東京百景 又吉直樹 杉並区馬橋公園の薄暮

八年程前、有明で若手のネタライブがあった。
ライブ前に、僕たちは階段の踊り場でネタ合わせをしていた。
すると、さらに上の階段から「おい!」と呼ぶ声が聞こえたので、上を見上げると、知らない男が僕を見下ろし「リハ何時から?」といった。
「十分後です」と答えたが、あまり面識が無いのに、そのように横柄な態度を取るスタッフさんは珍しかったので不思議に思った。
しばらくして、階段を激しく駆け降りる音が聞こえ、先ほど僕にリハの時間を聞いた男と、もう一人の男が、「すみません!間違えました!」と謝った。
その二人は後輩だった。

それが、「しずる」というコンビと僕の出会いだった。
ぼくを誰かと間違えたのが池田で、一緒に誤ったのが村上だった。
その日の僕は、黄色いTシャツに緑のパンツをはいていた。
ライブが始まると、僕の他にも、黄色いTシャツに緑のパンツをはいている人がいた。
この人と間違えたのだと思った。
その次に一緒になった時、村上がサッカー経験者であることを知り、自分の「鴉」というチームの練習に誘ってみた。
村上は是非と参加を希望したくれた。
その前向きな姿勢と東京の強豪校出身だと噂を聞いていたので、かなりの実力者なのだろうと思った。
練習は無料でサッカーができる杉並区の馬橋公園になった。
高円寺駅前で集まったメンバーが、近くの僕の住んでいるアパートまで呼びに来てくれた。
四年も先輩の男が、風呂無しで窓も冷房もないアパートに住んでいることを知ったら、夢が無くなるかなと思い、アパートの下に降り、隣の和菓子屋の前で皆を待った。
馬橋公園に着くと、村上と二人でボールを蹴った。
お互い何も知らなかったのでパスを交換しながら色々な話をした。
年齢は僕と同じだった。
本が好きで、特に村上春樹が好きだといった。
僕も村上春樹が好きだった。
村上春樹の作品について語り合い少し盛り上がった。
仲良くなれそうな気がした。
学生時代の背番号の話になり、僕が「14番」だったというと、「えっ!僕も14番ですよ!」と村上が興奮しながら言った。
僕は、かつて14番を背負い活躍したオランダの名選手ヨハン・クライフの名前を出した。
すると村上が、「クライフも良いんですけど、僕の14番には理由があるんです」と言った。
それは何かと訊ねると、「三杉淳です」とはっきり答えた。
三杉淳とは漫画「キャプテン翼」に出てくる登場人物で心臓病さえなければ日本一になっていたと言われる選手だ。
彼はふざけているわけではない。
「キャプテン翼」の読者の中には、三杉ファンは確かに沢山いる。
僕が引っ掛かったことは別にあった。
村上の名前は「村上純」。
字こそ違えど、発音すると「じゅん」なのだ。
好きな作家は「村上春樹」で、好きな14番は「三杉淳」。
「村上」と「じゅん」。
こいつは自分の事が好きなだけではないのか?
何か試す方法はないか?
「村上、好きな俳優おる?」僕は試しに聞いてみた。
「はい、いますよ。ムラジュンとか恰好良いっすよね」といった。
ムラジュンとは、俳優の村上淳の略だ。
そこで、ようやく僕は確信をもって、「お前、自分の事好きなだけやないか?」と言うことができた。
気を遣わずに本音を吐けた瞬間だった。
馬橋公園は日が暮れかかっていて、子供たちは帰り支度を始めていた。
広くあいたグランドで僕たちは暗くなってもボールを蹴り続けていた。