すべてはMTVからはじまった

真夜中の放送を楽しみにしたリアル世代から、ボップカルチャーの恩恵を享受したフォロワー世代まで。
その存在なくしては語れない音楽界のマイルストーン、偉大なるMTVの誕生と功績を一挙ここに!

革新性を知る6つのトピック

1980年代のMTVがどれほどすごく先駆的だったのか。知っていると誰かに自慢したくなるトリビア集。

01 シーンを変えた3つの“大発明”

シーンを激震する “神“は3つ、足並みそろえてやってくる。
80年代のそれは、言わずと知れたMTVとウォークマン、そしてCDの三大発明だ。
音楽が映像と結びつき、海の向こうの存在だった洋楽はお茶の間に潜入、果てはポータブルプレイヤーで街へと気軽に持ち出せるものとなる。
「映像を制するものは音楽を制する」とされ、ヒット曲の生産方法は一新。
今ではともに“過去”のレッテルを貼られるウォークマンとCDだが、音楽史上最大の産業革命であったことは間違いない。
音楽との新しいコミュニケーションは、衝撃と感動をもって世に迎えられたのだ。

M感覚の映像で “MTVムービーと言われた『フラッシュダンス』(83)や『フットルース』(84)でもウォークマンが土人公の必須アイテムに。

MTVの生みの親、ポプビットマン。スクリーンには開局から今も変わらぬMTVのロゴが映し出されている。

CDの発売は19日1年のMTV開局翌年のこと。写真はデジタルターンテープルの名でドイツで発表されたCDプレーヤー。

02「ラジオスターの悲劇」

1981年 8 月、「 Ladies and gentlemen, rock and roll」という挨拶と、同じ年の宇宙船コロンビアの打ち上げカウントダウン映像とともにケーブルテレビ局
MTVの放送はスタートした。
24時間、ミュージックビデオ(MV)を流し続ける音楽専門チャンネル。
その記念すべき1曲目は「ラジオ·スターの悲劇」、MVの出現でスターの座を失うミュージシャンの歌だった。
この曲が明示するように、ラジオでのヘビーローテーションと地道なライヴ活動から生まれたヒットの方程式は、MTVを境に過去のものとなった。

英国ニューウェイブバンド、バグルスの米国での認知は当時低かったが、変革を象徴する曲として大抜擢された。

03 ノースローガンと1000ドルのロゴ

「I want my MTV」。シンディローパーやマドンナ、ミックジャガーなど数々のアーティストがCMで口にしたMTVのこのスローガンだが、最初に登場したのは開局から1年を経たのち、名キャンペーンは当初からあったわけではなかった。MTVの局名も初めの候補は“TV-1″という地味めなもの、ロゴすらNBCなどのメジャー局風を考えていたというから驚きだ。
現在のロゴは初期MTVのグラフィックに貢献したマンハッタンデザインがたった1000ドル で請け負ったのだそう。
大きなMにスプレーペイントされたTVの文字。
色や柄、イメージ(時にはバーガーに変身したり)が変化するのは画時にしても活気的だった。

04 MVの盛り上がりとスーパースター誕生

82年の発売から2年で2000万枚のセールスを記録。
史上もっとも売れたマイケル-ジャクソンのアルバム『Thriller』。
いまだ最高傑作の呼び名が高い表題曲のMVは、当時の平均の10倍とされる約1億2000万円をかけて制作された。
ジョンランディス監督による約14分のショートフィルム,独男に変身するマイケ
ルとゾンビダンスは世界中で熱狂を呼び、エンターテイナーとしての地位は確固たるものに。
これ以降、アーティストがMVに費やすバジェットも急激に上昇、MTVも正真正銘のメジャーメディアに。
歴史を塗り替えた「Thriller 」。
MV作品としては唯一、 議会図書館
画館のアメリカ国立フィルム登録等に記録されている。

05 84年にはじまったアワード

初開催は84年。年間のもっとも優れたMVやアーティストを表彰する「MTVビデオ·ミュージックアワード」(VMA)は、今なおアメリカで権威を誇る音楽の祭典だ。
第1回最優秀女性ビデオ賞はシンディローバーが獲得。
最優秀ビデオ賞はマイケルの「Thriller」筆頭に錚々たるノミネート作のなか、カーズの「You Might Think」が受賞。
コンピュータグラフィックスが初めて使われた作品
のひとつだった。86年にはa-haの「Take on Me」が逃しダイアーストレウツ「Money for Nothing」が受賞など歴代数々のドラマが。
授質式でのデュランーデュランとシンディーローパー。
第1回にはゲスト枠でマドンナが登場。
リリース前の「Like a Virgin」を披露した。
ウェディングドレスで” 超”セクシーに飾る姿に観客は騒然、まだプレイク前夜だったマドンナはこれを機に一気にスターダムを駆け上がる。

06. 40周年を迎えなお続く

奇しくも今年が40年の節目、9月のVMAではオープニングにマドンナがサプライズ登場。
「世間の人たちは私たち(MTVとマドンナ)がすぐに消えると言った。
でもまだここにいる。
40周年おめでとう、MTV」と開幕を宣言、会場もスタンディングオペーションでMTVの女王を称えた。
また80年代「シンディ派かマドンナ派か」と世を二分したシンディ·ローバーもプレゼンターとして壇上に。
84年の受賞作「Girls Just Want To Have Fun」になぞらえ女 をぎ捨て両味のマドンナ。シンディロ性たちにエールを送ったスピーチは拍手喝采。音楽史に寄与してきたMTVの偉業を祝す授賞式となった。

「Vegue」をBGMに(バーバリー)コートを脱ぎ棄て貫禄のマドンナ。
シンディ・ーバーは「女の子たちは資金(“Funds”)や平等な賃金、自分の身体をコントロールする権利もほしいと思ってる」と演説。

Music Television 事情通が語る80sといま

本拠地MTVでデザイナーとして実際に仕事をしたHI(NY)の2人と、アメリカのボップシーンに詳しい辰巳JUNKさんにインタビュー。

小山田 育/渡邊デルーカ瞳 おやまだいく/わたなべでる一かひとみ 2008日年にHI(NY)dasignを設立。NYと意都に相点を置く。

途切れることなくサブカルチャーを体現

NYのアートディレクターユニットHI(NY)の小山田育さんと渡還デルーカ瞳さんは、2000年代前半、活況を呈するMTVでデザイナーとして働いた経歴を持つ。
生の現場で触れたMTVのDNAとは?2人に取材した。
Q 80年代のMTVやMVは観てましたか?
小山田 かなり影響を受けました。中学時代くらいからマドンナやシンディ・ローバー、トーキングヘッズあたりを聴くようになって、いつもVHSに録画してました。
渡邊 私はリアルタイム世代ではないので後からですが、今観ても新鮮ですよね。
クレイメーションやストップモーションがぎゅっと凝縮されているのにトゥーマッチではなく、全体的な完成度があって、デザイナー目線で言うと魅力以外の何ものでもないです(笑)。
Q どういう経緯でMTVで働くことになったんですか?
小山田 留学したスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツでたまたま瞳と同じクラスを受講したんです。
渡邊 そのクラスのステイシー・ドラモンド先生がMTVのクリエイティブディレクションをしていて、私たちに声をかけてくれたのがきっかけです。
インターンからそのまま就職したんですが、当時のアメリカではMTVのブランド価値は当然高いものでしたし、グラフィックデザイナーにとっても花形でしたから、うれしくて仕方なかったです。
Q 学生時代のお2人はどんなアートワークを?
小山田 日本はサブカルチャーの成功体験があって、特に瞳はその完成形を見ながら育った世代。白分らしい感性を加えてのアウトブットだったのでアメリカの先生からすると「クレイジージャバニーズ!」って感じだったかと(笑)。
QMTVではどんな仕事を担当したんですか?
渡邊 インターンに入った初日に、MTVビル1階のストアのショップバッグのグラフィックを任されました。その直後にMTV2のロゴデザインがいきなり採用されたりして。
小山田 後から知ったんですが、デザインチームはコンペ形式をとっていたんです。そうやって高いクリエイティビティを維持してたんですが、勝手に日本代表を背負った気分で、負けられないぞとがんばっていました。
渡邊 インターンから就職した人も当時は後にも先にもなくて。
できなければ次のデザイナーが控えていましたからプレッシャーは大きかったです。
日々、自分のリミットを超えて新しいものを作り続ける。
いい特訓にもなりました。
小山田 一大プロジェクトはビデオ・ミュージック・アワードですね。
その年のテーマにそってヴィジュアルアイデンティティを作るんですが、それを軸に映像やモーショングラフィックが派生する。
露出も大きく気合が入りました。
Q 80年代に生まれたMTVですが、そのDNAはデザインの現場にも受け職がれていましたか?
小山田 MTVはアメリカ人の感覚からしてもすべてのサブカルチャーの中心でしたし、牽引してました。
それは80年代から引き継いできたものだったと思います。
渡邊 音楽はもちろん、グラフィックを話る上でも欠かせない存在だったので影響力は大きかったですね。
MTVのあのロゴ自体がもう80s丸出し。
白由に色使いや模様を変えられたので、ありとあらゆる80年代風を作りました。Q グラフィックの視点から見る80年代の面白さは?
渡邊 コンピュータやエレクトリックなものが普及して、音もデザインもできなかったことが可能になって世界が一気に広がった。
未来的だったし夢がありましたよね。
小山田 激動の時代だったし、誰もがお祭り騒ぎで浮かれていて。
グラフィックも世相をすごく反映していて、ファッションっぽく仕上げて軽くするのが良しとされたり。
そのダイナミックさは80年代にしかない魅力です。

「トーキング・ヘッズやビースティ・ボーイズが本当にカッコよかった」小山田/「80sのヒップホップが一時期好きで、エアロスミスが乱入するランDMCの『Walk This Way』は最高」(渡辺)
リアルタイムで触れたアーティスト

今も新鮮!モーションキャプチャMV
Peter Gabriel 「Sledgehammer」(86)
「コンピュータグラフィックが登場して、ペンシルドローイングやアニメーション、クレイメーションなどを使ったMVに度肝を極かれたのを覚えてます。
この3曲はグラフィック自体がすごいと思う作品」(小山田)

必然から生まれた変化が“基盤”をつくった

辰巳 JUNK たつみ・じゃんく 平成生まれ。セレプリティや映画、ドラマなどについて執筆。著書『アメリカンセレプリティーズ』(スモール出版)。

アメリカンカルチャーに精通する辰巳JUNKさん。
米国の場合、スターの言動や作品、シーンの流行が社会や世相を反映していることに関味を深め、気づけばディープに振り下げるようになったのだそう。
そんな辰巳さんが分析する80年代MTVと今の世代への波及効果とは。
Q 80sのセレブリティシーンはどんな位置づけですか?
辰巳 今でいう音楽界のスーパースター、“ボップスター”像が完成した時代。
MVやファッション、豪華なヴィジュアル、時にスキャンダラスな話題を呼ぶ音楽作品や、激しいダンスが表舞台に。
その三大巨頭が同じ年生まれのマイケル・ジャクソンとプリンス、マドンナで、MTVとの相互作用でスター像が形成されていったと思います。
Q MTVが音楽シーンに与えた影響は?
辰巳 ヴィジュアル重視のゴージャスなスター像が定着したのは、MTVの登場でMVの注日度が上がったからです。
その結果、「MTV経由でスーパースターが生まれる」というサイクルが誕生。
当初のMTVはお金持ちの白人の若者たちをターゲットにした、白人ロック中心の局だったんですが、「Beat It」(82)でヒットを飛ばしていた「マイケルを流せ!」というレーベルと視聴者の猛抗議にあった。
マイケル・ジャクソンがMTVの象徴となった青景にはそんな経緯もあって。
おそらく時代の変遷で、必然的にMTVのような存在が生まれたんですよね。

Q 80年代を代表すると思うMVは?
辰巳 映画的なマイケルの「Thriller」(83)と、マドンナの「Like a Prayer」(89)、ダンスMVの決定版ジャネット・ジャクソンの「Rhythm Nation」(89)です。
Q「Thriller」はMVの制作手法を変えましたよね?
辰巳「Thriller」はハロウィンの季節になるとSpotifyでめちゃくちゃ再生されるんですよ。
いまだに現役でレトロになっていない。
面白いのは、マイケルが作り上げた大金をかけて映像作品を作るという手法が、ひとつのビッグビジネスとして定着したこと。
それは表現の制限がより少ないYouTubeの時代に入るとさらに進んで、マイケルの映画型MVは謎かけ的な演出でSNSを騒がせる考察型MVへと進化するんです。
チャイルディッシュ・ガンピーノの「This is America」(18)や欅坂46の「黒い羊」(19)がまさにそれ。
デヴィッド・フィンチャーやミシェル・ゴンドリーのような映画監督もMV界から生まれていきました。
Q マドンナはMTV40周年にも登場していましたね。
辰巳 マドンナは完全にMTVとともにあるという感じです。
スキャンダラスな話題を連続して仕掛けて白分のブランドを作っていったパターン。
レディーガガの「Judas」(11)やカーディ・日の「WAP」(20).リル・ナズ・Xの「MONTERO」(21)などもこの系譜。
Q ジャネット・ジャクソンのダンスMVも鮮烈でした。
辰巳 マイケルが「Beat It」で衝撃を与え、続くマドンナでダンサーとの本格ダンスが大流行するんですが、その完成形が「Rhythm Nation』です。
国は違えどジャニーズやBTSなどのアイドルグループにも波及していそうだし、SNSでの「みんなで踊ろう」ムーブメントにも発展。
PSYの「江南スタイル」(13)やTikTokダンス前提のドレイク「Toosie Slide」(20)なども。
Q 80年代が現代でも注日されるのはなぜだと?
辰巳 ボップミュージックやポップスターの今の基盤となるものが80年代に生まれたからだと思います。
10年代にも『ストレンジャー・シングス』(16)が流行ったりと、一時のブームかと思いきや根強く残ってる。
音楽シーンの方がそれは顕著で、MVでは特にレトロ感のあるアニメーションが流行ってます。
まだまだ当分続きそうですね。

80s三大ポップスター

Michael Jackson「莫大な予算をかけてひとつの映像作品としてMVを作ることをアメリカに根づかせたのがマイケルジャクソン。ポップスターとは何かをもっとも象徴する在在です」(辰巳)
「Beat it」(82)「Billie Jean」(83)
Prince
映画『Purple Rain』(84)
同い年の3人は「珍しい名前なのにみんな本名!」という共通点も。
「ビヨンセなどの、アルバムをまるごと一本の画にする作り方は、プリンスの影響が強いと言われます」
Madonna
「スキャンダル系MVと言えばこの人。挑発的な女性、マイノリティの話題作は今でも多く、80年代のマドンナの影響でボップスターの“表現”自体も広がりをみせました」

歌とダンスの系譜

janet Jackson 「Rhythm Nation」ジャネット・ジャクソン リズム・ネイション
janet Jackson 「Rhythm Nation」ジャネット・ジャクソン リズム・ネイション

janet Jackson
「Rhythm Nation」(89)
「アーティストが、ダンサーレベルで集団で踊るのはマイケルから広まり、89年のジャネット-ジャクソンでいちジャンルとして確立。当時は衝撃のインパクトだったそう」
80sは永遠に

炎上を引き起こすMVはレディーガガを筆頭に近10年でも主流。
「ザ・キッド・ラロイの「STAY」は80sシンセポップだし、当時画期的だったアニメMVは、NOSTALOOKが作ったデュア・リバのMVのように今では日本アニメ風がトレンドに」
LadyGaga「Judas」(11)
Dua Lipa Levitating(20)
The Kid LAROI Justin Bieber 「STAY」(21)