塩田千春 Chiharu Shiota

おびただしい本数の糸が張り巡らされた空間に置かれた、 焼け焦げたビア
ノ。
吹き出るような赤い糸の海に浮かぶ船。
見る者は、その糸に絡めとられるように作品の世界に引き込まれる。
塩田千春の作品は、一度目にしたら忘れ難い、圧倒的な世界観をもつ。
今年、森美術館で開催された回顧展「塩田千春展:魂がふるえる」に、延べ66万人以上が足を運んだ。
同館史上 2番目の来場者数。
その多くがリピーターだったという。
また見たいと切望させるなにか。
なぜ、塩田の作品は、私たちをこんなにも惹きつけるのだろうか。

死後どこへ行くかを考え、 「魂」という語が浮かんだ。
「ここまで、死と寄り添いながらつくった展示は初めてでした」
塩田は言った。
25年間の作家活動を振り返る過去最大の個展。
その開催が決まった翌日に癌の再発が発覚した。
細い線が見えなくなる瞬間に、 真実が見えてくる。
先が見えない闘病生活とともに制作·準備が進むという、かつてない精神状況
態の中で生み出されたこの展覧会はターニングポイントとなった。
「病院ではなにもかもがシステマティックで、自分の気持ちゃ心が置いてき
ぼりにされるようでした」。
制作していないと自分を保てず、抗癌剤のバッグを使って作品をつくったり、髪が抜ける自分にカメラを向けたりした。
「生きているだけで、精一杯だったから。自分は死んだら、どこに行くのか……。ここから、今回の展覧会の「魂」という言葉が出てきました」
塩田の 1990 年代後半から 2000年代にかけての作品は、死の匂いが標っていた。
錆びたべッド、ドレスや古い鍵、窓、音の鳴らないピアノ……。
ものに宿る記憶を浮かび上がらせる「不在の中の存在」は、常に彼女のテー
マであった。
無心に糸を紡ぐように、塩田はそこにある息造いを探っていく。
「細い線が集まり広がって、ふっと線が目で追えなくなる瞬間があるんです。見えなくなって初めて、そこにある真実が見えてくるように思える」
糸は、見る者と作品の間に境界をつくらない。
そのせいか、塩田の作品を見ようとすると、しばしば自分がどこにいるかを見失う。
なにかが見えた気 がするが、形はつかめない。
故に何回でも「見たい」と思うのかもしれない。
糸を使った作品の集大成が、2015年のベネツィア · ビエンナレの作品 「掌の鍵」だった。
父や子を亡くすという辛い体験を経て生まれた作品は、 鍵や船のような新しい
世界へ進もうとするモチーフが選ばれ、光を感じさせた。
しかし、この作品をつくりきった後、張り詰めていた糸が切れ、空回りをしていたという。
だが、闘病生活を経て、「つくらねば、生きられない」という境地に到達した。
そうした中で制作され森美術館でも展示された新作は、具体的な身体のパーツがブロンズでかたどられている。
「手術で身体の一部が切り取られ、戻ってきたのかもしれませんね」
現在はベルリンのアトリエで、ガラスを使う新作に着手している。
やわらかな形をつくるガラスは固いようで脆く、素材感に惹かれると言う。
いつ壊れるかわからない不安と隣り合わせでありながら、力強く伸びる植物の芽の|ようなパーツ。
それらは圧倒的な存在感と、生命力を携えている。
森美術館での個展のお話をいただいた時、翌日に手術を予定していたんです。
そして、稲が再発しているとわかった。
今回の展覧会は、そこからのスタートでした。
この時、まだ娘は0歳だったから、お母さんがいなくてどうやって彼女は生きていくのか考えました。
一方、ここ数年感じていた、自分が見つけられないような、 深い闇の中に落ちていく感覚がクリアになりました。
生きていること、できることはこんなに限られているんだという事実が、いきなり目の前に突きつけられましたからね。
アーティストって、変な職業です(笑)。
言葉にできないわだかまりがあって、誰にも頼まれないのに、それを解きほどくように、なにかをつくらないと生きていけない。
今回の展覧会は大変でしたが、アーティストとしてはとてもよい体験でした。
25年の制作活動を振り返って、ベルリンでの1990年代後半からのことを改めて見返すことができました。
ああ、こういう時代に生きていたんだと。
デパートの跡地や、タヘレスに構えた初めてのアトリエのこと。
その後も、廃城のような屋根裏部屋のアトリエに住んで、そこの空間に糸を張り巡らせていた。
あの頃、ベルリンには隙間がいっぱいあって、誰もがやりたいことを実現できる自由にあふれていました。
森美術館で行った展覧会は、釜山、ブリスベン、ジャカルタ、台北に巡回します。
アジアはいま、すごく元気がありますね。
その中でも、いまジャカルタに魅力を感じています。
発展途上で、可能性とエネルギーを感じました。
長く滞在して、作品を制作してみたいですね。