す日々を送る。
彼女と恋人がデートをしているところを見て規妬した彼らは、ふたりにいたずらをしてデートを邪魔することを決意する。

水の話 (Une histoire d’eau) フランソワ・トリュフォー ジャン=リュックゴダール
洪水に見舞われた町からパリへ逃れるために奮闘する女性を描いた作品。
ヌーヴェルヴァーグの巨匠ふたりによる共同監督映画で、トリュフォーが製作途中で放棄した映像をゴダールが編集することで完成した。

美しきセルジュ( Le Beau Serge) クロード·シャブロル
病気の療養のため放郷へ帰省したフランソワは、幼馴染のセルジュと再会。
恋人との子どもを死産してしまい、 アル中になっていた彼を教おうとするフランソワだが、セルジュは義妹マリーと関係を持っていた。

獅子座(Le Signe du lion) エリック・ロメール
収母の寛大な遺産を相続できると知った売れない作曲家のピエールは、友人を招いて大宴会を開催。
しかし遺産はすべて従弟の手に渡ることになり、 一転放浪生活を送る。
エリック·ロメールの長編処女作

パリはわれらのもの( Paris nous appartient) ジャック・リヴェット
パリにやってきた女学生アンヌは、小劇場に参加。
だが、上演の準備をしている間に不可解な事件が発生し、アンヌもそれに巻き込まれていく。
トリュフォーが資金提供、ゴダールは作品に出演している。

死刑台のエレベーター( Ascenseur pour léchafaud) ルイ・マル
動めている会社の社長夫人と不倫関係にあったジュリアンは、 社長を自殺と見せかけ殺害。
しかし運悪くエレベーターに閉じ込められてしまい、事態は思いがけない方向に。
音楽はマイルス ·デイヴィスが担当