松田聖子が永遠に 色裾せない理由とは!?
聖子はいつも明るくて、歌にも迷いがなかった。
今の言葉で言うなら『自己肯定感』そのものだったんです」と語るのは80年代の作品群をすべて担当した音楽プロデューサーの若松宗雄さん。
GINZAウェブでの連載「松田聖子の80年代伝説」でもおなじみだ。
「カセットテープを聴いただけですごい声だと直感し、すぐに福岡まで会いに行きました。聖子がまだ16歳の頃で、芸能界入りを頑なに反対する父親を1年近くかけて説得。
でも最後は彼女自身が思いの丈をぶつけて父親を納得させた。
前向きな気持ちは、人気が出た後もずっと彼女の歌から発散されていたと思います」。
その歌声は、嵐が過ぎ去った後にどこまでも突き抜ける南太平洋の青空のような衝撃だったという。
「1980年のデビュー曲『裸足の季節』は資生堂のエクボという洗顔料のCMソングで、聖子はエクボができないからCM出演はできなかった。
けれど歌を聴いた方から声だけで問い合わせが殺到したんです。
2曲目の『青い珊瑚礁』も伸びやかな歌声が時代を明るく変えたと多くの方に言っていただいた。
『SWEET MEMORIES』でもCMで聖子が名前を伏せて英語で歌うと、他のレコード会社からあの子をテビューさせたいとオファーがいくつも来て(笑)。
それくらい聖子の歌声は魅力にあふれていました」。
誰もが聖子ちゃんカットにしたり、曲を聴こうとウォークマンやラジカセを買う人も続出。
詞の世界に憧れて海外旅行に出かける人も一気に増えていった。
それまで少し陰りのあった日本の空気を一新し、明るくPOPな80年代の扉を開けたのは間違いなく松田聖子だったのだ。
「今でも聖子の曲を聴くと元気がもらえるとたくさんの方から声をかけていただく。本当に光栄なことです。常に明るく笑顔を絶やさない子だから、レコーディングでも人に気を使わせず、時代を代表するクリエイターが才能を持ち寄ってくださった。シンガーソングライターの音楽的な楽曲と洗練されたサウンド、聖子の娯楽性あふれる歌声が一緒になったら最強ですから。聖子の曲が永遠に色褪せない理由はそこにもあると思います」