大貫憲章とロンナイの35年
パンクロックを鳴らし続けて35年!初めてロックで躍らせたイベント「LONDON NIGHT]をやり続ける大貫憲章が語るロンナイの歴史
雑誌宝島AGE
僕が80年にクラッシュのLONDON CALLINGツアーをイギリスに見に行った時に、DJが前座でステージで回しているのを見て、かっこいいなと思ったのがきっかけです。
その後、1~2か月してから、ツバキハウスのマネージャーから、うちでやりませんか?って声がかかって、ツバキでロンドンナイトが始まったんです。
初めは数十人しかお客さんいなくて苦労しましたけど、数ヵ月する頃には、お店のバックアップ体制なんかもあって、100人、200人と来るようになりました。
その頃はまだ、パンクロックが大きい音でかかる店がなかったことが大きいのじゃないかな。
「ロックで踊る」がコピーで、だからか、ミュージシャンの人もよく来てくれましたね。
ブルーハーツは有名だけど、ブルーハーツ以前のコーツの頃からヒロトは来てましたから。
よく言われたのが、ロンドンナイトはワクワク感とこわい感同居してるってとこ。
ただ、慣れると病みつきになる、そんな人が周りには多かったね。
結局ツバキでは7年やりました。
その後に第三倉庫に移って、それから渋谷のホットポイント、クラブDって場所を変え、最終的に落ち着いたのがピカソですね。
そのときにロンドンナイトって名前は1回やめてCLUB ROOTSROCKIN’にしたんだけど、みんな結局ロンナイロンナイって呼んでました。
正式にロンドンナイトって名前に戻るのは、ピカソの後、第三倉庫のあったとこにミロス・ガレージが出来てからですね、その後、クラブワイヤーって名前に変わりましたが。
ミロスが10年、ワイヤーで15年ぐらい。
で、ワイヤーがなくなったときに、レギュラーでやるロンドンナイトはいったんお休みってことになって。
それが2010年だったかな。
今はレギュラーで、地方も行くし、東京は年に4回、オルガンバーやってます。
来年で35年、自分の中ではあっという間ですね。
あっという間はいろいろあってのあっという間ですが、いろんなことがよぎります。
35周年は昔のDJ集めて、ツバキの復活祭をやろうかと思ってるんです。
もう昔の曲かけられる人も少ないんですが。