杉並区・高円寺・地球空洞説 寺山修司

天井桟敷の公演『地球空洞説』は1973年の8月杉並区高円寺南の公園にて街頭劇として上演されていた。
私は、ボルヘスの「伝記集」の愛読者だが、ボルヘスは迷路を解くカギとして、「もう一つの迷路」を指定する。
曲がりくねった迷路を解くのは直線の迷路だ。
それは哲学者も刑事も迷う意外性というやつだ。
この次あんたを殺すときには、と男は言った。
ただの一本の直線でできた迷路を約束するよ。
目に見えなくてもどこまでも続く直線だ。
彼は、2、3歩下がった。
それから非常に慎重に、拳銃を発射した。
私は、劇の対語に現実を置くのは間違いで、劇の反極にあるのは死だと思っている。
「地球の大空洞」とつりあうのは、劇が組織する想像力の引力だ。

市街劇というよりは、ただの街頭劇である「地球空洞説」は、われわれの市街劇理論の中では、明らかに後退したものであるかもしれない。
ここでは、同時多発的に市街の偶然性を組織し、「もう一つの政治変革」と一対をなす想像力のダイナミズムを発掘するにはあまりにも空虚化されている。
これは、市外劇過程の「間奏曲」にとどまるものであるかもしれない。
しかし、街頭に「地球空洞説」の蜃気楼を巻き起こし、集団妄想的な一夜の幻想を、見世物として楽しもうとする点においてはいささか奇想天外な「真夏の夜の夢」になるかもしれない。
ここで、我々は自分たちの地誌学よって町内会的な市街図をかき直し、ひそかなる劇的陰謀をたくらもうとするものだ。
「さあ、さあ、お立合い」と呼び込みをかける。
足の下を掘れば、中はがらんどうの大暗黒なのだ。