写真 Photograph

ジム・マンガン JIM MANGAN

Joseph szabo ジョセフ・ザボ

1969年、夏
僕はアートスクールで中学生を相手に写真をレクチャーしていたんだ。
当時は、教員をしながらアマチュアのカメラマンとして、生徒やティーンエーンジャーたちの写真を撮っていたのさ。
この写真を撮ったのは、学校が夏休みの時だった。
午前中の課授業を終えると、午後はロングアイランドにあるジョーンズ・ビーチに行ってゆっくり時間を過ごすのが、僕の夏休みの日課だった。
そして、ちょうどビーチに入ろうとしたときに、彼女が目の前に立っていたのさ。

奈良原一高  Ikko Narahara

1931年、福岡県生まれ。
中央大学法学部卒業後、早稲田大学大学院で美術史を専攻。在学中の1956年に開催した個展「人間の土地」で注目を集める。
58年「王国」を発表。59年、東松照明、細江英公らとセルフエージェンシーVIVOを結成。
62〜65年までフランスを拠点に欧州を旅する。
帰国後に『ヨーロッパ・静止した時間』で日本写真批評家協会賞作家賞受賞。
以後も『消滅した時間』『ヴェネツィアの夜』などを発表。

東松照明 Syomei Tomatsu

1930年名古屋市生まれ(2012年没)。
大学在学中より写真の制作を行い、間もなく頭角を現し戦後の日本の写真界を牽引する中心人物として活躍。基地周辺の人物や風景をとらえた「占領」シリーズをはじめ、原爆の記憶を辿った『〈11時02分〉 NAGASAKI』(1966年)など、時代状況への鋭い視線とともに、写真表現の可能性を切り開いてきた。
1969年に沖縄と出会って以後、基地だけではなく豊かな自然や風俗への関心も深め、その成果は毎日芸術賞や芸術選奨文部大臣賞を受賞した作品集『太陽の鉛筆』(1975年)に纏められた。

川田喜久治 Kikuji Kawada

「えたいの知れない見えない物質に襲われつづけると、すべての表現はかわるのが自然だとおもいます。

「同じスタイルは危険ですし、生命も失うことになります。全生物、みな擬態して危機の去るのを耐えるか、偶然のさらなる驚きを探しながら、進化と消滅を繰り返してきました。どこにいても、見えないものを見つけるのはむつかしいのですが。」  2011年7月・川田喜久治

世界的に著名な写真家・川田喜久治の写真は今もその進化を続けている。
その進化に方向性は似合わなく、川田喜久治の写真は何処へ進んでいくのか。

瑛九 Eikyu

瑛九は前衛絵画の先駆者として日本美術史に確かな足跡を残した人です。
キュビズム、抽象絵画、印象主義、シュルレアリズムなどを吸収しながら、独自の点描による抽象表現にたどり着きました。
油絵のほかにフォト・デッサン、銅版画、リトグラフなどの技法にも取り組み、たくさんの作品を残しています。
また、デモクラート美術協会を創立し、池田満寿夫、靉嘔などの美術家たちに影響を与えました。

木村伊兵衛 Ihei Kimura

木村伊兵衛(1901-1974)は、昭和初期に『光画』同人として発表した作品などで名声を確立して以降、晩年に至るまで常に一線で活躍した、日本近代写真史上最も重要な写真家のひとりです。
戦前・戦中期に携わった報道・宣伝写真、戦後の秋田やヨーロッパ外遊で撮影された一連の作品、また東京を中心とするストリート・スナップ、さまざまなポートレイト、舞台写真など、木村は多彩なテーマにとりくみ、多くの傑作を残しました。
それらの作品は、卓越したカメラ・ワークと、機材や感材への深い理解によって生み出されたものであり、写真独自の視覚の追及を命題とした近代的な写真表現の、日本における最良の成果の一つと言えます。
一方で、報道写真という新分野に取り組んだ木村は、印刷を媒体とするイメージの流通という、写真の社会的機能にきわめて自覚的だったという意味でも、近代写真のパイオニアとして重要な役割を果たしました。

土門拳 Ken Domon

実物がそこにあるから、実物をもう何度も見ているから、写真はいらないと云われる写真では、情けない。
実物がそこにあっても、実物を何度見ていても、実物以上に実物であり、何度も見た以上に見せてくれる写真が、本物の写真というものである。
写真は肉眼を越える。
それは写真家個人の感覚とか、教養とかにかかわらない機械(メカニズム)というもっとも絶対的な、非情なものにかかわる。
時に本質的なものをえぐり、時に瑣末的なものにかかずらおうとも、機械そのものとしては、無差別、平等なはたらきにすぎない。
そこがおもしろいのである。
写真家は、機械のうしろに、小さく小さくなっている。
写真家が小さくなって、ついにゼロになることは、なかなかむずかしい。
せいぜいシャッターを切るとき、あっちの方を眺めるぐらいなものだ。
写真の中でも、ねらった通りにピッタリ撮れた写真は、一番つまらない。
「なんて間がいいんでしょう」という写真になる。
そこがむずかしいのである。

中平卓馬 Takuma Nakahira 

1938 東京生まれ。
編集者を経て、1960年代半ばから写真を撮り始める。
1968-1970年に写真同人誌『プロヴォーク』の刊行に関わる。
1977年に病に倒れ記憶の大半を失うが、以後も写真家としての活動を継続する。
2003 年に横浜美術館で個展「中平卓馬展原点復帰-横浜」を開催し、その活動は改めて大きな注目を集めた。

森山大道 Daido Moriyama

1938年大阪生まれ。写真家・岩宮武二、細江英公のアシスタントを経て64年独立。
写真雑誌などで作品を発表し続け、67年「にっぽん劇場」で日本写真批評家協会新人賞受賞。
68-70年には写真同人誌『プロヴォーク』に参加し、ハイコントラストや粗粒子画面の作風は“アレ・ブレ・ボケ”と形容され、写真界に衝撃を与える。
ニューヨーク・メトロポリタン美術館やパリ・カルティエ現代美術財団で個展を開催など世界的評価も高く、12年にはニューヨークの国際写真センター(ICP)が主催する第28回インフィニティ賞生涯功績部門を日本人として初受賞。

細江英公 Eikoh Hosoe

細江英公は1933年生まれ。
17歳の時に富士フィルム主催の「富士フォトコンテスト学生の部」で最高賞を受賞し、写真家を志します。
52年東京写真短期大学(現東京工芸大学)入学後は、既存の美術制度のあり方を否定したデモクラート美術家協会を主催する瑛九と交流を深めるなどしながら、独自の芸術観を確立。
大学卒業後はフリーの写真家として活動し、56年には早くも初の個展「東京のアメリカ娘」を開催します。
59年には川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高らとともに写真家のセルフ・エージェンシー“VIVO”を立ち上げ、「リアリズム写真運動」が主流な時代に、より私的で芸術的な表現活動を展開し日本の写真界を牽引。

安井 仲治 Nakaji Yasui

安井仲治は、1920 年代から1940 年代初頭まで、関西を中心に活動をした戦前期の日本写真史を代表する写真家です。
日本の写真が、世界的な傾向と同時代性を持って表現されるようになった最 初期において、安井仲治は様々な新しい芸術理論を積極的に受け入れ、それらをいかにして当時の日本で展開していくかを極めて深い次元で考えていました。
森山大道など現代の重要な写真家にも大きな影響を与えるその軌跡は、写真にとどまらず、近現代の芸術を広く検討していく際にも、とても重要な視点を与えて くれます。

ヘンリー・ピーチ・ロビンソン Henry Peach Robinson

写真を芸術として認めさせようとする運動は1850年代にロンドンで始まります。
絵画主義写真です。
1857年にはオスカー・グスターフ・レイランダー(1813-1875)が「人生二つの途」という写真作品を発表しましたが、この制作技法は約30枚のネガを合成して作られたといいます。
レイランダーの他にもヘンリー、ビーチ・ロビンソン(1830-1901)も根が合成によるモンタージュ写真を制作していきます。

ピーター・ヘンリー・エマーソン Peter Henry Emerson

写真はますます空想的な作品を作り出し、写真自体の自滅に追いやられていた頃、イギリス系のアメリカ人でもと医学生の写真家ピーター・ヘンリー・エマーソンを中心として新しい運動が始まり、アメリカとイギリスの写真界に大きな影響をもたらした。

「写真は絵画から独立した独自の芸術である。」とし、修正写真や合成写真、絵画のマネゴトに真っ向から挑戦したのである。
写真自体の能力を最大限に引き出し、ありのままの自然さを写し出すことを強く提唱し実践した。
1889年「自然主義写真」という書物を出し、その中でその自説を記述した。

写真家・福原信三 Shinzo Fukuhara

福原信三とは、資生堂の初代社長なのだが、同時にアマチュア写真家の第一人者でもあった人。
フランス遊学の頃より始めた“趣味”の写真であったが、1922年に作品集「巴里とセイヌ」でデビューし、その翌年には「光と其諧調」で写真理論にも新しい潮流を作り出して、21世紀の今にもつながっている。
アサヒカメラ 大正15年 
光と影は写真の生命である。
この光と影が交差した所を写真眼を通じて、夢の世界の筆彩、濃淡の種久相、無弦の光律の演奏を見ることができる。
写真は音楽と違って空間的に動くものである。
それを印象に従って諧調を瞬間につかむと、その一枚一枚が、一つ一つの別の光律を奏でているのは、短い詩を次々に詠むのと同じ境地である。
俳句を写真で詠むようなものである。

テオ・ゴセリン Theo Gosselin

1990年生まれ。北フランス、ノルマンディー地方出身のフォトグラファー、フィルムメーカー。Ryan McGinley, Nan Golden, Larry Clarkの影響を受けながらポスト9.11、ポストエイズ世代のアンダーグラウンドのライフスタイルが見え隠れする写真で注目を浴びる。現在パリとアミアンにて活動中。

熊谷 隆志 TAKASHI KUMAGAI

渡仏後、1994年よりスタイリストとして活動開始。
1998年フォトグラファーとして 広告・雑誌等で活動する傍ら、様々なファッションブランドのブランディングやクリエイティブディレクターなど幅広い分野で活動中。

ウィリアム・エグルストン WilliamEggleston

ウィリアム・エグルストン(WilliamEggleston)は伝説的なアメリカのフォトグラファー。
1939年生まれ。メンフィス在住。エグルストンの作品といえば、アメリカ南部を撮ったシンプルだが緻密に計算された構図に色鮮やかなイメージが有名。
1976年ニューヨーク近代美術館で開催されたエグルストンの個展で、彼はモノクロ中心だったアート写真界でカラーによる可能性を切り開いた先駆者として知られている。

Stephen Shore スティーブンショア

消えゆくアメリカ原風景をシリアスなカラー作品で表現するスティーブン・ショアーは1947年ニューヨーク生まれです。
わずか6歳のときから写真や暗室作業を開始し、14歳でニュ-ヨーク近代美術館の エドワード・スタイケンに写真を購入されたそうです。
17歳でアンディ・ウォーホール とファクトリーの写真を撮影、その後連続写真に取り組みます。
1971年にはメトロポリタン美術館で写真家として初個展を開催した、 驚くべき早熟なキャリアの持ち主です。

Hisaji Hara 原久路

1993年から2001 年までニューヨークでの撮影監督を経て、帰国。
2000年代半ばから写真作品としてはデビュー作となる「バルテュス絵画の考察」の制作を開始。
大正時代に建てられた古い診療所を約1 年以上貸し切っての大掛かりな撮影は、映画セットさながらである。
セピア調で古典的なブロムオイル技法を思わせる淡い描写は、現代作品でありながら、遠い昔に撮られた写真をたまたま見つけたような時間的錯覚を見る者に感じさせる。
独学ながらルーブル美術館に足繁く通い、古典絵画に精通していたバルテュスを、原は有史以来の西洋における視覚芸術の系譜の正統な継承者として位置づけ、そのバルテュスの絵画世界に新たな解釈を与え、写真で再考している。

Mike Brodie マイク・ブロディ

17歳の頃、貨物列車に飛び乗ってアメリカ全土を旅しながらポラロイドで撮った写真によって一躍注目を浴び、瞬く間にその名をとどろかせた若手フォトグラファー、Mike Brodieの写真集。
本作は、35mmフィルムのカメラに持ち替え、2006年~2009年の間に撮影した写真をまとめたもの。
荒涼としたアメリカの大地を、ボロボロになりながら逞しく旅するその写真からは、青年の自由への渇望がにじみ出ています。

蜷川実花 華 Mika Ninagawa

ジョン・フレンチ JOHN FRENCH

1950年代と1960年代の時代を生き戦後のロンドンで世界最高峰のファッション写真家として評価される。
彼の写真はロンドンで写真家デビッドベイリーのアシスタントとしてスタート、やがて一本立ちした彼と仕事をしたモデルは、瞬く間に多くの人の目に触れるようになった。
タングステンライトを嫌い可能な限り自然の光と低コントラストを反映した新しい形のファッション写真撮影にこだわった。

イリナ・イオネスコ・Irina Ionesco

圧倒的な世界観
イオネスコの作風はシュルレアリスムとバロックの混沌
エロ・グロ
女性の視点での、女性の本質、エロティズムを表現すると、男性はロマンティズムを残すが女性はグロテスクな質感になる気がします。

荒木 経惟 アラーキー

アラーキーの写真にはいつも、真実がある気がします。
撮ったものすべてが写真。
美容師は、お客様の要望・注文・依頼にこたえる仕事。
そこには、美容師さんの主観やお客様の欲求はあります。
その時点で、虚構というか、フィクションの形になります。
アラーキーはどんどんシャッターを押す。
ばんばん撮る。
すべて写真。
すごいです。

WILL MCBRIDE

エド・ファン・デア・エルスケン Ed van der Elsken

第二次世界大戦後、フリーのカメラマンとして活動を開始する。
パリに赴き、若者の生態を写した作品をまとめた写真集『セーヌ左岸の恋』(Love on the Left Bank、1954)を刊行し、注目を集め、著名な写真家となった。この写真集は彼の代表作というのみならず、1950年代の代表的写真集だといえる。
その後も、『ジャズ』(Jazz、1958)、『バガラ』(Bagara、1959)、『Sweet Life』(1964)などの写真集を刊行した。
1950年代末から何回か来日を果たし、当時の日本の若手写真家たちにも大きな影響を与えた。


テリー・リチャードソン Terry Richardson

Tereza Vlckova

七種諭 Satoshi Saikusa

モッヅヘアから、フォトグラファーに転向した素敵なカメラマンです。

ロバート・メイプルソープRobert Mapplethorpe

メイプルソープは1946年11月4日ニューヨーク市、ロングアイランドのフローラル・パークでカトリッ ク系中流家庭の6人兄弟の3番目として生まれます。
10代の頃はサックスを演奏 し、ミュージシャン志向でした。
16歳の時にブルックリンに転居しプラット・インスティチュートで絵画、彫刻を学びます。
1967年に詩人で歌手のパティ・スミスと知り合い共同生活を開始しています。
この頃からポルノ雑誌を切り取ってコラージュの制作をはじめています。
メイプルソープはコラージュ、立体、インスタレーションなどに取り組む一方、写真はポラロイドから始めています。
当初は写真は作品ではなくオブジェの一種と考えていたそうです。

kirsty mitchell

ジュリーパイク Julie Pike

日本ではあまり知られていないかも知れませんが、今もっとも注目するするフォトグラファの一人です。
写真とは光の造形だと、僕は思っているのですが、とても柔らかい光を使う作家です。

ユルゲン・テラーJuergen Teller

ユルゲン・テラーは、ドイツ出身で英国を拠点に活動しするファッションの雑誌や広告の仕事に従事している写真家です。

ヨゼフ・スデクJosef Sudek

チェコスロバキア出身のヨゼフ・スデクは“プラハの詩人”と呼ばれる20世紀写真界の代表作家です。
1920年代から死の直前まで、ゴシックやバロック様式の建築物、ストリート、静物などプラハの様々なシーンや郊外の田園風景を撮影し続けました。
スデクの作品は、彼が思想や政治的な関わりを避けたことから、スタジオか自宅周辺で撮影されたものが多いのが特徴です。

jwremy blincoe

アーヴィング・ペンIrving Penn

1950年のパリ・コレクションの写真はペンのファッション写真の頂点として高く評価されています。
彼は単純な背景と北側からの間接光によるニュートラルな明るさを好みました。
彼のファッション、そしてポートレートも自然光を強調するために人工光線を使うテクニックを取り入れました。
当時としては斬新で、後のファッション写真に多大な影響を与えました。
ペンのイメージが受け入れられたのは時代的な背景もあります。
大戦が終了して世の中の価値観が変化しました。
ファッション誌の読者も裕福な階級の婦人から若い働く女性になってきたのです。
しかしファッション写真はいまだヨーロッパ的な戦前の保守的イメージから脱する事ができていなかったのです。
ペンそしてハーパース・バザーのリチャード・アベドンの作り出すイメージは戦後の新しいアメリカ女性の理想のスタイルが提供されていたのです。

アンリ・カルティエ=ブレッソンHenri Cartier-Bresson

アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)は、フランスの写真家。
20世紀を代表する写真家であると多くの写真家・芸術家から評されている。
彼は小型レンジファインダーカメラを駆使し、主にスナップ写真を撮った。芸術家や友人たちを撮ったポートレイトもある。

ヘルムート・ニュートンHelmut Newton

ヘルムート・ニュートンは1920年ドイツのベルリンの裕福なユダヤ人家庭に生まれました。
12歳で既に自分自身でカメラを買い写真を撮り始めます。
彼はマーティン・ムンカッチのルポルタージュに魅了され、自身も写真家を志すようになります。

Guy Bourdinギイ・ブルダン

ギイ・ ブルダンは1928年生まれ、空軍在籍時に写真と出会い、その後パリのデパートでレンズ販売員やアメリカ領事館の仕事も経験もします。
その後画家として厳しい生活を経験後、1955年にフレンチ・ヴォーグ誌に見出されます。
ギイ・ブルダンは生存中、どんな好条件でも写真集制作や、作品のギャラリー展示を拒否し続けたことで知られています。
“写真はそれを最初に掲載したメディアのみに属するべき。
(彼の場合は主にファッション雑誌)”という強いこだわりがあったのです。
また画家として成功しなかったことの失望と挫折が深く関係していると言われています。
たとえファッション写真や広告であっても彼の興味は洋服や商品でなく、それを通して自分のイマジネーションを自己表現することでした。

Fox Harvard (フォックス・ハーバード)

フロリダ州 (Florida) のタンパ (Tampa) で生まれ、サラソタ (Sarasota) で育った。
現在はタンパベイ (Tampa Bay) 在住。
ヌード写真家。

faber franco

Edward Steichen エドワード・スタイケン

スタイケンの写真家人生は20世紀始まりのピクトリアリズム(絵画的) の作品からミッド・センチュリーのストレート写真までおよびます。
その間、風景、ポートレート、ファッション、ヌード、報道と広い分野に渡って活躍しています。
彼は1879年ルクセンブルグ生まれ、1881年に家族とともに米国に移民しています。
アートを勉強した後、15歳のときにミルウォーキーの印刷会社のデザイナー見習いとなります。
1895年頃に最初の写真を撮影、その後印刷のデザインモデルとして写真を撮るようになりますが、次第に自己表現の手段として 取り組むようになります。
彼の初期の写真は絵画的で非常にソフトフォーカスな作品でした。

Dan Holdsworth(ダン・ホルーズワース)

ダン・ホルーズワースは1974年生まれの英国人写真家です。
無人のオフィス、夜間の駐車場、荒涼たる夜の高速道路など、普段見慣れた日常空間が暗闇の中で姿を変える状況を撮影した写真で90年代後半から注目されるようになります。
その後、作品は現代社会の孤独、グローバル経済の境界地域の探求などへと展開していきます。
現代社会を象徴する静謐なイメージは非常に高い評価を受けており、作品は世界中のギャラリーで展示、コレクションされています。
現在では、風景をモチーフとする最も革新的な英国人作家の一人といわれています。

クラレンス・H・ホワイト(Clarence H. White)

クラレンス・H・ホワイト(Clarence H. White)は、アメリカのピクトリアリスムの写真家、写真に関する教育者。
1871年にオハイオ州に生まれる。当初はむしろ絵を描いていたが、10代後半から20代前半の間に写真を撮り始め、次第にアマチュア写真家としての名声を博していった。
1902年に、アルフレッド・スティーグリッツ、エドワード・スタイケン、アルヴィン・ラングダン・コバーンらとフォト・セセッションを結成。
そ典型的ピクトリアリスムの代表的な写真家となり、写真界に大きな影響を与えた。
その作品は、人物写真、風景写真、ヌード写真など多岐にわたる。

シンディ・シャーマン(Cindy Sherman)

シンディー・シャーマンは1954年ニュージャージー生まれです。
ニューヨーク州立バッファロー校で美術を専攻後、写真に転向しています。
大学卒業後の1976年にバッファローで初個展を、そして1980年にニューヨーク・ソーホーのメトロピクチャーズとザ・キッチンでの個展が成功しアート界で注目されるようになります。
彼女を有名にしたのが1977年から1980年まで室外で制作されたモノクロ写真による“アンタイトルズ・フィルム・スティール”シリーズです。
これは仮想のスティール映画写真です。50年代のハリウッドB級映画の ワンシーンに彼女がマリリン・モンローやソフィア・ローレン などを演じ、出演女優そっくりに扮装して撮影したシリーズです。

annalaura masciave

Alfred Stieglitz. アルフレッド・スティーグリッツ

スティーグリッツは裕福なドイツ系ユダヤ人移民の家庭に生まれます。
幼少時代を ニューヨークで過ごしますが、1882年に父親の勧めでドイツのベルリンに機械学を勉強しに留学します。
ベルリンで単玉カメラを購入し写真を撮影するようになります。
1887年にロンドンの“アマチュア・フォトグラファー”誌のコンテストでP.H.エマーソンに認められ賞を受けています。
1890年にニューヨークに戻り、数年間写真製版の会社に勤めた後に当時まだ記録するメディアだあった写真をアートとして広めることに専念するようになります。
ヨーロッパで主流だった写真表現の啓蒙を志したのです。
スティーグリッツはソフト・フォーカスがかかった絵画風の写真を展示したり出版していましたが彼の写真自体は手を加えないストレート写真でした。
1892年に初めてニューヨーク市街を撮影したときは絵画的なソフトな雰囲気を出すためにあえて雨や霧の日に撮影を行なっていたことが知られています。
その後彼は写真を絵画の模倣から解放し新しい方向に向けることを考えるようになります。
アートはすべて作家の人生における哲学と同じであるべきで写真表現の方法として、手を加えないストレート写真こそが個人表現の最適だ、と主張するようになります。
彼の業績は絵画的な傾向の強かった欧州中心の19世紀の写真から、20世紀の新しい写真の方向性を示したことにあります。

アレック・ソス Alec Soth

1969年生まれ。2004年にマグナムに参加、2008年より正会員。
社会の現実描写を重要視するジャーナリズム的写真よりも、個人の主観的な視点で表現をするウォーカー・エバンス、ロバート・フランク、スティーブン・ショアーらによって確立された、現代アメリカ写真の影響を強く受けている。

ロベール・ドアノー(Robert Doisneau)

あらゆるものが動いている都市の中では、動かないというのはひとつの贅沢だ。立ち止まることは従わない事だ。
喧騒のなかに中に突っ立って待ち、偶然が幸運に満ちた提案をする、そんな何かが出現するのを見るにはよいことだ。
ときに、意地悪な悪魔が、疲れて注意がふと欠けるそんな瞬間をねらって、二度と再現できないようなイメージを送ってよこす。

アルフレッド スティーグリッツ Alfred Stieglitzピクトリアリズム

ジュリア・マーガレット・カメロンの写真が好きですね。
昔から、リアリティのある写真より、どこか淡い光に包まれた写真が好きでした。
最近になって、ピクトリアリズムという写真の運動があったのを知った。
絵画理論の模様。
遠近法やフォーカスによるボケ。
クロード・モネの絵画は何となく好きだったが、自分で理由が分かった。
僕は、はっきりとした物事を形どる線よりも、そこに存在する淡いリアリティが好きだった。
スティーグリッツの写真は今でも多くの人に、魅了されている。

ラリー・クラーク Larry Clark

10年以上前。
青山ベルコモンズのギャラリーで、ラリーの写真を見た。
とにかく、生々しくショッキング。
SEX、ドラッグ、暴力、アメリカ文化の悪いところを全て、独自の目線で表現している。

『IQUEEN Vol.1 長澤まさみ』

休日、本をぶらりと見に行くと書店になかなかいい写真の大きな箱があった。
『IQUEEN Vol.1 長澤まさみ』
非常にいいカメラマンにとってもらい、モード感もあり目にとまります。
長澤さん自身も、女優として表現力も増しているのでしょう。

野島康三 Yasuzo Nojima

野島康三(1889~1964)は、日本近代写真の確立期に卓越した作品を残した写真家であった。
彼が制作した対象の本質を見据えたような肖像、静物、裸婦などの写真作品は高い緊張感と深い精神性に溢れ、戦前の日本の写真が獲得した最高の到達点を示すものであった。
ともすれば情緒的で絵画的効果を目指した大正初期の「芸術写真」の動向の中で、重厚な存在感を漂わせるピグメント印画による野島の写真作品は、写真独自の芸術性を体現するものとして高い評価を受けた。