フュージョン Jazz Fusion

リチャード・ボナ Richard Bona

主楽器はギターでしたが、フュージョンミュージシャンでベーシスト、ジャコ・パストリアスのアルバムJaco Pastorius(ジャコ・パストリアスの肖像)に出会い、ギターからベースに持ち替えました。
2000年はデイヴィッド・サンボーンやジョー・サンプルらと「S.S.B.B.バンド」を組みワールド・ツアーに参加。
年間契約の元、パット・メセニー・グループに加わり、Speaking Of Nowに参加し世界ツアーにも同行します。
マイク・スターンや渡辺貞夫のツアーでも度々来日しています。

リー・リトナー Lee Ritenour

過去20年間に渡り、世界中に愛されるアルバムを世に送り出してきた有数のジャズ/フュージョン・ギタリスト。
愛称”キャプテン・フィンガース”で親しまれ、70年代にはセッション・プレイヤーとして各方面から引っ張りだこの存在でした。
また、ラリー・カールトン(両者ともギブソン335を愛用)同様、ソロ・プレイヤーとしても幅広い活動を展開しています。
90年代初めにボブ・ジェームス(key)、ハーヴィ・メイソン(dr)、ネーザン・イースト(b)とフォープレイを結成し、<ワーナー・ブラザーズ>からソウル/ジャズ/ファンク/フュージョンが交錯する傑作を発表。

マハヴィシュヌ・オーケストラ The Mahavishnu Orchestra

67年にジョン・コルトレーン(sax)が急逝するや、ジャズ界の流れはマイルス・デイヴィス(tp)主導型へと移行していきます。
マイルスは、ハービー・ハンコック(p)らを主力に自身のコンボのメンバー・チェンジを重ね、早くもバンドのエレクトリック化(ジャズとロックの融合)に着手していました。
一方69年、イギリスから渡米したジョン・マクラフリン(g)は、マイルス・コンボのドラマーであったトニー・ウィリアムスのバンド”ライフタイム”への参加がきっかけとなり、マイルスから誘いを受けます。
音楽的精神性をインドに求めたマクラフリンは、71年にマハビシュヌ・オーケストラ(g、vln、key、b、drの5人編成)を結成し、『マイ・ゴールズ・ビヨンド』を録音します。
マハビシュヌ・オーケストラはロックやジャズ、インド音楽などを巧みに融合させることにより、独特な美意識をもった新しいサウンドの構築に成功します。

マイク・スターン Mike Stern

パット・メセニーに勧められてブラッド・スウェット&ティアーズのオーディションに参加し、1976年に正式メンバーとして加入します。
ビル・エヴァンスの紹介によりマイルス・デイヴィスのグループに参加。
1981年6月27日にボストンのナイトクラブでデビューし、アルバム『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』(1981年)、『スター・ピープル』(1983年)のレコーディングにも参加しました。
1983年から1984年にかけてはジャコ・パストリアスのアルバム『ワード・オブ・マウス』に伴うツアーのバンドに参加します。

ボビー・ライル Bobby Lyle

1976年にロサンゼルスに移り、スライ&ザ・ファミリー・ストーンと仕事に就きます。
その後アーニー・ロウズと共演し、キャピトル・レコードにてアルバムを発表。
ジョージ・ベンソンやフィリス・ハイマン、エスター・フィリップスとも共演します。
1980年代初期にはベンソンのツアーに参加。
ベッド・ミルダーのディレクター。
アル・ジャロウとも組み、ストレートアヘッド・コンボをキングで録音します。

ラムゼイ・ルイス RAMSEY LEWIS

6歳でピアノを始めるが、教会で伴奏者の経験をしたことがラムゼイ・ルイスに強くゴスペルの影響を植えつけたといいます。
70年代半ばにヤング・ホルト・アンリミテッドやレッド・ホルト・アンリミテッドで知られるファンク・バンドを結成。
ここから脱退したモーリス・ホワイトは、後にアース・ウインド&ファイアーを結成します。
シンセやディスコ・リズムを早くから用い、ヒップなテイストを自己の音楽性に思う存分反映させていたルイス。
中でも「ジ・イン・クラウド」は1年近くヒットチャートに居座った作品で、そのモダーンでファンキーなピアノの響きは、未だ新鮮味を失わない名作として日本でも人気があります。

ヒューバート・ロウズ Hubert Laws

ロウズがCTIでリリースしたアルバムは、ディスコ・ミュージック全盛の時代に順応しようとするヒッピーたちの必需品でした。
彼がこの時期に発表した作品の内容の素晴らしさは紛れもない事実である(特にフュージョンとストラヴィンスキーを融合してヒットを記録した『春の祭典』)。
クラシックも学んでいるロウズは、90年代にはこれまで以上に素晴らしい演奏を聴かせ、正面きってメインストリーム・ジャズに取り組んでいます。

ハイラム・ブロック Hiram Bullock

セッション・プレイヤーとして70年代中期より活躍し始め、デビッド・サンボーン(as)/マーカス・ミラー(b)/ビル・エヴァンス(key)といったジャズの巨匠から、ビリー・ジョエル/ロバータ・フラックをはじめとするロック、ポップスの大御所まで幅広い交友をもちます。

ハーブ・アルパート Herb Alpert

8歳から演奏を始めたトランペット奏者で、また優秀なアレンジャーにしてソングライター、同時に優れた企業家といった側面をもちます。
ルー・アルドラーとサム・クックのヒット曲「Wonderful World」を共作し、サーフィン・デュオのジャン&ディーンのプロデュースをします。
常に時代の潮流を読み、ニッチな音楽マーケットを開拓することにたけていたアルパートは、セルジオ・メンデス&ブラジル’66のプロデュースでも成功します。
68年には珍しく自らがヴォーカルをとったバート・バカラックのナンバー「This Guy’s In Love With You」で全米No.1ヒットを記録しています。
60年代後期にはロックの分野にも手を広げ、フライング・ブリトウ・ブラザーズ/ジョー・コッカー/キャロル・キング/レオン・ラッセルといったアーティストを擁しました。

ナイアシン Niacin

MR.BIGの辣腕ベーシストのビリー・シーンが、ジャズ畑のジョン・ノヴェロ(key)とデニス・チェンバース(ds)というテクニカル・プレイヤーと結成したトリオ編成のジャズ・フュージョン・ユニット。
MR.BIGでの活動のかたわら、97年に初アルバム『ナイアシン』を発表。以降、MR.BIGの活動と並行してクラブでのライヴ活動と作品発表を行ないます。
スゴ腕ミュージシャンの集合体ならではのテクニックの応酬が魅力です。

ドナルド・バード Donald Byrd

デイヴ・グルーシン Dave Grusin

1967年12月にはグルーシンが音楽の一部を担当した映画『卒業』が公開され、同作のサウンドトラック・アルバム『卒業-オリジナル・サウンドトラック』(1968年)により、グルーシンはポール・ポール・サイモンと共に、自身初となるグラミー賞受賞を果たしました。
1970年代に入るとクロスオーバーのムーブメントにのりクインシー・ジョーンズやセルジオ・メンデスと共に活動の幅を広げます。
ギタリストリー・リトナーやサックス・プレイヤー渡辺貞夫とも共演を重ねます。

チャック・マンジョーネ Chuck Mangione

幼少からトランペットを学び、1960年から実兄ギャスパー”ギャップ”マンジョーネ(Gaspare “Gap” Mangione)と、ザ・ジャズブラザーズというハード・バップ・ジャズ・バンドを結成。
1960年代後半頃、トランペットからフリューゲルホルンに楽器を持ち替えフュージョン方面に音楽性を転向した。ラテン・テイストをふんだんに取り入れたメロディアスで心地よいナンバーを次々と発表し、全米で大ヒットします。

スタンリー・クラーク Stanley Clarke

1972年に、チック・コリアらとリターン・トゥ・フォーエヴァーを結成、1970年代フュージョン・バンドの代表的存在の一つとして活躍します。
ジョージ・デュークとのユニット”Clarke/Duke Project”で、3枚のアルバム(1981、1983、1990)を発表しています。
2009年には上原ひろみ、レニー・ホワイトと組んでスタンリー・クラーク・トリオとしてJazz in the Gardenを発表。
2010年にはラスラン・シロタ、ロナルド・ブルーナーJr、上原ひろみ(ゲスト)と組んでスタンリー・クラーク・バンドとして活動します。

ジョン・マクラフリン John McLaughlin

61年にロンドンへ進出したギタリスト、ジョン・マクラフリン。
彼は、バップ~フリーに至るジャズはもちろん、ブルース/R&B/ロック/フラメンコ/クラシックなどあらゆる音楽を吸収した多種多様なスタイルで、シーンを圧倒し続けています。
70年代はマイルス・デイヴィス(tp)のバンドでフュージョンの最先端を突き進み、名盤『アガルタ』『パンゲア』(共に75年)にも参加。
また、インド音楽に傾倒したリーダー・グループ、マハヴィシュヌ・オーケストラを結成し、大仰な音量で奇怪なスケールを羅列するアジアン・スペースを創造しました。
80年代に入ると、パコ・デ・ルシア、アル・ディメオラとの超絶技巧グループ、スーパー・ギター・トリオを編成して、スパニッシュな情熱をアコースティック・ギターで表現します。

ジョージ・デューク George Duke

60年代にはドン・エリスのビッグ・バンドに参加し、70年代にはフランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェーションに在籍したいたという異色の経歴の持ち主、ジョージ・デューク。
シンセサイザー/ピアノ奏者であるジョージは、75年にソロ・キャリアをスタート。
その初期においてはマニアックなフュージョン・サウンドを展開していたが、77年の『リーチ・フォー・イット』よりソウル/ファンク色を強め、そんななかで制作された、Pファンクの影響を色濃く感じさせるミディアム・ファンク「ジャスト・フォー・ユー」がヒットを記録します。
80年代に入るとスタンリー・クラーク(b)とのプロジェクトで成功を収めます。
また並行して、デニース・ウィリアムズやシスター・スレッジらの楽曲を手がけるなど、プロデューサーとしてもブラコン・シーンで名を馳せました。

ジャコ・パストリアス  Jaco Pastorius

ジャズとフュージョンのエレクトリックベース・プレーヤーです。
1975年にはパット・メセニーの初リーダー作に参加、翌1976年にはファースト・ソロ・アルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』でデビュー後、ウェザー・リポートのベーシストとして参加しています。
エレクトリック・ベースをアンサンブルでの花形楽器にまで昇華させたイノベイターとして知られています。

ケニー・G

86年の4thアルバム『デュオトーンズ』が大ヒットを記録し、一躍ソプラノ・サックス奏者としての地位を不動のものにししました。
以降、一貫として都市を起点とした、洗練度の高い楽曲を発表しています。
心安らぐ伸びやかなサックスの音色と、インテリ風なルックスは、多くの日本のファンを魅了します。

グローヴァー・ワシントン・ジュニア Grover Washington.Jr

クリス・ボッティ Chris Botti

ポップス/ロック系のプロデューサーであるアリフ・マーディンとヒュー・パジャムに呼ばれ、セッション・ミュージシャンとして活動。
ボブ・ディラン、アレサ・フランクリン、チャカ・カーンや、ジャズ・ミュージシャンではクリス・ハンター、デイヴィッド・マン、ローランド・ヴァスケス等と共演をしています。
1990年になると、ポール・サイモンのレギュラー・メンバーとしてツアーにも参加しました。
マイケル・ブレッカーやスティーヴ・ガッドとも親交が深く、ブレッカー・ブラザーズのアルバム『アウト・オブ・ザ・ループ』にて、編曲とプロデュースで関わっています。

ヴィクター・フェルドマン Victor Feldman

イギリス出身のピアニスト、ヴァイブ奏者、パーカッショニストであるヴィクター・フェルドマンは、1956年頃ロサンゼルスに移住します。
ジャズの常識にとらわれない柔軟な発想が彼の持ち味で、一曲の中でピアノとヴァイブを途中で切り替えるようなユニークなプレイには、後のキース・エマーソンを思わせるものがあります。

イエロージャケッツ The Yellowjackets

ザ・イエロージャケッツは、コンテンポラリー・ジャズ・フュージョン・バンドとして20年以上にわたって名ライヴ・パフォーマンスと商業的成功を誇示してきたグループです。
各メンバーのミュージシャン・シップも素晴らしく、本国アメリカではグラミー賞を2回獲得するほど高い評価を得ています。

アル・ディ・メオラ Al Di Meola

70’s後半、チック・コリア(p)率いる第二期リターン・トゥ・フォーエヴァーに参加し、驚愕の超速弾きギタリストとしてシーン登場したアル・ディ・メオラ。
スパニッシュ・フレイヴァー溢れるプレイで当時のチックと絶妙のコンビネーションをみせ、弱冠19歳にして名声を手中におさめます。
90年の『ワールド・シンフォニア』では、ただの超絶技巧派から叙情的でスケールの大きなサウンドをクリエイトする真のアーティストへと脱皮します。
タンゴの激情と哀愁を内包したディ・メオラ・ワールドは、心の琴線をかき鳴らすでしょう。

アル・ジャロウ al jarreau

アル・ジャロウが辿ってきた道はジョージ・ベンソンのそれと実によく似ています。
双方ともさまざまな音楽的要素を吸収してきたレヴェルの高いジャズ・ミュージシャンですが、R&Bの分野で大きな成功を収めたことから、ジャズいうジャンルの世界から距離を置きます。
アダルト・コンテンポラリーやコンテンポラリーR&Bを歌いながらも、時折そのなかに素晴らしいインプロヴィゼーションを潜り込ませて、私たちを魅了させます。

アジムス Azymuth

ホセ・ロベルト・ベルトラミ(José Roberto Bertrami、キーボード)、アレッサンドロ・マレイロス(Alexandro Malheiros、ベース)、イヴァン・コンチ(Ivan Conti (Mamão) 、ドラム)の3人により結成されます。
ブラジル・リオ・デ・ジャネイロ出身のジャズ・ファンク/クロスオーバー/フュージョングループです。
日本国内では「Fly Over the Horizon」が人気FM番組「クロスオーバー・イレブン」のテーマ曲として一世を風靡。
90年代以降はクラブシーンからのラブコールを受け、96年からはジャイルス・ピーターソンとならぶクラブミュージックの重要人物である、ジョー・デイヴィスのレーベル、“ファー・アウト・レーベル”へ移籍。
世界中のDJ、クラバーたちのあらたなファンも獲得し、現在も世代を超え音楽ファンに支持されつづけています。

ラリー・カールトン Larry Carlton

1971年から1976年までジャズ・ロック・グループ、ザ・クルセイダーズに参加。
1970年代には、ロサンゼルスでセッション・ミュージシャンとしても活躍し、スティーリー・ダンやジョニ・ミッチェルも含む多数のアルバムに参加しています。

マーカス・ミラー Marcus Miller

ベーシストとしてのマーカスは、’77年製フェンダー・ジャズベースをトレードマークとして、、スラップ、タッピング、独特のネック寄りのフィンガー弾きなどの奏法を駆使して、表現力豊な深みのある音でそれを鳴らします。
また、ジャズ、R&B、ファンクなどあらゆる音楽ジャンルの習得・理解をバックボーンとしたベースラインやグルーヴ感を伴った演奏が最大の魅力です。

パウリーニョ・ダ・コスタ Paulinho Da Costa

まずは、パウリーニョ・ダ・コスタです。
ブラジル出身で、1970、80年代のフュージョン・ブームを支えていたパーカッショニストの1人です。
当時、ラルフ・マクドナルドと共に、数え切れないほどのレコーディングに参加していました。

トム・スコット Tom Scott

サックス全般/フルート/クラリネットと何でも吹きこなすマルチ・プレイヤー。
初仕事はジョージ・ハリスンのレコーディングです。
その演奏が業界内で反響を呼び、以後、70’sロック/ポップス・シーンで引っ張りだこのスタジオ・ミュージシャンになりました。
マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストンなど、サポートしたアーティストはすごい数。
そんな経歴もあって、リーダー・グループのL.A.エクスプレスはロック色が強いフュージョン・バンドです。

エウミール・デオダート Eumir Deodato

ジョビン、ジルベルト、ヴィニシウスらが生み出したボサ・ノヴァに斬新な和声アレンジを加え、ポピュラー作品として世界に紹介したボサ・ノヴァ第2世代を代表する作曲家/アレンジャー/プロデューサーです。
アレンジャーとしてもアース・ウィンド&ファイアーやクール&ザ・ギャングの作品で、ブラジリアン・ミュージックとブラック・コンテンポラリーとの重要な掛け橋を築きました。

デイヴィッド・サンボーン  David Sanborn

‘60年代から数々のブルース~R&Bバンドで演奏し、’75年にソロ・デビュー。
ワン&オンリーのエモーショナルな音色、まるでシンガーのように歌いあげるフレーズでシーンを牽引し続けています。

ジョージ・ベンソン George Benson

1968年マイルス・デイヴィスの初のエレクトリック・ジャズ作品「Miles in the Sky」のレコーディングに参加。
ウェス・モンゴメリー直系のインスト・ナンバーから、アーバンでメロウな歌モノまでを器用にこなすギタリストです。
64年にアルバム『ニュー・ボス・ギター・オブ・ジョージ・ベンソン』でデビューした彼は、初期はソウルジャズ的なファンキー・プレイを身上としていたが、名プロデューサー、トミー・リピューマとがっちり組んだ76年作『ブリージン』でヴォーカルに本腰を入れるとともに、ギター・ソロをとりながら披露するスキャットにも磨きをかけ、大ブレイクを果たします。

ザ・クルセイダーズ The Crusaders

1970年代に活躍したアメリカのフュージョングループ。
ジャズ・クルセイダーズが前身です。
フュージョンはおろかクロスオーバーという言葉もなかった時代から、ジャズという既成概念にとらわれずにさまざまなジャンルの音楽を取り込み、独自の音楽世界を表現しようとしてきました。
バンド全体からうねり出されるブラック・グルーヴが最大の魅力で、40年以上も活躍するメロウ・ファンクの殿堂です。

ボブ・ジェームス Bob James

フュージョン界、西(海岸)の横綱ボブ・ジェイムス。
大学在籍時、インターカレッジ・ジャズ祭で優勝したのを機に、クインシー・ジョーンズの推薦によって『ボールド・コンセプションズ』(62年)でデビュー。
しいメロディと耳ざわりの良いサウンドでシーンを牽引し続けた彼は、アール・クルー(g)との共作『ワン・オン・ワン』(80年)やデヴィッド・サンボーンとの『ダブル・ヴィジョン』(86年)をはじめ、多くの作品でグラミーを受賞します。
91年にはネイザン・イースト(b)、ハービー・メイソン(dr)らと共にフォープレイを結成し、その都会的で洗練されたフュージョン・ミュージックは、聴くものを恍惚とさせます。

アール・クルー Earl Klugh

座りながら演奏する際に、右ひざではなく左ひざにギターを置くという一風変わった演奏スタイルをもつジャズ・ギタリスト、アール・クルー。
幼少からピアノとナイロン・ストリング・ギターを学び始めたが、最終的にはギタリストとして落ち着き、10代の頃からユセフ・ラティーフやジョージ・ベンソンらと精力的にレコーディングやツアーをこなし、チック・コリア&リターン・トゥ・フォーエヴァーのギタリストとしても活躍しました。
ジョージ・ベンソン(ジャズ)やチェット・アトキンス(カントリー)、そしてフォークと幅広いギタリストから影響を受けたクルーのスタイルは、それらのサウンド・マテリアルを巧みに調和させるバランス感覚に驚かされます。