紳士服は銀座で、お洒落な男の身だしなみ

ヤング・ファッションが話題になる前、男のお酒落は紳士洋品に限定されていた。しかし銀座の由緒ある洋品店でワイシャツや背広を作る、 そんな人達も50年を境に変化。安くて便利な大量消費時代の中で、次第に紳士的お洒落をする人は少なくなっていった。

東京オリンピック頃を一つの境に、 メンズファッションの世界は転期を迎えた。
中でも特に印象深かったのが”ホンコンシャツ”の出現。
60年頃はまだ男たちは真夏でも長袖のホワイトシャツ を袖まくりして着ていたが、ホンコンシャツという半袖のドレスシャツの登場によって通勤風景は一変した。
ホンコンシャツというネーミングはなんでも、あのヴァンジャケットの創始者・石津謙介であるといわれている (なにに由来してこんな名が付けられ たのか今だにはっきりした根拠がない が)。
”洗ってもシワにならない”をキャ ッチフレーズに生まれたこのシャツは 当時開発されたポリエステル系繊維、 つまり技術革新がもたらした、戦後の 一大メンズファッション革命といえるだろう。
当時このシャツで売上戦争を繰りげたのが東レと帝人。


東レはセミ・ス リーブシャツという名で、セミ、セ ミ、東レ”というコマーシャルソングで大宣伝を展開。
いっぽう帝人は社名を用いた”帝人テトロンシャツ”で対抗。
袖口を三角型にカットし、ボティ ラインにフィットしたデザインのブー ムは数年間続き、やがて70年代のヨー ロピアン風のテーパード・ドレスシャツへと流れていったのである。
アイビーブームによって、大人の男 の遊び着の世界にもカジュアル指向が 急激に台頭したが、まだまだ頑固なオ シャレ親爺は健在だったようで、”アイビーは金太郎飴!!個性喪失ファッション”と苦言を呈したのも、この時代 の特徴の一つ。
そうしたオシャレ人の 御用達の店はなんといっても紳士洋品 店(あるいは洋装店。この響きが当時の雰囲気を表わしている)。
若僧たちにはなかなか踏み込めない独特の臭いがそうした店には充満していて、まさに 大人だけの聖域だったのである。
当時のこうした紳士洋装店の中心地 はなんといっても銀座周辺。
明治・大 正と続いたメンズファッションにおけるオピニオンリーダー的存在だった粋な街は、昭和30年代に至っても健在だったのである。
こうした洋装店のご主人は顔が入荷すると独自のコーディネイトを考え、自らのセンスでウィンドウ・ディスプレイをした。
決して豪華とはいえなかったが、実に個性的な味わい深いイカスショーウィンドウ。
これも昭和30年 代ならではの街中の、楽しき芸術であったといっても過言ではないだろう。
当時はまだまだ神田あたりの手書き ポップ屋さんも健在。
器用な筆さばき で書き上げた超モダーンな昭和の素朴な粋が、白熱球のペンダント照明のもと雑誌の片隅で踊っていたのである。