あゝ荒野

寺山修司 蜷川幸雄 松本潤 菅田将暉

港館は、新宿二丁目の旧赤線地帯の廃堀の中にあった。
表通りはヌードスタジォで、板 二枚へだててアパートになっていた。
だが、ヌードスタジオと便所、水道炊事場は共同になっていたので、木のドアをノックすると、便所の中から素裸のモデルが週刊誌を持って 出てくるということもあった。
ここはもとは、もぐりの売春宿で「桃夢楼」という名だったのが、今では、娼婦たちの 寝ぐらになって(たまに客を連れこむ女もいたが)ラジオを聞いたり、自炊をしたり、 南京虫退治をしたりするための憩いの場所、「この世の他の場所」になっていたのである。
洗濯干場が低いので、ネオンの荒野は見えないが、それでもスタジオの古い手巻きポータブルで「湖畔の宿」などを聞きながらシュミーズやパンティを干すのは悪い気持ではなかった。
部屋は全部で七つあり、一番隅っこに芳子の(鉛筆書きの)表札が出ていた。芳子は、 このアパートでたった一人の素人娘で、四谷のそば屋までバスで通っていたのである。
このあたりは、 貧民窟よりは マシだが、 蝿が多くて有名なジ ャング ル地帯で、一年じゅう麻薬係の刑事や、社会派を自称するカメラマンが入りこんでいた。
「芳子が、こんなアパートに棲みっいたのは「安いから」と「面白いから」だったが、他の居住人たちは、堅気の芳子を敬遠していて、決して許しあおうとはしなかった。
娼婦たちにとっては、「商売で、あれをしゃぶったことのあるものじゃないと、人生なんかわからない」のである。
芳子は、ここで口紅をつけないときの娼婦たちの日常生活の実態を見知った。
たとえば、ママ。
テリーは真夜中に、自分のてのひらの生命線を長くしようとして、鉄を持って、暗い黄色い電球の下にうずくまっていたし、創価学会員のマヤは同室のしのぶと間代のことで、つかみあいの喧嘩を、月末ごとに、繰り返していた。
毎週末、ラジオのヒット·パレードに「島育ち」を投書しに、葉書を持って階段を下りてゆく貞枝は子宮癌だったし、老いぼれのスピッツを飼っている桃子は、実は男なのだった。
夜になると、壁越しに、隣室の老ムギが一人で(洗面器で足を洗いながら)唄っている声が芳子の寝床まで聞こえて来た。