八丈島 底土野営場 キャンプ

2019年12月24、25、26日と八丈島にキャンプに行きました。
目的は八条島の島寿司と八丈富士とキャンプでの焚火デビューです。
12月の気温は最低気温でも10度前後あり、ダウンを用意して寝袋で十分快適に寝られます。
天候は1日の間に晴れたり、曇ったり、雨が降ったりを繰り返す日々でした。

八丈島の地理

東京都の南へ287キロメートルに位置し、西に八丈富士・標高854メートル、東に三原山・標高701メートルがあり、面積は山の手線の内側と同じくらいです。
1年間を通して風が強く、雨が多い。
飛行機40分くらいで、船で10時間です。
移動手段はBU・S・PA(バスパ)がおすすめです。
2日間バス乗り放題・温泉入り放題 
料金は大人1,000円、小学生500円で、町営バス受付とバス車内で販売しています。
僕は電動アシスト自転車を借り、レンタル料は1日(9:00~17:00)で、2.500円。
今回はキャンプを目的としたので、「底土野営場」で2泊させて頂きました。
テント数は約70張の大きさで、設備は温水シャワー、更衣室、備え付けのテーブルベンチと東屋があり、八丈島で無料です。
底土野営場のご利用には事前申請が必要です。
ちなみに、2019年12月24日、25日は自分以外にテント泊の人はいませんでした。

八丈島 底土キャンプ場

八丈島のお店

さて、底土キャンプ場にテントを設置したら、食事ですがお店に行くか、スーパーで買い出しに行くかです。
自分は「スーパーあさぬま」営業時間9〜20時で島寿司や夜の食材を買いました。
飛行機で八丈島を訪れてキャンプ道具を持参すると、ガス缶・着火剤・チャッカマンなどは機内に持ち込みができませんので、購入しなくては行きません。
「藤巻商店」がおすすめで、レジャー用品やバーベキュー用品も販売、ガスカートリッジを購入できます。
パン屋さんは「ブーランジェリー」は、島のコンビニみたいなお店で朝の7:30~深夜24:00まで営業しています。
八丈島と言えば島寿司なので、「すし処 銀八」に行きました。
「藍ヶ江水産 地魚干物食堂」もとても美味しかったです。
いちばんのお勧めは「いそざきえん 」です。
黒潮料理 1620円でコースになっています。
刺身、こんにゃく、明日葉、煮物、雑炊、つけもの。
どれをとってもやさしいお味です。
お店もとても雰囲気があり、味わい深いものです。

八丈島 いそざきえん

がじまる(榕樹)の歌
誌 磯崎光太郎

南に巨木あり
名を榕樹という
幹は曲がりて棟木とならず
柱にすれば蝕まれ
船を作れば直ちに沈み
門戸にすればすぐ腐り
しからば薪にすれば煙のみにて炎なし
何一つ取り柄なき樹なれど
嵐の日の風防けと
夏の日の樹陰の涼風
これに勝るものなし

八丈富士 お鉢

八丈富士は1万数千年前に活動を開始し海中より隆起した成層火山、標高は854.3mで伊豆諸島最高峰です。
八丈富士は二重火山で、火口は直径400~500mほどの大きな穴があり、その中にもう一つの中央火口丘があります。
火山活動はここ400年ほどは休止しており、今は山頂も火口も緑に覆われています。
「お鉢巡り」の所要時間は約50分、ゆったりと歩けるトレッキング。
この日は雨が前日降り、ぬかるんでいるため足元がゆるい感じでした。
下山ごろに急に雨が降り出し、レインウェアを取り出しました。
30分くらい降ったら、晴天になりました。
準備を忘れずに。

僕は北国育ちもあり、南国の風景に感動します。
風が強いために、ほぼ家は平屋。
湿気対策に高床式で防風林を家の周りに植えています。

八丈実記 近藤富蔵

流人の罪を受けた近藤富蔵は八丈島に流罪となります。
流人の船は1年に2回、春と秋に出ました。
江戸時代に伊豆の島々へ人を流したのは、新島、三宅島、八丈島でした。
富蔵は島に上陸すると、流人の小屋に移されました。
まず流人が島へ上がると、代官が流人の名を書き付けたものを見て、島内の大賀郷、三根、樫立、中の郷、末吉の5つの村の名主を集め、くじ引きさせてそれぞれの村へ引き取らせます。
このころの道のりは片道80日を超える荒波の船旅のようです。
八丈島ではサツマイモや明日葉を食べていた様です。
八丈実記には島の政治・経済・宗教・地理・風俗習慣・教育制度などあらゆることが記されていました。
明治になり、江戸幕府が倒され、武士の政治が終わり、流罪の制度がなくなり、多くの流人が許されて本土へ帰ったようです。
一度は本土に戻るのですが、再び自分の意志で八丈島に戻り83歳の人生でした。