パリの恋人 Funny Face 1957 素直な悪女 Et Dieu… créa la femme 1956

フラットシューズ
窮屈な女性像を解き放つ 踊るように自由な女の足元にこそ。
現代では「履きやすさ」または「カジュアル」と言った理由で選ばれがちなフラットシューズ。
だがその広がりは、戦争、特に第二次世界大戦を経て大きく変化した女性のありようが、密接に関わっている。
そのことを端的に物語っているのが、ブリジット・バルドーが主演したフランス映画「素直な悪女」と、オードリー・ヘプバーン主演のアメリカ映画「パリの恋人」共に1950年代後半に公開された2作品だ。
片や男性を惹きつけてやまないセクシーさを惜しげもなく振りまく天然な女、もう一方は流行の思想に凝り固まっている高踏な女と、描かれている女性像は一見大きく異なるように見える。
しかし、2作の主人公は共に、ヒールの低い、フラットな靴を履いている。
それはまた、彼女たちが、既成概念とは異なる新しい女性像であることの、サインでもあった。
「素直な悪女」は56年、「パリの恋人」は57年に公開。
そして、これらのほんの数年前に一冊の写真集が刊行されました。
エド・ファン・デア・エルスケンの「セーヌ左岸の恋」。
当時のパリ、サンジェルマン・デ・プレ界隈に集まっていた若者たちを撮影した、ストーリー仕立ての写真集だ。
ここで描かれた刹那的でボヘミアンなライフスタイルは、戦争の終結から10年を経て、過去を否定し、まだ未来への方向性を見出せない時代の心理の表われでもあった。
その様子はまた、素直な悪女のジュリエットのアンチ・モラルな、本能肯定の存在感とも繋がっている。
年長者を嘲笑し、若さを、女であることを謳歌するジュリエット。
そんな彼女に旧来の論理の薫りがするエレガントな靴は不釣り合いだ。
よって、BBの足元には、裸足により近いフラットシューズが選ばれ、男と男の間をダンスのように軽快に舞うのだ。
ダンスと言えばヘプバーンも負けてはいない。
「パリの恋人」の劇中、彼女は実際にファンでもあったフレッド・アステアの目前でダンスを披露している。身体にフィットした黒のタートルトップス&ボトムスにフラットシューズ。
アンチ・フェミニンなそのスタイルは、ヘプバーン演じるジョーが熱を上げる「共産主義」というパリ発の思想に由来する。
これは50年代パリで、ジャン・ポール・サルトルらを中心に広まった実存主義のパロディなのは明らかだ。
「実存は本質に先立つ」とし、「今、ここ、私」を起点とする実存主義は、ポスト・ウォー環境ゆえに若者たちに支持された、現代から見れば時代性の反映だった。
そして実存主義を標榜する「知的な」女性たちは男と肩を並べ、パンツをはき、フラットシューズを履いたのだった。
ちなみに黒のスーチングはサルトルやマイルス・デイヴィスに愛されたジュリエット・グレコのスタイルでもある。
ほぼ同時期に、バルドーとヘプバーンが演じた二つの女性像、それらは大戦後の世界に生起しつつあった、女性による自己決定を、それぞれ違った形ながら描いたものであった。
そして、彼女たちの足元を飾ったフラットシューズ。
今となってはそこに意味性は希釈だが、顧みれば、紛れもなく女性にとっての「自由」の一端だった。