ジャン=リュック・ゴダール Jean-Luc Godard
アルファヴィル Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution 1965
舞台は1984年。活劇シリーズ物のヒーロー左利きの探偵レミー・コーション(コンスタンティーヌ)は星雲都市アルファヴィルに潜入する。
住民のすべてが記号化され、個人の自由が剥奪されている未来都市で、レミーはブラウン教授を救い、行方不明のアンリを探す任務にある。
教授はこの町を司るコンピューター、アルファ60の開発者。
その娘ナターシャ(カリーナ)とレミーは親密になるが、彼女は他の住民と同じく愛を感じない。
そうした人間的感情を削除されているのだ。レミーも逮捕されるが、教授を殺しアルファ60を破壊、ナターシャを連れ地球へと脱出する。
あたりまえの映画 un film comme les autres 1968
「五月革命」のさなかである1968年5月から7月に、イーストマンコダックのエクタクロームカラー16ミリフィルムで、ゴダールとウィリアム・リュプチャンスキーがカメラを回し、撮影された。
ロケーション撮影は、学生たちに占領されたソルボンヌ大学、封鎖中のバリケード付近、CRS(フランス共和国保安機動隊)との激突場面などで行なわれた。ARC集団が同時期に白黒フィルムで撮影したアーカイヴ・フッテージも使用した。
ウイークエンド Week-end 1967
「中国女」についで、ゴダールが描く暴力とエロティシズムに彩られた文明批評。
脚本・監督はジャン・リュック・ゴダール、撮影は「黒衣の花嫁」のラウール・クタール、音楽はアントワーヌ・デュアメル。
主人公はふたり。彼女コリンヌ(M・ダルク)は、気まぐれで浮気者。
三〇歳になるのに五回の結婚歴がある。彼ロラン(J・イアンヌ)は、彼女より車に惚れこみ、彼女には余り愉快な男ではない。
土曜日の朝。ふたりは週末旅行に出た。出がけに隣人と大ゲンカ、ペンキ噴霧器やテニスボール、猟銃で大立回りとなった。
都会を去るマイカー族の大移動--車はえんえんと列をなし、路傍には事故を起した車と血まみれの死体もある。
田舎町ではトラクターがスポーツカーに激突。
運転していた男は死に、連れの女と農夫が階級論争をやり合う。
コリンヌとロランが、ヒッチガールのために車をとめると、フーテンスタイルの青年がピストルをふりまわし乗りこんでくる。
JLG/自画像 JLG/JLG – autoportrait de décembre 1995
スイスのレマン湖畔。
ゴダールが生活するここロールの自宅やアトリエ、そして幼い頃から親しんだ風景が、ゴダールの内面を示すように立ち上がってくる。
少年時代を回想したり、手書きの創作ノートに書かれたアラゴンやヴィトゲンシュタイン、ディドロの一節を読み、映像で示し、歴史を、現代史を語るゴダール。
音と映像の結びつきの実験が画面上に現出する。
岸部を散歩するゴダールの耳に聴こえる、ロジェ・レナートの「最後の休暇」など、愛する映画作家たちの映画の音。
彼女について私が知っている二三の事柄 2 Ou 3 Choses Que Je Sais D’Elle
『ル・ヌーヴェル・オブセルグァトゥール』誌で報じられた実話をもとに、“団地生活と売春”をドキュメント的に描きながら、フランスの社会的状況をえぐり出した作品。
製作代表にはアナトール・ドーマンがあたっている。
監督はジャン・リュック・ゴダール
彼女……バカンスの中に気だるく眠るパリ。
一九六六年の八月のパリは、バリケードも、投石も、火焔瓶もまだ知らず、やがてくる激動をそのまま負に裏返したように、人気もない、奇妙な静寂の中にいた。
このたゆとう眠りの中でいま動いているのは、新首都圏拡張整備計画にもとずく公団住宅地帯の建設を進行する、ブルドーザーの音だけだ。
低く聞えてくるゴダールのコメンタリーをぬってジュリエット(M・ヴラディ)の生活が示される。
彼女はパリ郊外の公団住宅に住む人妻。
夫のロベール(R・モンソレ)はガソリン・スタンドに勤め、月給は八万そこそこ。
子供は二人、息子のクリストフ(C・ブルセイユ)と娘のソランジュ(M・ブルセイユ)の幼ない兄妹。
夫のロベールは無線好きで、今朝も友人のロジェ(J・ナルボニ)と一緒に、無線の受信に夢中になっていた。
ジュリエットは売春をしている。
昼間、ジェラール氏(J・ジェラール)のいる売春宿に出かけ、そこを託児所がわりに子供を預け、買物に歩いたり、行きつけのキャフェで男を探したりする彼女。