オノ・ヨーコ Yoko Ono

平和のためのベッド・イン、1969年Bed‐In for Peace,1969

Film No.5(スマイル)、1968年 Film No.5(Smile),1968

テレビのネットワークと携帯して、世界中のどこの人の笑顔でも、ボタンを押せばすぐに見られるようにすることもできる。
そうなれば、ジョンソンがその日にベトナムで殺したのはどんな人か知りたいと思えば、ただチャンネルを合わせればすむ。

War Is Over ! 1969 戦争は終わった!1969年

ニューヨークのタイムズ・スクエアに設置されたビルボード

Yoko Ono And John Lennon,War is Over !1969

Billboard Installed In Times Square,New York

ジョン・ケージ ミュージック・ウォーク、1962年10月9日 John Cage,Music Walk,october9,1962

オノ・ヨーコ ジョン・ケージ デーヴィッド・テュードア 黛敏郎 武満徹 東京文化会館、東京、1962年

フライ、1970年 Fry,1970

蠅に爪先から頭まで女の身体の上を歩かせ、窓から飛び立たせる。

No.4(お尻),1966年 No.4(Bottoms),1966

「フィルムNo.4」「お尻」平和の請願書に著名する代わりに、お尻をつなげましょう

カット・ピース ニューヨークのカーネギーリサイタル・ホールにて、1964年CUT PIESE,CARNEGIE RENTAL HALL,NEW YORK,1964

私にとってイヴェントは、ありとあらゆる芸術の統合のようなハプニングとは違い、さまざまな知覚から引き出されるものなのです。
大抵のハプニングが「一緒になってやること」であるのと違って、イヴェントは自分自身との触れ合いです。
それから、ハプニングには台本はありますが、イヴェントにはない。
ただし、イヴェントにもその起動力となるものはあって、そのこと自体に呼び名はありませんが、最も近い言葉となれば、それはおそらく「願い」、または「望み」でしょう。

空を開けるガラスの鍵、1967年 Grass Keysto Open the Skies,1967

ぼんやり畳に寝ころがって、空を眺めるのが好きになった。
あまり高くて、明るいので、爽やかな気分にひたっているうちにも、気が遠くなってくる。
それ以来、今日までずっと、私は空に恋してきた。何もかもうまく行かないときでも、空はいつも私のそばにいてくれた。
だから私は自分にこう言い聞かせた。
空がそこにある限り、私は決してあきらめない。

釘を打つための絵、1961/1966年 painting to hammer a nail,1961/1966

鏡、ガラス、キャンバス、木板、金属のどれかに毎朝釘を打つ
それから朝、髪をとかす時に落ちた髪の毛を拾い、打ちつけた釘にからませる。
絵は、画面がいっぱいになったら終わる。
1961年冬

夕日を通す絵、1961/1966年 painting to let the evening light go through,1961/1966

夕日を通す絵
キャンバスの後ろに瓶を一本つりさげる。
キャンバスを西日のあたるところに置く。
瓶の影がキャンバスに映るとき、絵はそこにある。
そこになくても、かまわない。
瓶にはお酒、水、バッタ、アリ、歌の上手な昆虫を入れてもよい。
何も入れなくても、かまわない。
1961年夏

カーネギーリサイタルホールでの公演 「オノ・ヨーコの作品」、1961年Works by Yoko Ono,1961

天井の絵/イエス(YES)・ペインティング Ceiling Painting(YES Painting),1966

ジョン・レノンは「あのYESを見て、しばらくそこにいる気になった」
当時の前衛芸術といえば「否定的な、ハンマーでピアノを叩きつぶしたり、彫刻を壊したりするような、うんざりする否定的なたわごと」が多かった。

Forget it,1966 yoko ono

ジョンケージが天国に行くのは、ラクダが針の眼を通り抜けようとするのと変わらないと、キリストは言ったのではなかったでしょうか?
所有物は、精神的なものであれ、物理的なものであれ、頭の中をごちゃごちゃにしてしまうので、なるべく捨てるのが良いと思います。
大きくなっていくよりも、米粒のように、小さいままにしておくのが良いでしょう。

Apple,1966

Apple,1966
A dream you dream alone
is only a dream
A dream you dream together
is reality
yoko ono
一人で見る夢は
ただの夢
いっしょに見る夢は
現実となる
オノ・ヨーコ

オノ・ヨーコ(Yoko Ono)

1933年、銀行家小野英輔・磯子の長女として東京で生まれます。
1952年、学習院大学哲学科に入学。
翌年、アメリカに移住し、サラ・ローレンス大学で作曲と詩を学びます。
1960年からニューヨークを拠点に、前衛芸術家として本格的な活動を開始します。
前衛芸術グループ「フルクサス」の活動に参加し、イベント、コンサート、作品展などを行なう。
66年9月には活動の拠点をロンドンに移し、同年11月に個展「未完成の絵画とオブジェ」を開催。
その会場でビートルズのジョン・レノンと出会い、1969年結婚。
ジョンとともに創作活動や平和活動を行うにいたります。
以前、森美術館で現代美術展を見に行ったとき、ひとつの作品に釘づけになった。
そこには、いろいろな抽象的な作品たちが目を引く中、ひっそりとたたずんでいた。
生きた、ただ一つのリンゴが、ガラスケースにおかれていた。