青木野枝 AOKI Noe 青木野枝 霧と鉄と山と

青木野枝 霧と鉄と山と
2019年12月14日(土)- 2020年3月1日(日) 府中市美術館に行ってきました。
自分は北海道の室蘭という街の出身。
そこは北海道でも自然豊かというより工業地帯。
街全体が新日本室蘭製鉄所を中心として存在する。
祖父も戦時中は戦艦を造っていたらしい。
父も新日本製鐵。
僕という存在は鉄を抜きにしては語れない。
僕にとって鉄は生活であり、環境であり、身近なもの。
故に、青木野枝さんの作品は気になっていました。
鉄を生活としてではなく、文化として、表現としてどのように向き合っているのか。
府中の美術館に足を運びました。

青木野枝が鉄と出会ったのは、大学 3年生のときだ。
粘土を用いた人体造形中心の基礎的な勉強を終え、木や石などさまざまな素材に接した中でのことであった。
鉄との相性のよさに関して、青木は扱う技術の簡単さを挙げる。
火を使えばすぐ切れるし、つなげるのも簡単である、と。
その言葉は、鉄は重い工業素材で扱いが大変だという私たちの思い込みを、軽やかに吹き飛ばしてしまう。
確かに、鉄は人の傍にある金属である。
錆びるという性質が宝飾品の材としては敬遠されたが、古来鉄は精錬されて、武器や道具に用いられてきた。
18世紀におこった産業革命以後は、鉄道や鉄橋、鉄筋の建物などに不可欠で、
今も社会の根幹にある。
そもそも鉄という鉱物は、人ととても近しい。
太陽やほかの天体にも豊富に存在し、時に隣鉄となって地球に降りそそぐ。
地球の主成分でもある。
人の体内にも鉄分はあり、生体の維持に必須の元素である。
こうした人と地球との深いつながりを発見したことが、青木と鉄との長い付き合いを支えたといえるだろう。

溶断

青木野枝は、卵、水、ブロンズ、石鹸、石膏、色ガラスなど、さまざまな種類の素材を用いて彫刻をつくっている。
なかでも長年扱っていて、したがって作品数も多く、青木の代名詞といえるのは鉄である。
美術品となると、特別な材料を調達していると考える人も多いだろうが、工業製品の鉄板である。
5×10フィート(約5×3メートル)の「ごとーばん」と呼ばれる規格サイズの鉄板をまとめて仕入れる。
厚さは9ミリから2ミリで、作品のサイズやパーツの形状にあわせて使い分けている。
主に用いる鉄板の製品名は、コルテン鋼 (耐候性鋼)と いう。
鉄は錆びるので、ふつう表面に塗装をして錆を防ぐ。
コルテン鋼は、錆の進行をとめるため、銅やニッケルなどの保護性錆の皮膜をつくるよう設計された合金だ。
発表を始めた1980年代前半は、既製の丸鋼をそのまま線材として用いていた。
1980年代後半に入ると、鉄板から線状のかたちを切り抜く現在の手法へと移行し、さらに2000年代後半からは「線は分子レベルで見たら丸の連なりであると捉え直し、丸でつなげて線を出していく」。
小さいものでは数センチのパーツをつなげて、数メートルの立体物を組み上げる。
そのために必要なパーツは、ときに数百個から数千個に及ぶ。幾多のパーツをつくるためには、鉄を切り離す「溶断」という工程が不可欠だ。
溶断にはいくっか種類があるが、青木はガスを使っている。
アセチレンガスと酸素ガスを同時に出し、燃焼して出る熱によって鉄を溶かし、同時に酸素で吹き飛ばしながら、切断する。
鉄の表面にひいた輪郭線を頼りにしながら、直観と経験で切り抜いていく。
この溶断の作業は、必ず自分で行うと決めている。
紙に線を描くのと同じく、溶断で生まれる輪郭線は、切った人がつくると考えているからだ。
溶断時に溶けた鉄が断面につく「バリ」を、削り取ったりせずにそのまま残すのも青木流だ。
バリは、鉄の断面が「初めてこの世界の空気にふれたかたち」である。
自分が切り離したことで鉄が新たなかたちを得る、その線こそが自分の線であると、青木は宣言している。
青木は毎日スタジオに通う。
朝9時から夕方 6時頃まで、展示前の多いときは 1日1 0時間以上作業をするという。
その9割以上は溶断に費やされる。

溶接

鉄板からかたちを切り終えると、次にそれらをつなぎあわせる工程に移る。
鉄と鉄とを接着させる溶接には、電気溶接(半自動溶接)が用いられる。
放電によって、鉄と接着剤となる溶断棒の両方を溶かして接着するというものだ。
溶断された鉄のパーツが連なって、線が生まれる。
鉄には自立する強度と張りがあって、垂直に立たせたり、斜めの方向に横切らせたりと、3次元の中に自在に形づくることができる。
鉄の線によって区切られて、視覚的な透過性を持った空間が生まれる。
この空間は鉄の彫刻に特徴的なものだ。
その歴史は意外と浅く、彫刻材として注目されるのは20世紀に入ってからだ。
まず、パブロ·ピカソやロシアの構成主義者たちが使い始めた。
鉄のパーツをつなげて構成するという新たな造形原理は、スペインのフリオ·ゴンザレスが採用して、アメリカやイギリスのモダニズム彫刻へと引き継がれた。
日本では、1950年代半ば以降に鉄彫刻が活況を見せる。
戦前から活躍していた抽象彫刻家を先頭に、後続世代がそれぞれに豊かな象徴性や意味を加えていった。
青木の彫刻は、こうした鉄彫刻の歴史の延長線上に立ちつつ、重力から解き放されたような地場を現出させることにおいて、鉄の新たなあり方を開拓している。

設置

青木野枝の彫刻は、小型の自立したものをのぞき、設置きれる場所で組み立てられて完成する。
スタジオでは、トラックの輸送に適した大ききまで溶接が進められる。
場合によっては完成形となるまでつなげて一度強度やバランスをはかる。
そして再び分解し、設営場所に運び込むのである。
設営作業は規模によって異なるが、たいてい数日から 1週間ほどかかる。
青木と助手たちも、必要な道具とともに現地入りする。
まずトラックからパーツを降ろし、必要な養生を施した会場へと運び込む。
現場で改めて位置を決め、鉄のパーツを配していく。
高い場所での作業にはパイプを組んで足組みを用意し、重い部品は滑車を使って上げ下げする。
かたちと重心を確かめ、溶接により固定していく。
ここでは青木ひとりで作業は進まず、助 手はもちろん、会場の責任者や運送会社のスタッフ、場合によっては現地で応援にくる職人など、複数の人々とコミュニケーションをとりながら、いわばチームで作品をつくりあげることとなる。
時間延長は経費と直結し、現場での予期せぬ出来事への即 座の判断も求められる。
こうしていくつもの外的条件を満たすことが、作品の実現に いたる道となる。
並行して、青木は場所との対話を進めて青木は事前に設置場所に出かけて、そこに置く作品のイメージを膨らませている。
スケッチブックにたくさんのドローイングを描き、あるいは模型を作って準備する。
ただ、作品の最終形はあえて考えない。
思い込みは、むしろ邪魔となる。
したがって現地での設営は、作品の最終形をたぐり寄せる純粋な制作の時間ともなる。
最後には「水が平らになるみたいにすーっと」これだという地点にたどり着くのだという。
そのようにして着地した鉄の彫刻は、しっかりと地球の重力を受けて吃立していて私たちの立つ世界と地続きであることを実感させる。
大小の同じかたちの反復がリズムをきざみ、垂直方向に伸びる線は上昇と下降の動きを生じさせている。
これらはともに、生成や成長を予感させるものだ。
そこで、重く堅牢で固定された状態であるはずの鉄が、変容の可能性を抱えて存在していることの驚きを、感じずにはいられないだろう。

解体

恒久設置の場合を除いて、青木の彫刻は展示期間が終わるとその場で解体され運び 出される。
解体は設営と逆まわしの工程をたどり、パーツとなった鉄は再びトラックに積まれ、スタジオや倉庫に運ばれる。
溶断、溶接、移動、組み立て、展示、解体。
青木の彫刻は、このサイクルを繰り返している。
特定の場に合わせてつくられる大部分の作品は、同じ場所でない限り再現できない。
したがって、一回のサイクルを終えた鉄のパーツは、おのずと長い期間、倉庫に待機することとなる。
つくった当人はあっさりとしたもので、これらの鉄材は廃棄しても構わないと、青木は言う。
その場合は、くず鉄として回収されリサイクルされる。
別の作品に再利用することもしばしばあるという。
つまり、ある作品が別の作品に生まれ変わるわけだ。
そこでは部分が、別の全体の部分となって生き残っていくことになる。
青木の彫刻は、溶断された同じかたちの集合からなる。
そしてそのかたちは、同じ作業の繰り返しから生まれている。
さらにその作業を含んで、つなげて置き、また切り離すという行為が反復されている。
一連の流れのなかで見渡した時、青木の彫刻が、作品と展示という枠を超えて、絶え間ない循環を続けていることに気づく。