フランス Franceに想う

アルベール・カミュ Albert Camus

カミュの著作は「不条理」という概念によって特徴付けられている。
カミュの言う不条理とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙するときに現れる不合理性のことであり、そのような不条理な運命を目をそむけず見つめ続ける態度が「反抗」と呼ばれる。
そして人間性を脅かすものに対する反抗の態度が人々の間で連帯を生むとされる。

シモーヌ・ド・ボーヴォワール Simone de Beauvoir

1908年、パリの上流家庭に生まれたが、そのブルジョワ的な雰囲気とカトリック的道徳に反抗し、すでに15歳のころから作家を志した。
当初のテーマは硬直したブルジョワ倫理観への少女たちの反抗。
最初の小説「青春の挫折」は出版社から拒絶されてしまったが、その後も文学への傾倒は続き、21歳のとき、ソルボンヌ大学で「自分より完全な、自分とおなじような人間」サルトルと出会う。
結婚を維持しながらもおたがいの自由恋愛を認めるなど、画期的なこころみを実践するが、同時に結びつきに波乱をきたし、いくたびも危機を迎えばがらに二人の結婚生活は50年間サルトルの死まで継続した。
ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という理論は、「セックス」と「ジェンダー」の相違を示しているとジュディス・バトラーは指摘している。
バトラーによれば、「ジェンダー」とは「徐々に獲得していった」アイデンティティの一面だと示唆している。
また、本著はジェンダーに対する根本的な理解を潜在的にもたらしたのだという。

ジャン=ポール・サルトル Jean-Paul Sartre

ジャン=ポール・サルトルと実存主義
ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre,1905-1980)はフランスの哲学者・作家であり、20世紀の個人の意識のあり方と個人と社会との関わりを存在論として貫徹する実存主義の唱導者であった。
J.P.サルトルが自分の講演『実存主義はヒューマニズムであるか(1945年)』で提起した『実存は本質に先立つ』というフレーズは、1950~1960年代には世間の人々に広く知れ渡りました。
「実存主義」の名称は元々は第二次大戦後、治安、政情の不安定であったパリで、職に就かず、その日暮らしをしながらカフェやナイトクラブにたむろする若者を指して使われていた。
人生に目的を持たず不条理にただそこに現実存在している状態を批判する呼び方であり、いうなれば蔑称であった。
実存主義を自ら名乗った哲学者サルトルも、初期はこの名称で呼ばれることを嫌っていた。

フランソワーズ・サガン Françoise Sagan

フランソワーズ・サガンは、1954年にわずか18歳にして書き上げた小説『悲しみよ こんにちは』で文壇デビュー。
17歳の少女セシルと父親、そしてフィアンセとの危うい関係を描いたこの作品は、瞬く間にベストセラーとなり一躍脚光を浴びた。ジーン・セバーグの主演で映画化もされ、セシルカットなどの流行も生んだ。
“サガン”のペンネームは、彼女が敬愛していたフランスの哲学者/文学者で、ゲイとしても知られるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の登場人物“サガンの姫”に由来している。
マスコミは“天才少女の登場”とセンセーショナルに報道し、栄誉ある批評家賞を受賞。
世界中でベストセラーとなり、印税約364億円を稼ぎ出す。
男性との2度の結婚と離婚、スポーツカーでの事故、ギャンブルとアルコールへの耽溺、ドラッグと脱税での有罪判決など、スキャンダラスな私生活が常に注目の的に。
浪費の末に破産したまま、2004年に69歳で亡くなるまで話題は尽きなかった。

ジャン・コクトー Jean Cocteau

天井桟敷の人々Les enfants du Paradis

映画史上、屈指の名コンビと言われるジャック・プレヴェールとマルセル・カルネが描く2部構成の人間ドラマです。
製作期間3年3ヵ月、製作費16億円は、当時としては破格の規模です。
ドイツ軍によるパリ占領下という中で、ニースの撮影所に全長400メートルの巨大オープンセットを建て製作されました。
寺山修司が主宰していた劇団「演劇実験室天井桟敷」(1967-1983)は、少年時代に青森の映画館でこの映画を見て感動した寺山修司が、登場する天井桟敷で芝居を鑑賞する人々の姿から着想を得たと、彼自身のエッセイや元劇団員らが談話で語っています。
「天井桟敷」とは、最後方・最上階の天井に近い場所にある観客席のことです。
見学しにくい為、通常は一番安い料金に設定され、フュナンビュール座でこの席は「天国」と呼ばれ、ここに詰めかけて無邪気に声援や野次を飛ばす最下層の民衆は、子どものように賑やかだったので「天国のこどもたち」と呼ばれました。
寺山修司は母子家庭に育ち、親戚の映画館の中で、ひとり遊びにふけり、自分自身とこの天井桟敷で鑑賞する労働者階級の子供達と重ね合わせていたのだと思います。

悪魔が夜来る Les Visiteurs du Soir

戦後「楽園の子供達」で名をあげたマルセル・カルネの戦時中の一九四二年監督作品で、彼の処女作「ジェニイの家」の脚本を書いたジャック・プレヴェールが、ピエール・ラロシュと協力してシナリオを書卸しました。
撮影・装置ともに「悲恋」と同じくそれぞれロジェ・ユベール及びジョルジュ・ヴァケヴィッチが担当しています。

美しいひとLa Belle Personne

『美しいひと』(La Belle Personne)はクリストフ・オノレ監督による2008年のフランスの映画。
ラファイエット夫人による17世紀末の小説『クレーヴの奥方』を翻案している。

愛のうた、パリ Les chansons d’amour

主人公のイスマエルを演じるのは、ルイ・ガレル。
アート系映画監督フィリップ・ガレルの息子であり、大俳優ジャン・ピエール・レオーの後継者との呼び声が高い実力者。
その恋人ジュリーには、フランス映画界でもすっかりお馴染みの若手女優、リュディヴィーヌ・サニエ。
ジュリーの姉ジャンヌには、カトリーヌ・ドヌーヴの娘、キアラ・マストロヤンニ。
クリストフ・オノレ監督の「レ・シャンソン・ダムール(愛の歌)」がパリで公開となっている。
このオノレ監督、40歳と若く(しかもイイ男)、フランス映画界の次世代を担う人材として大きく注目されている。
もともと、一流映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」から批評家としてキャリアをスタートさせた、正統派シネフィル。
いまどきなパリジャン達の恋愛模様が、ミュージカル仕立てで描かれているということ。

パリの中で Dans Paris クリストフ・オノレ Christophe Honoré

監督 : クリストフ・オノレ
出演 : ロマン・デュリス、ルイ・ガレル、ジョアンナ・プレイス
フランスの二大セクシー俳優が兄弟に?

ジョルジュ・バタイユ ママンMa mère・クリストフ・オノレ

20世紀フランスを代表する思想家、ジョルジュ・バタイユの「聖なる神」を、『NOVO/ノボ』のクリストフ・オノレが映像化。
文学、芸術、政治、エロティシズム。
原作は、三島由紀夫、岡本太郎ら、時代の先駆者に影響を与えた問題作で、映像化は不可能だと言われていた。
「エロスとは、死の意識と結びつく」というバタイユの言葉に象徴されるように、本作はスキャンダラスな場面の連続。暴力的な描写の奥から、生きる意味を問いかけている。
退廃的な母親を『ピアニスト』のイザベル・ユペール、そして、ピエールを、『ドリーマーズ』のルイ・ガレルが演じている。
原作の格調高さが損なわれることなく、暴力的なシーンも、美しく見せているのはさすが。

ジュリアン・ボワスリエ  JULIEN BOISSELIER

1970年5月26日、フランスのナント生まれ。
子供時代をナントで過ごした後、パリに出て、フロラン校などで演技を学びます。
1993年に舞台でデビューを果たし、テレビドラマに出演。
2000年には、ジャン=ピエール・シナピ監督の「ナショナル7」で、映画初出演を果たす。

ソフィア・コッポラ Sofia Coppola

父親はイタリア系アメリカ人で映画監督のフランシス・フォード・コッポラ。
母親は父親の映画のセットデザイナーであったアイルランド系アメリカ人のエレノア・ニール。

ジャック・リヴェット Jacques Rivette

クロード・シャブロル Claude Chabro

フランソワ・トリュフォー François Truffaut

ヌーヴェルヴァーグ/Nouvelle Vague

ヌーヴェルヴァーグ、1950年代に始まったフランスでの映画運動です。
広義においては、撮影所(映画制作会社)における助監督等の下積み経験無しにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指します。
ぼくは、どのような・物事・社会にも共通しているが、先人達が今を生きる人たちが、より人間的に価値的に生きるために創り上げるために起こす、思想や団体に興味があります。
1929年イギリスの詩人・思想家ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフト運動。
1910年代芸術思想・芸術運動ダダイズム。
1924年アンドレ・ブルトンがシュルレアリスムの芸術運動を宣言。
1960年代ジョージ・マチューナスが前衛芸術運動フルクサスを提唱。
日本では中平康「狂った果実」などが、好きですね。
この時代に、この表現はなかなかできなかった気がします。
光の使い方、アングル、非常にいいです。

ジャン=リュック・ゴダール Jean-Luc Godard

最初に彼の映画のポスターを見たときに、その魅力を感じました。
フランスらしい、さり気ないボブですねぇ。
日本の場合はもっとしっかり、内巻きにしたり、トップから少しだけガーリーな空気感出したり、前髪なんかもパッツンだったり、きれいに流しますね。