美容師 Hairdresser

モデルフォト

今回のフォトはミディアムスタイルです。
ボブベースで顔回りがマッシュルームベース。
僕は基本的にアウトラインはあまり動きのあるスタイルは好んで作りません。
ロング・ミディアム・ショートいずれも、ほとんど外はね。
西洋人のような柔らかい髪質の人は、動かしてもボリュームが出ませんが、アジア系の人はサイドにボリュームが出るのが嫌だなぁと思います。
トップの髪は波のような、柔らかいウェーブが好きです。
昔のコイル状のお姫様のようなカールは、僕の作るスタイルには「甘さ」が強すぎます。
生活とファッション。
ファッションには2面生があると思う。
結婚式の2次会やハロウィーンの仮装などの普段とは違うシチュエーション。
また、朝起きてから、学校や職場に通い帰宅する日常。
僕のモノ作りは常に日常に置いています。
内巻きに入るボブよりも、ひょっこりと下から見える靴のように、外はねの方が好き。
アジア人の場合、髪質によってはボリュームが出すぎる場合があるから。
柔らかく、大きなカールが上からかぶさるグラデーション。
そんなイメージがあります。
今の気分を大切にしています。
時代感。
自分のイメージするスタイル、服・髪型・メイク・靴。
流行は気にしていますが、それとは別の気持ちがあります。
何年たっても、変わらない芯の部分。
そんな空気感を出せればいいな、と。

美容師の平均年齢と現実

自分の周りの同期、先輩は独立して美容を続けている人が多い。
30歳から40歳において、選択する道があるようです。
なぜかと言えば、美容師の年齢が大きく関係あります。
①店長や役員になる道。
②独立する道。
③従業員で続ける道。
④大型店で教育やマネージャー業務に転向する道。
⑤ディーラーさんや「かつら」屋さん(フォンテーヌ)、美容用品メーカーに勤める、増毛・埴毛などの道も。
⑥髪結い師、メイクさん、エクステ専門店など。
皆さん、美容師の平均年齢をご存知ですか?
約29歳。
みんな 大人はどこにいるのでしょう?
美容師はピーターパンの世界のようにみんな29歳以下なんですかね(笑)
美容師の年収、給料、時給と仕事内容を調査しました。

平成22年 美容師 の平均年収:267万円

  • 平均年収:267万円
  • 平均月収:22万円
  • 平均時給:1171円
  • 年間ボーナス等:6万円
  • 平均年齢:28.7歳
  • 平均勤続年数:5.6年
  • 復元労働者数:36740人
  • 総労働時間:186時間/月
  • 男性平均年収:285万円
  • 女性平均年収:256万円
  • 男性割合:37.9%
  • 女性割合:62.1%

美容師 過去10年間の平均年収推移(単位:万円)
これから、美容を目指す人たち。
また、美容師を続けているが周りの先輩を見ても先が見えない人たち。
不安な中で、現実の目の前のお客様を幸せにしなければいけない現状。
これらの問題は、非常に根が深い。
①まずは、お店が多いことです。多いことによる需要過多のため、競争が激しく安定した生活が望めない。
②タクシー業界と同じく、他業種の新規参入があり美容師以外の経営者、インターネット、不動産関連の人たちが、目先の売り上げ重視の傾向で、長く続けられる美容業界の仕組みがつくられていない。
③昔からの伝統的仕組みが変わらず、一人の経営者の独裁力が強く、労働組合などが存在しなく、その労働条件が国に認められていない。かつて、看護師なども不当の労働を強いられていた。未だ介護師も変わらない。
④美容学校など、美容室の労働環境と本人の思い描く、美容師の労働との違いが大きすぎるにも関わらず、実態を公表していない。
しっかり、考えないといけないと思います。

鶴丸真矢・つるまるしんや

萩原宗美容室には、カットスクールがある。
今はピーカーブーやアルティファータなど、多くのサロンがカットスクールを行い、カキモトさんのカラースクール、新井会などのアップスタイル講習など多岐にわたる。
そもそも、なぜプロの美容師さんがお金と時間を使い(だいたい美容師の講習は8時間くらいで、1万円くらいはする)他のお店の美容師さんやメイクさんなどに教わるのか、疑問ではないでしょうか?
たとえば、料理人。
料理の世界では、フレンチで働いているプロが中華、和食の勉強をするだろうか。
フレンチの料理人が、別のフレンチの料理人に教わる、など。
前に聞いたことがあるが、フランスではひとつ星のレストランで修業を半年、1年働くと紹介状を書いてもらい別の、二つ星のレストランへ修行と渡り歩く事が出来る。
お相撲さんなら別の部屋に稽古などなどある。
美容界の問題点でもある練習や勉強。
まず、基本的に練習や勉強は先輩が後輩に伝える、または答えのない技術をお互いに作品にしてみて感じあう、などでしょう。
それでは、全国の美容室が週に一度、または2度練習会を設けているか?というアンケートに3~4割程度のサロンしか練習会は設けていないというデータもある。
それでは、だまっていれば自然に技術が覚えられるかというと、そんなことがあれば苦労はないでしょう。
そこで、大手チェーン店のお店ではカット、カラーなど多くのカリキュラムに対して講師を設けて自分の休みの日、もしくは出勤扱いで勉強しているお店もありますが、かなり「まれ」です。
よって、お店自体の技術力がその学べる全てになります。
そこで、技術力の格差、お店、場所、国により考え方、スタイルの分だけ講習が存在します。
大手では技術部門があるので、そこで作品を時代に合わせて研究しお店のスタッフに還元している。
そうでない、現場の人間は講習に行くということでしょう。
僕は4年ほどその部門で働かせて頂いた。
その時の校長(マスター)が鶴丸真矢先生でした。当時は(マスターズサロン)現・萩原宗美容室カットスクール。
現在は滝川伊豆ビューレックのカットプライマリー講師。

今の僕の基本的なベースは鶴さんによるものが多い。
ビダルサスーンの幾何学的な球体に対する、直線のアングルの組み方。
グラデーション、レイヤード、ボブにマッシュルーム。
ドライとブロー。
何より、鶴さんは鹿児島の薩摩藩育ち。
カメラの撮影所で生まれ、幼少より対象物に対して美しく見せるデザインのとらえ方、あの当時失敗は許されない現場での緊張感、演劇に精通しいて、お客様を魅了する立ち振る舞いの美しさ。
どれも完ぺきで、プロとしての姿勢を学びました。
「自分たちが10年かけて先輩から学び、それを実践切磋琢磨研究したものは、その次の学ぶ人間には5年で教えてあげられるよう努力しなさい」と言われてきました。
その姿勢は今に続いています。

萩原宗美容室 鶴丸真矢・つるまるしんや

萩原宗

入社は卒業の年、3月に伊豆の研修所に合宿という形で同期50人くらい!?多すぎてわかりませんが。
とりあえず、朝のランニングから声だし、連帯責任意識的なことをやったと思う。
かなり辛くて、記憶が定かでありません。
この当時は、根性行け行け!でした。
その後、各店へ配属。
その当時は、コーヒーは一杯500円くらい。(喫茶店と言っていた)
ドトールや、スターバックス、 エクセシオールなどアメリカ式フランチャイズチェーンは出始めでした。
これにより、価格競争や雇用形態が一新したと思う。
美容室は、昔は一軒家で営業していて今のように、大型化や店舗形態はなかったらしい(僕も聞いたことしかない)
これにより、料理人、将棋の世界や、落語、お相撲など住み込みによって、徒弟制度(聞いたことあるだろうか!?)によって、その家を掃除したりご飯のお手伝いがあったり、生活を共にしていたらしい。
僕がインターン(この呼び方はすでにない)のころは、全ての先輩の昼食の買い出しがあった。
10人以上いたから夏などペットボトルで、汗だく。
僕の当時であまり聞かなかったが、ご飯をみんなで作って食べているところもあったらしい。
何しろ朝早く、夜は11時、12時帰宅の毎日。
休日も先輩たちも同期も、練習に出ていた。
この当時の時代もあったと思うが、みんな自分のお店やデザイン、技術に並々ならぬプライドを持っていた。
半年に一度、スタイリスト試験、トップスタイリスト試験、年に一度アーティストディレクター試験とあり、今まで教えてくれた先輩、またその店長に対する想い(落ちると店長の名に傷がつくかも!?)、後輩に抜かれる緊張感みたいなもので、最初は手が震えてハサミが落ちたり、コーム落ちたり、大変だった。
試験の時のモデル探しも、なかなか楽しくも大変で、駅前で冬の手が震える中缶コーヒーを握りしめ、道行く人に声をかけていたと思う。
僕はこのお店は新宿店も含め7年くらい!?お世話になった。
萩原宗さんとも何度かお話をさせて頂いたが、社長(みんなは呼ぶ)はみんなの顔を覚えてくれていて、ちゃんと声をかけてくれた。
僕も責任職を頂いたときは、マネをさせていただいた。

美容師を志し20年近くなりました。(光陰矢のごとし)
自分の関係してきた美容師さんは多くいますが、順を追って紹介したいと思います。
初めに東京都中野にある窪田理美容専門学校。
僕の時代は1年間で卒業でした。
短期大学として2年生に進む人も2クラスありましたね。
なぜ、窪田理容美容専門学校を選んだと言うと、僕は田舎の北海道から東京に憧れていた。
時代はバブルの後半でした。
街は、毎日夢のような日々、ディスコにお立ち台(一度ジュリアナ東京にも行った)、ソバージュ、ワンレン、DCブランド、シブカジ、アメカジ、紺ブレ。
確かメンズノンノは阿部寛や田辺誠一。
雑誌はJJやアンアンなど流行っていた。
この時代は、まだカリスマ美容師の前の時代。
僕の窪田時代のクラスメート、男性は7人しかいなかった。
松田聖子の聖子ちゃんヘアのディメンション、イマイ、カキモトアームズ、シマ、ミンクス、などまだまだ大きく羽ばたく前の時代です。
この当時はカット アンド ブロー。
分からない人多い!?と思いますが、皆さんご自宅でプロもびっくりのテクニックでブラシでブローをしていた。
僕は美容師になってアシスタント時代、ブローに入るのが怖かった(涙)
20分、30分ドライヤーで形をつけるのは当たり前。
汗だくだくかきながらブローをし、スタイリストがどのように仕上げるのか見て、終礼後に「お願いします!」とドキドキしながらアドバイスを頂いていた。
上手くいかなかったときは、聞きに行くのが怖かった(涙)
その分、上手く何も直されずにスタイリストが仕上げの整髪剤をつけてくれると、認めてくれた感があって励みになった。
そこで、田舎者の自分はまずは美容師はカットだろうと、「カットの宗」
と言われたその当時10店舗近く東京に広げていた店を選ぶべく「宗」さんの出身校である窪田理美容専門学校を訪れたのです。

アニメとヘアスタイル

最近は「マンガ」という言葉は、世界の共通語のようです。
海外の方と話をする機会があると、ヨーロッパでも小さいときはドラゴンボール、キャプテン翼、北斗の拳、渋いところで、アキラやデトロイトメタルシティー。
僕はアニメではありませんが、奈良よしともさんの作品が好きです。
ルイ・ヴィトンとのコラボレートでも有名な、村上隆さん。
芸術家と商売という意味で賛否両論ありますが、コムデ・ギャルソンの川久保レイ同様、僕は好き。
僕はモッズヘアで働いていた時、春夏、秋冬のヘアスタイルコレクションで、フランスのアニメ文化を反映した時期のものが、大好きだった。たしか「バニー・フレイズ」。
日本語で 「バニラ・イチゴ」だったはず。とてもキッチュでフランス人の感覚にあったんだと思う。
先日、SAKABE MIKIOのコレクションが行われた。
場所は六本木TUTAYA。
秋葉原ディアステージ所属ユニット「でんぱ組.inc」とのコラボは、かっこいい。

Hairdresser

1970年代以前のテレビや映画、ファッションショーなどの出演者、モデル等のヘアスタイリングやメイクアップは主に美容室に勤務する美容師が担っていました。
日本では1960年、白黒だったテレビ放送から色のついたカラー放送が開始され、1964年の東京オリンピック開催を期にカラーテレビの普及も進み、カラー放送が増えたことでヘアーメークアップアーティストの仕事が急増しました。
1972年には日本で初めてプロのヘアメイクアップアーティストを養成する専門校メークアップアーティスト学院が東京の渋谷に誕生する。
70年代後半、日本では「シバヤマ美容室」や「伊藤五郎美容室」などが出張美容業務を行い、同時期にパリでは「モッズヘア」によって撮影専門のヘアスタイリスト事務所が生まれた。
僕が東京に出てきたのが、1990年。
当時は今のカリスマ美容室が進出する前。
僕の周りでも五郎さんの美容室出身の方やヘアメイクアップ事務所の人もいました。
ヘアメイクと美容室の二つを両立する形態はこの当時からありましたね。
「スタジオV」の須賀勇介さんや「アトリエシン」の野村真一さん、「サッシュ」の渡辺サブロウなど今の日本のヘアメイク、美容業界の柱の人たちです。
僕は仕事をする中で、これらの名の通った人の仕事を見るのが大好きでした。
みんなそれぞれに出身の看板をしょっています。
自分の仕事がだらしないと、自分の師匠やサロンに傷がつくため、また自分の仕事やクオリティーにプライドを持っていた。
僕はその中でも、モッズヘアの田村さんの考え方やスタイルに共感します。
「自分のすべてを出し切った作品が、もし何かに似ていたら捨て去るべきです。苦しくても未練が残っても、それはあなたの個性ではない。明らかに誰にも似ていない事。名が記されていなくてもその人の香りを発していること。技術を突き抜けて、そこまで届かなくてはならない。クリエーターとは、職人ではない」
それは既成の美しさを裏切り、新しい驚きと喜びをもたらす。

日本のファッションと美容の歴史5

はたして、美容師になりたいという人が、未だに多いのではないでしょうか?
人気商売?
自分の周りにいませんか?
美容学校に友達が通ってます、美容師2年目の友達がいます、最近ようやく髪を切れるようになって、カットモデルを頼まれました。
さて、この意見は本人が20代前半の話です。
30代の方と話をすると、友人が昔美容師してました。昔美容師をしていたが、今はアルバイトですね、など。
周りを見てください。特に、チェーン店や青山、原宿数あれど、30代後半から50代の美容師さんが現役で、どのくらい現場でデザインを作り上げていらっしゃるでしょう?
それほど多いとは思いません。かなりの優秀なスタイリストだと思います。
美容業界はこの10年間で開設が28%で、廃業が30%。だいたい10年で30%のサロンが入れ替わっています。その数は、最大手コンビニのセブンイレブンで、1万2000件、コンビニ全体で約5万件。
それに対し、美容室は21万件(びっくり)。コンビニ全体の約4倍。セブンイレブンの20倍あります。
だいたい、4人以上のスタッフで運営している美容室は2割か3割ではないでしょうか?ほとんどは3人以下の美容室だと思います。
特に20人、30人の大型のお店は数えるほどです。
話は変わりますが、一般の方は(物づくり、大工さんや芸術関係、料理人、音楽関係など以外の人)美容学校を卒業すると、人の髪を切れると思う方がほとんどのようです。
僕もそう思っていた(笑)
いつも行く美容室を見てください。21,22歳でお客様の髪を切っている美容師さんがいるでしょうか?
才能ある方はいるかもしれませんが、中学校卒業資格の時代は当然いました。今は基本は高卒ですので。
料理学校も同じです。もし、料理学校を卒業して一人前でしたら、銀座のすし屋で元気に握っているでしょうが、見たことはありません。
美容学校のの2年間は基本的には国家資格をとることを目的としています。
細菌など伝染病などの衛生法規や基本的な美容の知識でしょう。
現に国家資格に「カット」科目が追加されたのは、最近の話。
僕の時代は「カット」なんてなかった。
国家試験のヘアスタイルはどのような基準でしょうか?
基本はハサミやコームの使い方でしょうが、切り方は美容学校で違います。
また、入店する美容室でもカットの仕方は違います。100店あれば100通り違う。それぞれ、時代、流派、お店の幹部によって、試験が変わります。
まさに、正解がない。この先輩はこういうし、あの先輩はこう。みたいな。
大型のお店では、先輩でなく教育専門の人材を揃えている美容室もありますが、まれです。
手に職をつける仕事で、接客を用しない職は仕事をしながら教われますが、美容室はできません。
だから、閉店後に練習会という形で教わることになるので、夜が遅いのです。
ここで、以前に問題になったのですが、閉店後の練習会は残業として見るべきでしょうか?
残業なら給与を会社が払わなければなりません。
残念ながら、美容界は残業ではなく自主的な問題として、練習会を設けています。
しかも、大型店は残ることによる、電気代、薬代を天引きしているお店もあります。
僕の時代は、勉強させてもらいながら、給与も頂ける。
という思想でした(当然、給与は雀の涙)
だいたい今の時代、普通に毎日練習に励み、5年でスタイリストになれれば優秀だと思います。
都内だと1年目、給与は15万もらえるとかなりいいほうだと思います。地方に行くと高くなります。
同じ給与だと皆さん、都内で働きたいのでしょう。
今、美容師になろうとする高校生にしっかりと、道筋を教えて考える機会を与えるべきだと思っています。
美容学校に入って、高い授業料を払って、思っていたイメージと違うケースは多いはずです。
それでも、お客様からエネルギーを頂き、自分も元気になれる素晴らしい仕事だと思います。

日本のファッションと美容の歴史4

美容師は接客業であるか?
美容師は技術職人であるか?
美容師はアーティストであるか?
僕は美容を志し、お客様を迎えるようになったスタイリストになってから、疑問がわいてきた時期があった。
当時の美容業界ではディレクター料金¥7,000 トップスタイリスト¥6,000 スタイリスト¥5,500
など 看板がありました。
ここで、お客様は一つの疑問がわきます。
なぜ、料金が違うのですか?
僕たちスタイリストは必死に、練習します。
夜はモデルハント、休みの日は講習会、など早く上にあがりたかった。
単純にかっこ良かったし、給与も多少上がる。
お客様からすると、「今度、トップにあがりましたので、カット料金上がります」
みたいな。
経験年数です。
上手です。
売り上げを持っていますので。
はたして、何をもってはかるのでしょうか。
こういう経験はありませんか?
美容師さんにイメージを伝えたが、短くなった。
言うことを聞いてくれなかった、とか。
僕はアメリカの女性に担当したときに、「はっ」とさせられました。
今日はどのようにさせていただきますか?
その女性はこう答えました。「それを考えるのがあなたの仕事じゃないの?」
はたして、美容師は「髪切り屋」でしょうか?
「今日は何センチ切りますか?」
よく、何気なく美容師さんは質問します。僕もしていました。
いろいろな、考え方がありますが、僕の師匠の一人である「萩原宗」さんは答えます。
「美容師はどこまで行っても、接客業」
だまって無口でお客様の髪を切る、とか。
スタイルの押し売りをする、とか。いけない事だと。
アーティストは自分の世界観を表現する思想の塊。
真似はいけないし、独自性が根本。
そこに、同じ価値を持つファンがいて、成り立つものです。
一生日の目を見なくとも、作り続けるのです。
毎日、毎日作り続けるのです。
そして、100年後に日の目に当たるひとがいるかもしれません。
本来、ファッションの「流行」とは、真似事だと思います。
コレクションの誰かが、発表しメディアによって広められ、人に伝わる。
宿命だと思います。
あの人、かっこいいな。
あの服、かわいい。
ほかのショップも同じラインを揃えます。
それによって、流行になる。
だから、ヘアーも雑誌に掲載される、芸能人の髪型、など僕たちは流行に乗らざるを得ないものです。
デザイナーとはオーダーがあってそれを、自分が持つたくさんの引き出しを武器に、その方の理想に近づける技術を駆使する技術屋さん。
お客様の理想に近づける、お手伝いのようなものだと思います。
髪という素材で、人間という頭に限定され、そこにその人の生活がある。
そこを無視はできないと思う。
そんな中、ほんのちょっぴり自分が出せたら、最高でしょう。

日本のファッションと美容の歴史3。

日本における美容の体系は、日本古来の結髪はありましたが、イギリスのサッスーンが8割くらいで、フランスが残りをしめているものです。
ここで気になるのが、イギリスとフランスはどう違うのか?
美容界においても、なかなか答えが出せる方も少ないと思います。
フランスにおいては、独自の文化を持っている国。
イギリス式のまっすぐに、直線で構成する造形感というか、パリという都市における、シャンソンであったり、キャッフェであったり、印象派の空気が「よし」としなかった、気がします。
フランスの美容の革命児と言えば、マニアティス。
maniatisとはデザイナーであるjean marc Maniatisの名前から来ています。
マニアティスは日本でも多く見られるようになったドライカットのルーツであるエフィラージュカットを考案した人で、ファッション業界の中でELLEやmarieclaireなどの雑誌の中で活躍をし、またソバージュヘアなどの流行を生み出して来ました。
そんなマニアティスのサロンがmaniatis parisです。
maniatis parisでは、究極のカットエフィラージュとお客様の個性、そしてその時代にあったファッション性をブレンドし一人一人のデザインを提供しているサロンです。
今の日本の美容界では当たり前ですが、シャンプー後にウェットカットのあとに、ドライカットという工程を踏んでいる美容師がほとんどではないでしょうか。
昔の美容師さん達は、ブラントカット(ハサミでまっすぐ切る切り方)全盛時は、ハサミを一本しか持っていない人もいたらしいです。
今は、ウェットカットように一本(もともと、ハサミ職人は、昔は鍛冶屋さん。
日本刀を作っていました。
その後、医療用ナイフや料理用、また、ハサミと変貌していきました。
日本のハサミは世界でも美容師さんに愛されています。
僕はフランスの方のハサミがたまに、普通の文房具用のハサミの形を見て驚いたことがありました。
ドライ用に一本(これは、ささ刃と言ってわざとにまっすぐに切れないようになっている)
セニングシザー(最近は東急ハンズなどにも、売っているすきバサミ)
詩をこよなく愛し、おしゃべりというか、討論が好きな民族。
自分の身分をわきまえて、その中で楽しみを持てる人が多い。
日本人のように、流行や他人の言動に流されず、自分の価値観をしっかり持っている。
ぼくのフランス人の好きな人生観に、最後にやれるところまで努力した結果、自分の目指すべき満足に到達できない時、「それが人生さ!」
さらっと、言い切ってしまうところ。
そんな、フランスだから全くイギリスのカットとフランスのカットは全く違う。

日本のファッションと美容の歴史2

ところで、皆さんは英語と米語では「美容師」という言葉が違うのをご存知でしょうか?
米語では、beautician 英語ではhairdresser、ちなみに日本語では昔、結髪師。
僕はまだ、アシスタント時代に英会話の「NOVA」に通っていた。当然、イギリスのヴィダルのスクールに行くためだった。
その時の先生が、イギリスの「FACE」という雑誌の編集者だった。
その先生が、hairdresserは封建社会時代、宮廷の偉い方につかえていた、画家、料理人、同様、髪を扱うものに対して、敬意を表し名付けていた、と言っていた。
先生は本国イギリスで350ドル、日本円で35,000円をカット代だけで払っていた。さすが、ヴィダル。
階級社会のイギリスでは、美容師はランクは下ではないのだ。
米語ではエステティシャン同様、仕えるものということだろう。日本も時代劇を見ても、庶民のもの、、、
やはり、あまり慎重されていない。まあ、「盛り師」同様、遊女の髪を結う人はいたと思う。
自分が美容師を始めた時は、美容学校ひとクラス40人で、男子7,8人程度。
まだまだ、男性美容師は今のように多くなかった。だいたい、海外の映画を見ると美容師は「ゲイ」が多い。
僕の所属した最初の集団「So Hagiwara」は セットの時代から、カットの時代を日本でいち早く切り開いた方。だから、ほとんどセットはやらなかった。
僕は、自腹を切ってアシスタントの(当時給与は13万くらい)時代に、セットアップを習いに行った。講習料は、当時で4,5万した。
その先生(あの当時セット屋さんはお水相手に仕事をしていたのが普通)は赤坂派だった。
今でも、銀座、新宿、六本木、赤坂の流派の名残があり、見る人が見ると分かるらしい。
僕の友人のセット師は銀座で働いていて、コテより今でもカーラーを使っているとか。

日本のファッションと美容の歴史1

僕は美容師を20年近く、続けている。
1990年に、遠く北海道から東京に出てきて、中野の窪田理美容専門学校(当時は1年間)で学んだ後、がむしゃらに美容道と向き合ってきた。
時代はまだまだ、バブル全盛期。昭和ですな。僕は、青山ベルコモンズ店へ入店希望をしていた。その当時は、まだ、世に「ACQUAアクア)」なるカリスマ美容師ブーム、無免許問題になる前の話。
しかし、夢破れて、世田谷は豪徳寺に配属。(後になって思えば、かなりその後の人生にとって良かった)
当時は今のように、地方にも技術やデザインなど優れた美容室が、それほど多くなかった気がする。
実際、雑誌に毎月のようにヘアースタイルの特集が組まれることなんて、なかったんだね。
だから、昔は、美容師さんの仕事はスタイリスト優先で行われていた。
モードやファッションは美容師が
「今はこれが流行りだから」
「今日はこうするわね」
「あなたは、これが似合うから、これにするわよ」
等、言葉が飛び交っていた。
現に、地方に行ったり、お年を召したお客様が来店されると、
「先生」(ちなみに、僕をそうよぶ)
なんて事も、多々ある。
世界で初めて(公認されてる)、女性の髪をはさみによって形づける、事を開いた先駆者を皆さんは知っているだろうか?
名前を知っている人は多いと思いますが、シャンプー!?みたいな人も多いのでは。
「ヴィダルサスーン」である。ちなみに、イギリス人。
僕が思うに、イギリス人は、産業革命、サッカー、ラグビー、ゴルフ、スコッチ(酒)、数学における幾何学、ロック、パンク、なんでも生み出す懐の深さがある。
日本人は感覚が合うと思いますね。
同じ島国だし、(いい意味でも、悪い意味でも似てる気がする)
それまでの、1940、1950年代は、まだまだ女性が社会に出て自立なんて、難しかったと思う。
近年、「シャネル」なんて映画が、出てましたが当時、女性がくるぶし、ひざ、ふともも、なんて出すことはとても、破廉恥な行為。(今に生まれて本当によかったね)
「シャネルレングス」なんて、ひざ丈のスカートを世に出すや、話題が話題を呼び、女性の民主化、自由を勝ち取っていったと、思う。
当時は、大きな頭のアップスタイル全盛期、あんな大きな頭では社会で、バリバリ働くなんて無理でしょう。
後になって、ツイッギーやビートルズなどショートスタイル、いわゆる「ブラントカット」と呼ばれる幾何学的な直線による、造形的なヘアースタイルが生まれる。
ここで、ヴィダルサスーンを評した言葉がある。
ハサミで世界を変えた一人の男、ヴィダル・サスーン。
カット&ブローの革新的なスタイルを彼がクリエートするまでは、多くの女性が美容の奴隷だったのだ。
セットに週2~3日サロンに通いローラーを髪に巻いて寝るという生活から女性を解放したサスーン。洗ってすぐに外出できるカッコイイ、デザイン。
サスーンは前を向いて歩んできた。