小泉今日子の “アティチュード”に夢中
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KOIZUMI, Kyoko
1984年8月発売の『anan』に登場。ナスの着ぐるみをまとう姿が衝撃的、“小泉今日子無責任編集”と銘打った『裏小泉』,秋山道男が企画を手がけた『小泉記念艦』は現在でも語り継がれる一冊。
小泉今日子の“アティチュード”に夢中
私の記憶が確かならば。
あのときのキョンキョンは、〈VIVA YOU〉のVネックのスウェットに太めのデ
ニムパンツ、ヘアスタイルはショートボブ。
どの雑誌かまでは覚えていない。
とにかく、当時中学生だった私は、そのグラビアにひどく感心した。
コーデではなく、 彼女の「アティチュード」に。
なぜなら、彼女はスウェットを後ろ前逆に着ていたのだ。
背中側に大きく開いたV。
「今日のコイズミはこういう気分」みたいなコメントとともに。
次の日さっそくマネして学校へ行ったが、「反対に着てるよ」と注意され、誰にもわかってもらえなかった。
1980年代半ば。小泉今日子はファッションアイコンでありポップカルチャーアイコンだった。
アートディレクター、デザイナー、フォトグラファー、ミュージシャン、DJ、編集者……。
あの時代、彼女の周りには、エッジイなクリエイターが集まり、彼女を素材に遊び、面白いことをさせたがっていた。
彼女自身もそれに自覚的で、みんなと一緒に「小泉今日子」を楽しんでいた。
86年、ハタチの記念に出版された『小泉記念鑑』はその象徴だと思う。
秋山道男のディレクションによる写真集で、グラフィックデザインは仲篠正義、写真は小暮徹、ヘアメイクは渡辺サブロオ、スタイリングには堀越絹衣や近田まりこ、大川ひとみなどに交じって藤原ヒロシも。
ファッション写真に加え、 ピートたけしや藤井フミヤにお姫様抱っこされている写真もあれば、自身のレントゲン写真や「人拓」も。
というか、そもそも人拓をとるアイドルなんて古今東西彼女だけ。
ヌードを超えた衝撃!と当時言われていたのを覚えている。
キョンキョンは、当時を振り返るとき、必ずこんなふうに言う。
「いろんな人たちがいろんなことを教えてくれて、私に道標を与えてくれた。だから私もみんなに伝えたかった。こっちだよ、こっちのほうが面白いよって」
中森明菜、松本伊代、早見優、 堀ちえみといったアイドルが勢ぞろいする“花の82年組”の1人としてデビュー。
当時のアイドルがみんなそうだったように、デビュ一当初の彼女も“聖子ちゃんカット”。
こんなことを言うと失礼だけど、びっくりするほど地味だった。
小柄で顔も小さいということもあっただろう。
存在感が増しのはデビュー2年目、大人たちに内緒でショートカットにしてからだ。
自らのことを「コイズミ」と呼んで俯瞰し、メタ的に表現するようになっていく。
そして、さまざまなカルチャーに目配せし、自身を立体的に表現し始めた。
それを「自己プロデュース能力が高い」と解釈する人も多いが、彼女にとってそれは戦略でもなんでもなく、「こっちのほうが面白いよってみんなに伝えたかっ
た」という彼女の言葉通り、動機は単純だったのだと思う。
ねえ、これ面白いでしょ? こっちも可愛くない?
ほらほらこの曲、カッコいいよ。
当時思春期だった私にとって、彼女は同じ目線に立ちながら、クリエイターから仕入れてきた情報を教えてくれる 「お姉さん」。
その
一方、「なんてったってアイドル」であり、志村けんとコントをしたりもする。
「表」と「裏」を自由に行き来する稀有なアイドル、と言ったのはエディターの川勝正幸。
確かにそうだ。
ワン&オンリー。
今も昔も、そんな女性はキョンキョンと呼ばれる彼女しかいないのだ。
50歳を過ぎて独立、自身の事務所を立ち上げたキョンキョン。
現在は舞台制作や映画のプロデューサーとしての仕事に忙しい。
「これ面白いよ」。
彼女の「アティチユード」がいまも変わらないことをうれしく思う。
松本隆の詞を軸に財津和夫、大瀧詠一、松任谷由実、細野晴臣など多くの人気アーティストが曲を提供。最先端の楽曲を自分のスタイルで歌う松田聖子の作品群はまさに国宝。オリコン24曲連続1位は必然だった。