美容師ブログ 第2章 インターン時代からスタイリスト合格まで④
2023年現在、高円寺でオーナー美容師をしています。
東京の窪田理美容専門学校を卒業し、インターン(今はこの制度はありません)から美容師を約30年近くしています。
これから、僕の美容室が気になって来店するお客様のための動機の一つの「どんな美容師さんなんだろう?」という経歴、人柄を来店前に理解してもらうという事と自分の歴史の一つに「プロフェッショナルの美容師育成のスクールの先生時代」があるため、美容師を目指す人の参考になればという思いがあり、書き進めようと思います。
90年代美容師・スタイリストデビューへの道のり
美容業界のスタイリストデビューへの道のりは時代によって変化しています。
目標の変化
自分の時代は美容学校に行く目的は美容師のスタイリストになるのが目的でした。
現在、美容学校は基本は美容師になるのが目的として、メイクアップ・ヘアアレンジ、ブライダル、ネイル、まつ毛エクステンションと多角化しています。
国家資格で免許がないと仕事に従事できないのが、美容師です。
国家試験ではカットがあるのですが、実践レベルには解離性が大きい(鋏・コームの持ち方、基礎知識レベル)ですので、美容学校ごとに有名サロンのスタイリストを特別講師の授業などをしてより高いレベル習得を行います。
メイクアップ・ヘアアレンジは民間・国際ライセンスはありません。
僕の知る限り、メイクの事務所に所属しプロのヘアメイクアップアーティストの仕事に従事し、経験を積んで独り立ちするのが一般的です。
雑誌で美しくメイクをする、ブライダルや芸能はビューティーメイクですが、映画や舞台など特殊メイクをこなすのは、資生堂SABFAが最高機関です。
僕の友人後輩のメイクアップアーティストはほとんど美容師を2,3年くらい従事してからSABFAに入学してプロになっています。
ネイリストは民間のJNEC ネイリスト技能検定やJNA ジェルネイル検定などを取得を目指します。
ヘアカラーはJHCA ヘアカラリストを取得すると就職時・美容師としてレベルの目安となります。
エステティックは「CIDESCO 国際ライセンス」や日本エステティック協会認定エステティシャンの資格を取得を目指します。
このように、現在の美容学校は多種多様な中からの選択肢の一つとして美容師のスタイリストを選択すると思います。
昔はカッターとしての髪の毛をヘアデザインするという事が苦手や不得意な場合は美容業界から去っていく人が多かった気がします。
現在は自分の興味や得意を生かした選択が可能な状態になっていると思います。
僕は1年目から営業終了後に合同練習や自主練習で学んできました。
最初は理論はほとんど営業で学んでいません(専門誌や講習などで人それぞれです)。
多くの美容師さんは美容室に恵まれない場合は現在でも「身体で憶える」練習方法を取っています。
いわゆる原理原則を教わらない憶え方はこのヘアスタイルはこの切り方という憶え方です。
日本全国の美容室の8割はこの憶え方を今でも行っている為、素材(髪質、骨格、年齢など)が変化したり、時代が移り変わると対応が出来なくなり淘汰されていきます。
僕がスタイリストデビューした初期の頃、トップスタイリストの先輩に「レイヤーカットの切り方を教えてください」と言ったら、自分は自己流で切っている為教えられないと言われて驚いた経験があります。
メーカーさん、ミルボン、ウェラさんに営業後に来てもらいモデル(スタッフ)で講習をしてもらう事もあります。
美容師が覚える事項はシャンプー、パーマの巻き方やスタイルに対する考え方、薬剤知識、ヘアカラー塗布、ブリーチの専門知識、縮毛矯正、ブロー、ヘアアレンジ、最後にカットと盛りだくさんの習得メニューです。
技術の伝達は美容室の規模によって、店長がすべての技術を見る店舗、技術ごとに担当するスタイリストが教える店舗がありますが、僕が経験した美容室で最大規模の美容室は理想的な環境でした。
現場の美容室は色々な年代、人間性・趣向の集まりです。
人間が人間に技術を伝えるという難しい行為は会社、甲子園出場の監督、サッカーの名門監督などすべてに通じる行為と同じで素晴らしい指導者から教わりたいものです。
相性もあるし、コーチングのレベルは様々です。
売り上げの高い美容室は技術レベルも高い
言ってしまうと、伝える人の個人差でお店の技術レベルに大きな差が生まれます。
会社側からするとなるべく店舗ごとの格差をなくしたいと思います。
店長の技術力がスタッフや売り上げと比例しています。
事業形態の大型店美容室になると、大きな練習会スタジオを用意して、技術習得に特化して教育を得意とするスタッフを講師として平日の昼間から講習を行い、各店舗の技術習得を目的とした大学のような機関を設けている美容室もあります。
そのことで、現場の美容師の負担や各店舗の技術レベルの差を埋めることで売り上げの向上を図る美容室もあります。
僕は最初の美容室で3年でカットの初期レベルの習得が終わり、試験を受ける為の勉強を始めます。
当時10店舗近くある状態で試験を受ける人は様々でした。
人により早くスタイリストになりたい人や、じっくりと技術を深めたい人など3年から5年目くらいの人が様々試験を受けた。
勤めていたお店には日本で最初にプロの美容師の養成機関を持つ店舗(のちにこの教育機関に転勤します)が新宿御苑にあったので、試験会場がそこで行われていた。
美容業界のスタイリストデビューの詳しい事情を知りたい方は上のサイトをご覧ください!
スタイリスト、トップスタイリストが半年に1度。
アーティストディレクターが1年に1回行われた。
各ランクで売り上げ金額、指名されるお客様人数で試験を受けられるラインがありました。
スタイリスト試験は2つの課題合格を必用とし、耳が出るストレートのショートヘアと、もう一つがパーマスタイルのショートスタイルでした。
試験は何カ月も前から始まり、モデルハントから初めてメイク、服装を自分で用意し、平日の20時くらいから新宿御苑で行われた。
審査は店舗の店長がランダムに5人ほど選ばれ審査する。
営業終了したアシスタントや各店舗の凄腕のスタイリストなどが見学に来て、物凄い人数で熱気に包まれる。
夜20時で階段を上って会場に着くと独特の緊張感と期待感が溢れ、店舗同士の挨拶は「おはようございます!」
業界では夜でも朝でも「おはようございます!」だった。
勤めていたお店の店舗が多く、同じ美容室で働いていても同期などに合う機会が少ない為、現在どのような課題を勉強して、いつ試験をうけるかを聞いて競っていた。
試験見学後は新宿の喫茶店で夜遅くまで、同期たちと違う店舗の意見交換をしていた。
試験翌日合格はファックス(時代です)で送られ、スタッフルームに張り出される。
○月○日○曜日 スタイリスト試験合格者
■■■■店 ×回目 △△△(名前)
■■■■店 ×回目 △△△(名前)
■■■■店 ×回目 △△△(名前)
以上
「おめでとう!」多くの先輩たちから愛のある励ましを受けます。
デビューできるのと出来ないとでは、天と地の違い。
合格はお客様に入客でき、スタイリストの称号を得る。
不合格は半年間、シャンプー、パーマ、カラーのアシスタントが続く。
平日営業終了後のモデルハント、練習会で課題をクリアしてスタイリストの合格を得る。
また、ここには違う一面があり、先ほどの話になるが合格者は優秀なスタイリストが多く在籍する店舗から多くの新たなスタイリストが生まれます。
僕は4,5店舗違う美容室を経験したが、これは事実として共通しています。
だからこそ、不合格になるという事は店長やスタイリストに申し訳ないという事とお店のブランドに傷がつくという事になる。
僕は今でも覚えているがスタイリスト1回目の試験の時に違う店舗のディレクターの試験官が試験採点の用紙をチェックしている状態でのぞき込まれたときに、髪の毛を持つ左手が震え、鋏でなかなカットが出来なかったことを思い出す。
しかし、何度も逃げ出したい経験を積む事に成長や喜びがあるような気がします。
次からは、いよいよ美容師人生の師匠との出会いと講師の時代の話をします。
僕がブラントカットを基礎とした伝統的な美容室で働いていた時、新たな動きが原宿から動き出していた。
いわゆるデザイナー系美容室。
美容室をブランド化しファッションのようにデザインを売っていく。
物凄く勢いを感じていた美容室「アクア」。
4インチ(10~12センチ)という小さな鋏で細かくパネルを切っていた時代に、8インチという大きな鋏で軽やかに切り進み、切っている姿が一つの価値だった。
綾小路竹千代(あやのこうじ たけちよ)1994年に野沢道生氏、青山正幸氏と「ACQUA」を設立。
一瞬を大切に生きて、それを重ねて先輩から後輩に引継ぎ、伝統になっていくのだと思います。