Peter Brook ピーター・ブルック The Empty Space

1 退廃演劇

どこでもいい、なにもない空間-それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。
ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる-演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ。
ところがわたしたちがふつう言う演劇とは、必ずしもそういう意味ではない。
真紅の緞帳、スポットライト、詩的な韻文、高笑い、暗闇、こういったものすべてが雑然と、ひとつの大ざっぱなイメージの中に折り重なり、ひとつの単語で万事まかなわれているのである。
映画が演劇を殺す、などとわたしたちは言う。
そのときわたしたちが思い描いているのは、実は映画の草創期のころの演劇、つまり切符売場やらロビーやらリクライニング·シートやらフットライトやら装置転換やら休憩やら音楽やら、そういったものによって現わされる演劇であって、まるで演劇とは本来こういうものにほかならないのだといわんばかりだ。
わたしはこの言葉を四つに引き裂いて、四つの異なった意味を区別してみようと思う。
そこでわたしの話題は<退廃演劇><神聖演劇> <野性演劇><直接演劇>の四つになるはずである。
この四つの演劇は、場合によっては、ロンドンのウェスト·エンドに、またはニューヨークはタイムズ広場近くのブロードウェイに、四つそれぞれに仲良く隣合わせて実在することもある。
場合によっては、お互いに数百マイルもへだたって、かたや<神聖>はワルシャワに、かたや<野性>はプラハに、と離ればなれのこともある。
あるときはこれらの区別は比喩にすぎず、たとえばそのうちの二つがひとつの上演のなかに、ひとつの幕のなかに、ほざりあう。
またあるときは、まさにひとつの瞬間のうちに、<神聖> <野性> <直接><退廃>
の四つともが絡みあうだろう。
<退廃演劇>とは要するに悪しき演劇のことだ、だからあたりまえすぎて話にならぬ、と簡単に片づけることもできる。
確かに、これこそは、いちばんざらにお目にかかる種類の代物であり、軽蔑と攻
撃にたっぷりさらされているいわゆる商業演劇といちばん因縁が深いわけだから、いまさら批判してみても時間の浪費とも見えよう。
だが、<退廃>とは見かけによらぬ曲者で、実はどこにでも姿を現わすことができるのだということを悟ったとき、はじめて、わたしたちは問題の大きさに気づくのだ。
少なくとも<退廃演劇>の外的条件は、かなりはっきりしているとは言える。
世界のどの国でも、芝居の客は減っている。
ときおり新しい運動、すぐれた新進作家などが現われないわけではない。
だが全体としては、芝居は見る人の心を高めたり、頭を教化したりすることができなくなっている、いや、お客を楽しませることさえできなくなっている。
不純でごたまぜの芸術であるという意味で、演劇は<娼婦>なりと呼ばれることは珍しくなかった。
ところがいまや、これは別の意味であてはまる、すなわち、金を取っておいて、楽しみのほうはそそくさとすませてしまうのが娼婦の常というわけだ。
ブロードウェイの危機、パリの危機、ウェスト· エンドの危機、どれもみな同じことである。
なにもプレイ·ガイドの前売業者の言い草を拝聴するまでもなく、芝居は下り坂の商売と成り果てており、大衆はそれを嗅ぎつけている。
客の口ぐせは<娯楽>ということだが、実際の話、もし彼らが本気で「われらに本物の娯楽を」と要求したとしたら、さてどこからどう始めたものか、われら演劇人はみんなお手上げになるにきまっている。
真の喜びを与える演劇は不在なのだ。
なにも三流喜劇やまずいミュージカルだけが、木戸銭のただどりをしているわけではない。
<退廃演劇>は致命的な足取りをもって、グランド·オペラや悲劇にも、モリエールの芝居にもブレヒトの芝居にも、忍びこむ。
いうまでもなく、<退廃演劇>が最も確固として、最も居心地よく、そして最も狡猾に居坐るのは、ほかでもない、ウィリアム·シェイクスピアの作品の中である。
<退廃演劇>はいとも簡単にシェイクスピアに首ったけになる。
役者は上乗、装置その他も一見非の打ちどころがない、といったシェイクスピア公演をわたしたちは見る。
俳優たちは華やかで大いに張り切っているし、音楽もあるし、古典劇の傑作上演にいかにもふさわしく、誰も彼も立派ずくめの衣裳だ。
だが心中ひそかにわたしたちは、なんて耐えがたく退屈なんだ、と思う。
そしてその罪をシェイクスピアにあるいは演劇一般に、ときにはわたしたち自身にさえ、なすりつける。
かてて加えて始末のわるいのは、あのうんざりする退廃観客があとを絶たぬということだ。
つまりどういう格別な理由があるのか知らぬが、緊迫感のない舞台、いや娯楽的でさえない舞台がまさにお気に召すといった、救いがたい手合いのことである。
たとえば、古典劇の月並みを絵に描いたような上演を見終わって、いともにこやかに帰途につく学者先生。
彼の心をかきまわして、もう一度根本からことを考えなおさせるような事態がなにひとつ起こらなかったから、彼はご機嫌である。
ご愛唱の名台詞をそっと暗誦しながら、先生かねての持論を改めて確認に及ぶというわけだ。
彼が心の底から欲している演劇は、現実をこえた、いとも高貴なる演劇のはずなのだが, こんな1種の知的満足にすぎぬものを、彼は自分が望んでいる本物の経験だと錯覚している。
不幸なことに、学者先生の権威のおかげで退屈さに箔がついてしまい、かくして<退廃演劇>はめでたく生きのびるという筋書である。
毎年の成功作なるものを見ていると、まことに奇妙な現象に気づく。
大当たりをとった公演ならば、失敗に終わった芝居よりも、当然もっと活気とスピードと輝きに満ちているはずだと思うのが人情だろう-ところが必ずしもそうではないのだ。
たいていの芝居好きの都会でほとんど毎シーズン起こる現象だが、右の原則におよそあてはまらぬ大ヒットがひとつは必ずある。
退屈なのにヒットするのではなく、退屈だからヒットする芝居である。
なんのかのといっても、文化という観念は、人びとの心の中で、ある種の義務感や時代衣裳や長台詞や、さらには噛み殺されたあくびといったものと結びついている。
だから逆に言って、適度の退屈さこそ、有意義なひと晩を過ごしたという感じを抱かせる条件なのだ。
もちろん、退屈さの匙加減が微妙であって、どのくらいが適量か、その処方箋を決定することはできない。
多すぎれば観客は席を立ってしまうし、少なすぎれば主題が緊迫して不愉快だということになる。
だが、どうやら凡庸な作家たちにかぎって心得たもので、過たぬ勘によって完璧な処方を見つけ出すものらしい-そして彼らは拍手喝采に包まれた退屈なる成功のうちに、<退廃演劇>を不滅にする。
観客はといえば、彼らは演劇の中に、人生よりも<すぐれている>と呼べるような何ものかを求めている。
そして主さにそのために彼らは、<文化>あるいは文化的虚飾と、自分
たちの知らない何ものか、しかし存在するはずだとかすかながら予感している何ものかとを混同してしまいがちである。
その結果、彼らは劣悪なものをヒットさせることによって、ひたすら自己をたぶらかすという悲劇的な次第となる。
退廃、あるいは死ぬほど退屈という話のついでにひとこと言っておくと、生と死の区別は、人間については明言々だけれど、ほかのものについてはやや曖昧である。
医者がひと目見れば、まだ生きているか、命つきたもぬけの殻の屍か、すぐわかる。
しかし、ある思想とか態度とか形式とかが、生気満々からくたばりぞこないへと移ってゆく、その移り変わりを見抜くことには、わたしたちはそれほど熟達していない。
それは定義しにくいもの、しかし子供でも臭いでわかるものだ。
ひとつ例をあげよう。
フランスでは、古典悲劇を演ずるさい、二つの致命的に退廃した演じ方がある。
ひとつは伝統的なスタイルで、これは特別の発声、特別のしぐさ、高貴な表情、荘重で抑揚ゆたかな話しぶりなどを含む。
もうひとつは同じことの不十分な裏返しである。
王侯然としたしぐさや貴族然とした価値観は、急速に日常生活からなくなりつつある、そこで世代が新しくなればなるほど、荘重なスタイルはますます空疎に,すます無意味に見えてくる。
その結果、若い俳優は怒りをこめて、せっかちに、彼のいう真実なるものを探し求める。
韻文の台詞をなんとかもっと写実的にしゃべろう、うそいつわりのない日常の言葉のように響かせよう、としたがる。
ところが、格式ばった文体はあまりにも厳格であって、とうてい彼の扱い方ではさばききれない。
とどのつまり彼は、日常会話みたいに軽快でもなければ、いわゆる大根役者みたいに芝居気たっぷりに荘重でもない、ぎごちない妥協に追いこまれてしまう。
で、彼の演技は薄弱なものとなり、それなりに強烈であった大根役者の芸がなつかしがられることになる。
必然のなりゆきとして、悲劇は再び<原典に即して>演ぜられるべきだと主張するものが現われる。
これはこれでまことに結構なことだ。
しかし不幸なことに、活字からわたしたちが知ることができるのは、紙に何が書いてあったかということだけで、それがかつてどのように命を吹きこまれていたかということはわからない。
レコードもテープも残っていない。
ただ専門家がいるだけ、それも直接の知識をもっているものはもちろんいはしない。
昔そのままの本物の遺品はすべて消滅しており、あるのはいくつかの模造品だけだ。
たとえば伝統的演技の俳優。
彼は昔ながらの演技な繰返しつづけるが、その発想の源はといえば、何らかの現実の根拠ではなく、ひと昔まえの長老の俳優の発声の記憶といった仮空の根拠にすぎない。
その長老の発声にしてからが、そのまた先輩の流儀の記憶だったわけだ。
わたしはまえにコメディ·フランセーズ一座の稽古を見たことがある。とても若い俳優がとても年をとった俳優のまんまえに立って、まるで鏡に映った影よろしく台詞としぐさを真似ていた。
これは、たとえば、日本の能の役者が父から子へ奥義を口伝してゆくあの偉大な伝統とまったく別のもので、それとこれとを混同してはならない。
能の場合は、口伝されるのは意味である-そして意味とは決して過去のものではない。
それはひとりひとりがおのれの現在の体験の中で検証できるものだ。だが演技の外面を真似ることは、固着したスタイルを受けつぐことにすぎない。
そんなスタイルは他のなものにも関係づけることはできないだろう。
シェイクスピアについても、わたしたちは同じ忠告を聞かされたり読まされたりする「書かれてあることを演じたまえ。」
しかし書かれてあることとは、いったい何だろう?紙の上の記号だ。
いわゆるシェイクスピアの言葉とは、語られるものとして彼が意図した言葉、人びとの口から音として発せられ、強弱や休止やリズムや身ぶりを意味の一部としているような言葉、その記録されたものにすぎない。
言葉は初めから言葉としてあるのではない。
それはまず衝動として出発したあるものの最終的産物であり、表現を求めてやまぬ態度なり行動なりがそれをつき動かしているのである。
この過程は劇作家の内部で起こる。
そして俳優の内部で繰返される。
両者とも意識しているのは言葉だけかもしれない。
だが作家にとっても、次に俳優にとっても、言葉は目に見えない巨大な生成過程の、目に見える小さな部分にすぎない。
自分の意図や意味を、ト書や解説によってはっきり固定しようとする作家もいるけれど、すぐれた劇作家ほど自作の解説をしないものだという事実を、わたしたちは感動をもって認めないわけにはいかない。
すぐれた劇作家たちは知っているのだ-それ以上の説明はおそらく無駄である、そしてひとつの言葉を正しく語ろうとするものは、それを生み出したもとの創作過程に見合うような過程をくぐらなければならない、ということを。この過程を通らずにすませたり、あっさりと簡略化することはできないのだ。
残念ながら、恋人が語り始め、国王が口をきったとたんに、わたしたちは急いでレッテルを貼ろうとする―恋人は<ロマンティック>だ、王様は<高貴>だ、と。
自分でも気づかぬうちに、わたしたちは、ロマンティックな恋とか帝王的な高貴さとか王子らしい風格とか、まるでそういうものを手に握り、かざして、俳優たちに指し示すことができるかのように語っている。
しかしこういう観念は実体ではない。
そんなものは存在しないのだ。
そういうものを探すとすれば、せいぜい書物や絵画をたよりに臆測をたくましくして、でっちあげるのが関の山だ。
<ロマンティックなスタイル>で演じてくれと俳優に頼んでみたまえ、彼は待ってましたとばかりやってのけるだろう。
すっかり合点しているつもりなのだ。
しかし実際のところ、彼は何をよりどころにしているのだろう? やま勘、想像、演劇関係の回想記のたぐいの切り抜きなどなど、こういったものから漠然たる<ロマンティック>の観念を得て、それを、彼がたまたま尊敬する先輩俳優のひそかな模倣と蓬あわせるだけである。
彼が自分自身の体験を掘り下げるとすれば、その結果が戯曲の本文とうまく合わないかもしれないし、また逆に、これが本文だと彼が思うところをただ演ずるとすれば、結果は誰かの真似か、型にはまったる となるだろう。
どっちにせよ、中途半端な妥協であり、観客を納得させることはまずないと言っていい。
わたしたちが古典劇に対して用いる<音楽的><詩的><写実をこえた><高貴な><英雄的><ロマンティック>などの形容詞に何か絶対的な意味がある、などと主張しても無意味である。
それらはある特定の時代の価値判断の態度の反映にすぎず、今日そういう規準に合うような演技作りを試みたりすれば、それは退廃演劇にいたる最も確実な道であること、うけあいである。
退廃演劇が結構生ける真実として通用するのは、お上品ぶった趣味のおかげによるだけのことだ。
この問題について、まえに講演をしていたときのことである。
わたしはひとつ実験をしてみた。
運のいいことに、聴衆の中に『リア王』をほだ読んだことも見たこともない女性がひとりいた。
わたしは彼女にゴネリルの最初の台詞を与え、彼女がその内容について思うままに、その台詞を朗読してみてくれと頼んだ。
彼女はなんの飾りけもなく朗読した、するとこの台詞がじつに雄弁と魅力に満ちたものに聞こえたのである。
そこでわたしは、実はこれは性悪女の語る台詞ということになっている、だからいちいちの文句を、猫をかぶった偽善者のものとして読んだらどうだろう、と彼女に示唆した。
彼女はそうしようと努めた。
すると、ひとつの定義に合わせて演じようとした途端に、言葉の素朴な響きに対して, いかに硬直した不自然な争いが始まるか、聴衆はありありと見てとったのである。

わたしは、言葉ではどうにも表わせぬくらい、あなたを愛しています。
自分の視力や、空間や、自由よりも、もっと愛しています。
すばらしいとか珍しいとか、およそ値打ちの測れるどんなものにもまして、命と同じくらい、やさしさや、健康や、美しさや、名誉にも劣らぬほど、どんな子供がどんな父親に捧げた愛にもまさって、吐く息も貧しくなり、言葉も萎えてしまうほどの愛をもってどんな仕方でもかなわぬくらいに、わたしはあなたを愛しております。
みなさんもご自分で試してごらんになるとよろしい。
この台詞を舌の上で転がしてごらんなさい。これはよさしく、教育ある、折目正しい、人の前で意見を述べることに馴れた女性、社交の才があり落ちついた女性の言葉で電彼女の性格がどんなものか、わたしたちにはその外側が示されているだけであり、そのかぎりでは優雅で好ましいものと思われる。
だが、この台詞をいかにも陰険な悪女らしくしゃべるゴネリル役者の演技を思い浮かべてみたまえ。
そして改めてこの台詞を読みなおしてみたまえ。
すると、いったいこの台詞のどこに、そんな演技を誘うものがあるのか、およそ合点がいかなくなるはずだ!あるとすれば、シェイクスピアの倫理観についての先入主があるだけの話ではないか。
じっさい、ゴネリルがこの登場したての場面で<人間ばなれした悪女>めいた演技をせず、ただ台詞の中身のままに演ずるとすれば、この芝居全体のバランスが変わってくるだろう。
その後の場面でも、彼女の悪業とリアの受難は、一見思われるほど残虐でも単純でもなくなってくる。
いうまでもなく、芝居の終わりにいたるまでにわたしたちは、ゴネリルがその行為によって密さに<人間ばなれした悪女>になることを知る―しかしそれは本物の、複雑な、迫力のある、悪女だ。
生きた演劇においては、前の日に発見したものをまた検証しなおし、作品の真髄をまたしても摑みそこねたのではないかという反省を恐れない態度で稽古にのぞむ。
ところが、退廃演劇では、その芝居はどう演じられるべきかを、どこかの誰かがすでに発見し定義しているのだ、といった立場から古典を眺める。
この問題は、様式という曖昧な呼び方をされているものにつきものである。
どの作品にも、それ以外のものではありえないという独自の様式があり、どの時代にもそれ自身の様式がある。
ところがこの様式を釘づけし固定しようとすると、たちまち失敗する。
まざまざと思い出すが、北京オペラのロンドン公演のあとをすぐ追いかけて、ライヴァルの台湾からもオペラ団がやってきたことがある。北京の劇団は、その伝統の源との接触をいまだに失っておらず、その古い型を毎夜の公演ごとにあらた創りなおしていた。
台湾の劇団は、同じだし、ものではありながら、それらの思い出を模造し、いくつかの細部で手を抜き、俗受けのする部分を誇張し、内なる意味を忘れ果てていた―あらたに生まれ変わってくるものが何もないのだ。
見なれぬ異国の様式とはいうものの、生きているものと死んでいるものとの違いは見まがうべくもなかった。
北京オペラというものは、世代とともに外的様式が変わるということのない演劇の典型だった。
ほんの二、三年まえまでは、あまりに見事な凍りつきようなので、未来永劫このままでゆくだろうと思われたものだった。
今日では、この立派な遺物も消え去った。
その寿命を越えてなおも、記念碑のように生きながらえてきたのは、その強さと質のせいだった。
だがついに今日、それと、それをとりまく社会の生命との間の裂け目が大きくなりすぎたのだ。
紅衛兵の中国は昔の中国ではない。
伝統的北京オペラの根底にある態度や意味は、いまこの国民が生きている新しい思想的状況にとって、ほとんど関連するところがない。
今日の北京では、皇帝や王女たちは地主や兵士たちに取って代わられたのであり、昔変わらぬあの信じられないほどのアクロバットの芸も、昔とは大違いの主題を語るために用いられるのだ。
西洋人の目には、これはまことに恥ずべき堕落と見える。
そしてわたしたちは洗練された文化的な涙を流したくなる。
もちろん、この奇蹟的ともいうべき遺産が破壊されたのは悲しいことだ。
しかしわたしには、みずからの誇るべき所有物に対する中国の人びとのこの仮借なき態度こそは、生ける演劇というものの核心的意味に迫るものだと感じられる。
演劇とはいつだって自己破壊的な芸術なのだ。
それは常に風に記された文字なのだ。
職業としての演劇は夜ごとに違う人間たちを呼び集め、行為という言葉で彼らに語りかける。
ひとつの上演方法が定まり、そして繰返されるのがふつうである。
しかもなるべく正確に繰返されなければならない。
しかしそれが定まってしまったその日から、目に見えない何かが死にはじめるのである。

Ⅱ 神聖演劇

<神聖演劇>という手短かな言い方をしてみたけれど、これは言いかえて<目に見えぬものが目に見えるようになる演劇>と呼んでもいいのだ。
舞台とは目に見えぬものがあらわになる場所である、という考えはわたしたちの心を深く捉えずにはおかない。
生の大部分がわたしたちの五感をすべりぬけてしまうのを意識していない人はいないだろう。
さまざまな芸術の根本を定義したければ、おそらくこう言うにしくはない―ある型がリズムとして、またはとして、みずからを現わしたとき初めてわたしたちはその型を認識する、芸術とはそういう型について語るものだ、と。
人間、群集、歴史の行動がこのような型に繰返し従うものだということを、わたしたちは観察する。
旧約聖書によれば、トランペットの音がジェリコの城壁を崩壊せしめたという。
白い蝶ネクタイに燕尾服の人間たちが、吹いたり、叩いたり、ひっかいたり、手をふったりするとき、音楽という名の魔術的なるものが生まれ出ることをわたしたちは認める。
それを生み出す媒体の荒唐無稽さにもかかわらず、音楽における具体的なるものを通して、わたしたちは抽象的なるものを知る。
なんの変哲もない男たちとその不格好な道具たちが、ひとつの魅惑的な呪術によって奇しき変身をとげることを、わたしたちは理解する。
わたしたちは誰それの指揮者を偶像的に崇拝したりする、しかしわたしたちは、彼が音楽を作っているのではない、音楽が彼を作っているのだということを知っている。
彼が肩に力を入れず、音に対してみずからを開き、調和しているならば、そのとき目に見えぬものが彼をとらえ、彼にのりうつるだろう。
彼を通して、そのものはわたしたちに届くだろう。
<退廃演劇>の堕落した理想の背後にある観念、真の夢も、実はこれなのだ。
高貴さとか、美とか、詩とかいう壮大で曖昧な言葉(それらがどんな具体的な質を示そうとするものなのかを、わたしは再検討するつもりだ)を、心から誠実に使う人がいるが、そういう人が心に喚びおこし思い描いているものも、またこれなのだ。
人間がつどい語り合うところ必ずや実在論が支配する現代において、劇場とは観論がいまだに引導を渡されずに生き残っている唯一の場所である。
自分の生身の経験にかけて断固として次のように答える観客は、世界のいたるところに少なからず存在するだろう―実生におけるわたしの経験を超える舞台上の経験、それを通してわたしは目に見えないものの相貌を見たのだ,と。
彼は主張してや主ないだろう 『オイディプス王』なり『ベレニス』なり『ハムレット』なり「三人姉妹』なりが美しく愛をこめて演じられたとき、わたしの精神は火と燃え、毎日の単調と索漠が必ずしもすべてではないことを思い出すのだ、と。
こういった観客が現代演劇の糞リアリズムや残酷さを非難するとき、彼らの言わんとしているのは実はこのことなのであり、その心根はまことにあっぱれというしかないのだ。
彼らは思い出す、戦争のさなか、色と音,音楽と動きにみちにロマンティックな芝居が、どんなに彼らの渇ききった生活にうるおいをもたらしたかを。
あのころ、それは逃避と呼ばれたものだ、しかしそんな言い方ではとうてい急所をつくことはできなかった。
たしかに逃避ではあった、しかし主たそれはもう一つの世界の思い出草、牢獄に飛びきたった一羽の雀でもあったのだ。
戦争が終わったとき、演劇はそれらの戦時中の価値を再び取り戻そうとして、以前
にもまして激しい努力を見せた。
一九四○年代後半の演劇は多くの栄光に飾られている。
ルイ·ジューヴェ、クリスチャン·ペラール、ジャン·ルイ·バロー、バレーでは装置のアントニー·クラヴェ、モリエールの『ドン·ジュアン』と『アンフィトリオン』、ジロドゥーの『シャイヨーの狂女』、「カルメン』、ジョン・ギールグッドによるオスカー·ワイルドの『まじめが大切』の復活上演、オールド·ヴィック座におけるイプセ
ンの『ペール·ギュント』、ローレンス·オリヴィエ主演の『オイディプス王』、同じくオリヴィエの『リチャード三世』、クリストファー·フライの『その女焼くに及ばず』や『金星観測』、コヴェント』ガーデン王立歌劇場ではファリアの『三角帽子』の鳥籠の下で十五年前さながらの踊りを見せたレオ・ニード·マシン-これこそは色彩と動き、美しい織物、影、途方もない言葉の洪水、飛躍する思考、奇抜な装置、軽やかさ、そしてあらゆる形の不可思議と驚異にみちた演劇であった。
これこそは打ちのめされた ッパがい老ひとつの目標を分かちあうかと見えた時代の演劇であり、失われた恩寵の思い出に向かって必死にさしのべられた腕にほかならなかった。
一九四六年のある午後、わたしはハンブルクのレーパー通りを歩いていた。
湿った、うっとうしい霧が、狂おしげな不具の娼婦たちを包んでうごめいていた。
松葉杖をついているのもいる。
黄ばんだ鼻、落ちくぼんだ頰。
と、わたしは一群の子供たちがひどくはしゃぎながら、あるナイト·クラブの玄関に殺到するのを見た。
わたしもあとについて入った。
舞台は光り輝く青空だ。
金ピカ衣裳をつけた2人の薄汚ない道化がペンキで塗った雲に乗っており、これから<天の女王の聖母マリアさま>のところへ出かけようというところである。
「女王さまには何をおねだりしたらよかんべえ?」とひとりが言った。
「晩めしにきまってらぁ」と相棒が答えると、子供たちはきゃあきゃあ叫んで大賛成。
「晩めしには何が出るだんべえ?」 「ハム、レバーの腸詰、… 」と手に入らぬ食べもののありったけを道化が並べたてる、とやがて、はしゃいだ喚声はゆっくりと水を打ったような静寂に変わっていった!この静寂はついに深い、そしてまさしく演劇的な沈黙へと行きついた。
そこにない何ものかへの欲求に応えて、あるひとつのイメージが現実のものと化しつつあったのである。
ハンブルク·オペラ劇場の焼け落ちた鉄傘の下で、ただひとつ舞台だけが残っていた。その舞台の上に観客の群れが身を寄せあっていた。
奥の裸の壁を前にして、ウェファースのようにやわな装置の上を、歌手たちはよじのぼったり這いおりたりして、『セヴィリアの理髪師』を上演していた。
彼らがつどい、彼らが歌うのを、何ものも妨げることができなかったのだ。
また、あるちっぽけな屋根裏部屋では、50人の観客がひしめきあい、残るわずかな面積の中で、数人の卓越した俳優が断固として自分たちの芸術を実践しつづけていた。廃墟と化したデュッセルドルフでは、密輸商と盗賊をめぐるオッフェンバッハの小品が小屋を歓喜であふれさせていた。
議論すべきことなど、分析すべきことなど、何もなかった-その冬のドイツでは、その二、三年前のロンドンと同じように、演劇はひとつの渇きに応えていたのである。
その渇きとは、しかし、いったいなんだったのだろう?目に見えぬものへの渇き、日常生活の最も充実したものよりもなお深いもうひとつの現実への渇きだったのか、
それとも不足している生活必需品への渇き、ありていに言えば、現実に対する緩衝装置への渇きだったのか? これは重要な問いだ。
というのは、こんなふうに思いこんでいる人びとが少なからずいるからである-ごく最近まで、ある価値、ある練達、ある技をそなえた演劇が存在していたのだ、それをわたしたちはたぶん気まぐれにぶちこわしたり、投げ捨てたりしてしまったのだ、と。
ノスタルジアにやすやすとたぶらかされてはならない。
ロマンティックな演劇の最良のもの、オペラやバレーの洗練された快楽でさえも、結局のところ、神聖な起源をもったひとつの芸術が哀れにもしぼみ果てた姿にすぎない。
あまたの世紀をへるうちに、オルペウスの秘教的祭儀は豪華特別公演に変わり果てた。
ゆっくりと、それと気づかぬうちに、酒は一滴一滴と薄められてきたのだ。
ひとむかし前は、カーテンがある種の演劇のすべてを象徵する偉大なシンボルだった―深紅のカーテン、フットライト、みんな子供にかえったのだという感じ、ノスタルジア、魔術、これらがすべて分ちがたく結びついていた。
ゴードン·クレイグは現実そのままという幻想に頼った演劇をこきおろすのに一生を費やした男だったが、その彼のいちばん切ない思い出はといえば、ペンキを塗りたくった木であり森であった。
だまし絵の背景がどんなに効果的だったかを語るとき、彼の目は輝いた。
しかしやがて同じ深紅のカーテンがもはや何の驚きをも秘めず、わたしたちがもはや子供にかえることを願いもせず、必要ともしないときがやってきた。
安っぽい魔術がよりきびしい常識に降参するときがやってきた。
そのときカーテンは引きおろされ、フットライトは取りのぞかれた。

Ⅲ 野性演劇

救いはいつも大衆演劇からやって来る。
時代の変化につれて、それはさまざまなかたちをとってきた。
そして、そこに共通する要素はただ一つ―野性である。
汗とあぶらとざわめきと体臭。
劇場の中にはない演劇、荷車や馬車や組立てた足場の上の演劇、そして観客は立ったままでいたり、酒を飲んだり、テーブルに向かっていたり、時には半畳を入れたり叫び返したりするような演劇。
裏の部屋や階上の部屋や納屋で行なわれる演劇。
引き裂いたシーツをピンで留めてホールを仕切り、急いで衣装を替えるのを隠すために古びた衝立をおいただけの、一夜興行。
演劇という包括的な1つの言葉は、こういうもののすべてを、そして同時に、きらめくシャンデリアをも、含むのである。
わたしはこれまでに、新しく劇場を建てようとしている建築家と、むなしい話し合いをしたことが何度もある。
門題はよい建物か悪い建物かといったことではないのだというわたしの信念を、なんとか言葉で伝えたいと思うのだが、どうしてもうまくいかない。
建物が美しくても生命力の爆発が起こらないこともぁる。
逆に、でたらめに選んだホールがすばらしい集会場になることもある。
ここに、劇場というものの不思議がある。
だがこの不思議が解明できなければ、劇場建築が一つの科学として体裁を整えうる
望みはない。劇場以外の建築の場合、設計の意図ないし丹念さと機能の優秀性との間には相関関係がある。
たとえば、すぐれた設計の病院はいい加減な設計の病院よりも実用的であろう。
だが、こと劇場に関するかぎり、設計という問題を論理的に考えることがそもそも無理なのだ。
建物はどういう条件をそなえていればよいかとか、それをうまく組合せるにはどうするのがいちばんかとかいったことを、ただ分析的に述べれば、それですむというものではない。
そんなことをしても、ありきたりでどっちつかずの、しかもたいていは寒々としたホールができ上がるのが、落ちである。
劇場建築の科学を体系化するために考えねばならぬ問題は、人間同士の最も生気ある関係をもたらすものは何か―これである。
そしてこういう関係を生むには、不均整がーいやそれどころか無秩序が 最も有効なのか。
もしもそうなら、この無秩序の掟はどういうものか。
建築家は、ちょうど装置家のように、ボール紙を破ったものを直観にもとづいて動かしながら仕事をした方が、コンパスと定規で描いた設計図にもとづいて模型を作ったりするよりも、うまくいくはずだ。
糞がよい肥料になることがわかったら、変に潔癖ぶらない方がよい。
劇場にはある種の粗野な要素がどうしても必要であることがわかったら、それを演劇本来の土壌の一部として受け入れねばならない。
電子音楽が作られ始めた頃、ドイツのいくつかの音楽工房は、自然の楽器の音などすべて合成できる、いやもっとよいものにしてみせられると主張した。
ところが、こうして合成された音には、一様にある不毛さが漂っていることがわかってきた。
そこで、クラリネットやフルートやヴァイオリンの音を分 析してみたところ、どの音
にもかなりの割合でただの雑音がまじっていることが判明した。
楽器を文字どおりひっかく音とか、激しい息づかいと木管楽器の響きとがまじった音とかである。
純粋主義者の立場からすれば、こういうものはただの夾雑物にすぎない。
しかし作曲家たちは、みずからの作品を<人間的>なものにするには、夾雑物を合成するほかないことを知った。
建築家たちはいまだにこういう根本原理を知らない。
その結果、最も重要な演劇的実験は演劇のために作られた場所の外で行なわれるという事態が、何度も何度も生じてきた。
ゴードン·クレイグはハムステッドの教会で行なったほんの二、三の公演によって、半世紀にわたってヨーロッパ演劇に影響を与えつづけた。
―たとえば、プレヒト劇の特徴になっている白い引幕は、教会では壁から壁へ針金を渡さねばならなかったという、まったく現実的な理由から圭れたものである。
野性演劇は民衆に近い。
それは人形劇であることもあれば、ギリシャの村ではいまだに行なわれているような影絵芝居であることもある。
いずれにせよそれは、普通はいわゆるスタイルというものを欠いているところに特色をもっている。
スタイルが成り立つためには余裕が必要だ。
何かを荒削りな状態でなしとげるのは、革命のようなものだ。
つまり、手近にあるものはなんでも武器となりうるからである。
野性演劇はえり好みをしない。
客席がざわざわしている時には、その場面のスタイルの統一を守ろうとするよりも、騒いでいる連中をどなりつけたり、即席でギャグを考え出したりすることの方が、もちろん重要である。
贅沢が許される高級な演劇の場合には隅々まで統一を行きわたらせることもできる。
だが野性演劇においては、戦争のためにバケツを叩き、恐怖で青ざめた顔を表わすためにメリケン粉を使うことになる。武器は無限にあるのだ。
プラカード、世相への言及、その場所でだけ通用する冗談、偶然の出来事の利用、歌、踊り、テンポ、騒音、コントラストの使用、簡略化された誇張、つけ典型にはまた人物、詰物をした腹、その他なんでもよい。
スタイルの統一から解放された大衆演劇は、実際には高度に洗練された、しかも様式
的な原則によって成り立っているのである。
大衆の観客は、普通は、アクセントや衣裳の不統一を抵抗なく受け入れ、マイムと対話、リアリズムと暗示の間を、難なく進んで行くものである。
彼らは、ある一連の規準が破壊されているという事実に気づくこともなく、物語を追って行く。
マーティン・エスリンが『不条理の演劇』の中で書いていることによると、サン·クエンティン刑務所の囚人たちは、生まれて初めて芝居を見、だしものが、『ゴド-を待ちながら』であったにもかかわらず、通常の観客には難解でならない内容に、何の苦労もなくついて行ったということである。
シェイクスピア再生運動の先駆者の一人に、ウィリアム·ポールがいる。
わたしはかつて、ポールが演出した『空騒ぎ』に出演したある女優から、話を聞いたことがある。
それはおよそ五○年前、ロンドンのどこかの陰気な会場で一晩だけ上演されたものであった。
最初の稽古の時に、ボールは切り抜きをいっぱい入れた鞄をもって現われ、その中からさまざまな写真や絵や、雑誌から破りとった挿絵などをとり出した。
「これがあなたです」、そう彼は言って、彼女に王室主催の園遊会を機会に社交界にデビューする若い娘の絵を渡した。
彼が渡すのは、鎧を着た騎士であったり、ゲインズバラの描いた肖像画であったり、あるいはただの帽子であったりした。
こうして極めて単純なやり方で、彼は自分がこの戯曲を読んでそれをどう受け取ったかを、表現していたのだった。
つまり、歴史だの時代背景だのに関する知識を詰め込んだ大人の立場からでなく、
子供がやるように直接的にそうしたのである。
知人の女優の話によれば、前ポップ·アート的なこの寄せ集めは、全体としては驚くべき統一性をもっていたということである。
きっとそうだったであろう。
ポールは偉大な革新家だったから、首尾一貫性は真のシェイクスピアのスタイルとは関係がないことに気づいていたに違いない。
わたしが以前に「恋の骨折損』を演出した時には、警官ダルという人物にヴィクトリア朝の警官の服装をさせた。
彼の名前を見て、すぐに典型的なロンドンの巡査のすがたが目に浮かんだからである。
他の理由から、残りの登場人物はヴァトーの絵に現われるような十八世紀の衣裳をつけた。
だが誰も時代錯誤を意識したりはしなかった。
ずっと昔にわたしが見た『じゃじゃ馬たらし』の舞台では、俳優たちはすべて自分が捉えた人物の像に従って衣裳をつけていた。
カウボーイや、ボーイの制服のボタンがちぎれんばかりの肥った人物が出ていたことを、わたしはいまだに覚えている。
そしてこれは、わたしがこれまでに見たこの戯曲の上演としては、群を抜いてすばらしいものであった。
もちろん、野性を尖鋭にするのは、たいていの場合は夾雑物である。
不潔さや卑俗さは自然であり、猥褻さは喜ばしい。こういうものをそなえている時、芝居は社会的にみて人間を自由にする役割をもつようになる。
なぜなら大衆演劇とは本来、反権威主義的で反伝統的で、虚飾や見栄を嫌うものだか
らである。
それは騒音の演劇だ。
そして騒音の演劇は喝采の演劇である。
多くの演劇書には、2種類の恐ろしい仮面の絵がのっていて、読者をにらみつける。古代ギリシャでは、この二つの仮面は悲劇と喜劇という二つの対等な要素を表わしていたということである。
少なくとも、二つはいつも対等の相手として描かれている。
だがそれ以後の時代において、<本格的>な演劇だけが重要なもので、野性演劇は真剣さにおいて劣ると考えられるようになった。

Ⅳ直接演劇

劇場というものが極めて特殊な場所となりうることには疑いがない。
それは拡大鏡のようでもあり、縮小レンズのようでもある。
それは小さな世界であるから、容易に矮小な世界になりうる。
それは日常生活と違っているから、人生から切り離されたものに簡単になってしまう。
他方、わたしたちの生活は次第に村や近隣を離れて、無限定で全地球的な社会へ移っているのに、劇場社会は少しも変わっていない。
ある劇の出演者の数は、昔も今もまったく同じなのだ。
劇場は人生を限定する。
この限定作用はさまざまの点で起こる。
実人生においては、ある一つの目標だけを抱いているのはいつの場合にも困難だ。
だが劇場においては目標は明らかである。
最初の稽古の時から、目標は終始目に見えそれほど遠くないところにある。
そしてそれはあらゆる人間をまきこむ。
そこには多くの典型的な社会的パタンの動きが認められる。
初日の緊張は誰にとっても重荷だから、その結果、協力や献身やエネルギーや他人の必要に対する思いやりといったものが、生まれてくる。
政治家にとっては羨ましい状態だが、戦時を除けば、こういうものが国民の間に呼びさまされることは決してない。
その上、社会全体の中で芸術がもっている役割はつかみがたいものである。
たいていの人は芸術などまったくなくても少しも不自由せずに生きていける。
もちろん、芸術がなければ困ると言う人はいるけれども、そういう人も、実生活の活動に差支えるからそんなことを言うのではない。
だが演劇の場合にはこういう分裂は起こりえない。
現実の問題はいついかなる場合でも同時に芸術上の問題であるからだ。
極めつきの大根役者も稀代の名優も、同じように、声の高さや速さ、抑揚やリズム、自分の位置、距離、色やかたちといった事柄にかかずらうのである。
稽古においては、椅子の高さや衣裳の手ざわりや光の明るさや感情の質が常に問題になる。
ここでは美学は現実的なのだ。
こういうことになるのは演劇が芸術だからであると言う人がいるかもしれないが、それは誤りだ。
舞台は人生の反映なのだ。
ただこの人生は、ある種の価値を観察したり価値判断を下したりすることによって成り立つ行動体系がなければ、一瞬たりとも生きたものにならない。
一脚の椅子が、<その方がいい>という理由から、舞台の奥へ移されたり手前にもってこられたりする。
二本の柱ではいけないが、三本目の柱を加えると<おさまる>といったことになる。
<その方がよい> <その方が悪い> <それほどよくない><まずい>というふうな言葉が毎日のように使われる。
だが、最終的なやり方を決めるこれらの言葉には、道徳的な意味合いはまったく含まれていない。
自然界で起こる変化に興味をもっている人は、演劇の状況を学ぶことによって多くを得るに違いない。
そこでの発見は、蜂や蟻を研究した結果得られることよりも、社会全体にはるかにうまく適用できるであろう。
拡大鏡の下には、 一群の人びとが、厳格だがそれと口に出しては言えないある基準を
共有しながら、いつもそれに従って生きているさまが見えるはずだ。
そして、いかなる社会においても、演劇は特にこれといった機能をもたないか、あるいは独自の機能をもつか、どちらかであることがわかるはずだ。
この機能の独自さは、演劇が、街頭や家庭や酒場や友人とのつき合いや精神分析医
の診察台や教会や映画館では見出せないものを提供するところにある。
映画と演劇との相違のうち、興味あるものはただ1つしかない。
つまり、映画は過去のイメージをスクリーンに映し出す。
同じことを、人間の精神は一生を通じてみずからに対して行なっているから、映画とはひどくリアルなもののように感じられる。
もちろん、映画はそんなリアルなものではない。
映画とは、日常的知覚の非現実性を、人間が満足もでき楽しめもするかたちに延長したものに他ならないのだ。
これに対して、演劇はいつも現在において自己を主張する。
だからこそ、それは通常の意識の流れ以上にリアルなものとなりうるのである。
そしてまた同じ事情によって、それはこれほどにも目ざわりなものとなりうるのだ。
演劇が潜在的にもっている力を最も雄弁に讃えるもの-それが、検閲制度の存在である。
たいていの政体のもとでは、文字による表現が自由になり、映像による表現が自由になっても、舞台だけは最後まで制限を受けている。
生きた出来事は危険な電気を作り出すかもしれない–実際にはそんなことはめったに起こらないにせよ―ということを、政府は本能的に知っているのである。
だが、この古くからの恐れこそ、古くからの潜在能力に対する確認のあらわれなのだ。
劇場とは生きた対決が起こりうる場所である。
多数の人びとが精神を集中させることによって、ある独自な力が作り出される。
そしてその結果、いつも作用しているカー1人1人の人間の日常生活を支配しているカーが、それだけ切り離されて、普通よりも明瞭に見えるようになるのだ。
ここでわたしは臆面もなく個人的なものの言い方をせざるを得なくなった。
これまでの三つの章では、現在、世界各地に見られる-そして当然のこととしてわたしが見ている 一般的な演劇のさまざ主のかたちについて論じたのだった。
この最後の章はどうしても一種の結論のようになってしまうが、ここで採り上げるようなかたちの演劇をわたしが支持しているように見えるとすれば、それは、わたしには自分が知っている演劇について語ることしかできないからである。わたしは視野を狭めて、自分が理解しているものとしての演劇について自伝的に語らねばならない。
わたしはなるべく自分の仕事の範囲内における行動について、またそこから得られた結論について、語りたいと思っている。
なぜならわたしの経験なりものの見方なりは、つまりわたしの仕事のことであるからだ。
読者の方では、それがわたしの旅券に記されているあらゆることとーつまり、国籍、生年月日、出生地、肉体的特徴、目の色、署名などと―不可分であることに、気づかれるに違いない。
それはまた現代という時代とも不可分である。
ここに現われているのは、これを書いている瞬間における著者の像である。
衰退と進行を続けている演劇の世界で探究を行なう著者の像である。
わたしが今後仕事をして行くにつれて得る経験の一つ一つは、ここに述べられている結論をまたもや不十分なものとしてしまうであろう。
一冊の本が果たす役割を判定することなど不可能だ。
だがわたしは、この本が、どこかで、別の時代と場所との関係においてみずからの問題と取組む別の誰かにとって、あるいは役に立つのではないかと思っている。