戦後に咲いたキッチュな徒花・オート三輪

お金かなかったのだった。
世の中は活気に満ちあふれているというのに、タイヤ一本ふえただけで、手がとどかなくなってしまうのが普通の自動車であったのだ。
その点、ここに並ぶ三輪車は、小廻りはきくし、運転も楽だし何より値段が安い安い。
当時これらの車のカタログは、どこも最小の回転半径とか、軽快な出足、どんな小路の奥の店へも、などなど欠点を長所にしてしまう大きな見出しで埋っていた。
ミゼット (ダイハツ)、K360 (東洋工業)、レオ(I三菱)、バンピー(三井精機)、ホープスター(ホープ自動車)、ヂャイアントコニー(愛知機械)なんていうのもあった。
この見るからにあぶなかっしいスタイリングの原型は、バイクに屋根をつけて、後輪2つにして荷物が運べるようにしただけのこと。
それって、ピザ屋の出前といっしょでしょ。
ピザ屋の三輪パイクも、やがてまたこんなふうに進化したり…するわけないでしょ。
昭和35年には年間2万台に迫る普及を示してピークに達し、その後の軽月動車プームと重なって、日本中の道路はすみからすみまで小さなクルマ達でいっぱいであった。

①ミゼット:DSVライトバン (ダイハツ)

完全密閉のワゴン付、総重量345幅 単気筒249CC、10馬力、21万8千円

②ホーブスター ・61SM(ホープ自動車)

「先づエンジンの位置をシート下に映してフロアー付とした その結果運転席に現われていたエンジンカバーがなくなってレッグルームが広々2人掛けは余裕たっぷり」(当時のコピー)それにしても、おっかない感じだわ

③マツダ·T1500 (東洋工業)

長尺物にもってこいの三輪トラック、このまじめなサイドデビューから当時の日本の活気が伝わってきます

④三菱ペット・レオ(新三菱重工)

性能・機構ともに最高をねらった軽三輪。
強制空冷OHV単気筒310 cc、12.5馬力

⑤バンビー・EF (三井精機工業)

豪華さをさけて実用と堅牢で操縦性のよいバーハ
ンドルタイブ、東京店顕渡現金ドアなしで19万3千円

⑥レオ・LT10(新三菱重工)

密閉式オールスチール製という、今ではあたりまえの
コビーも、当時の軽三輪ならでは。
最小回転半径2.3m、燃費40km/lもスゴイ