1960年代カルチャー

1970年 アンノン族

70年に「平凡パンチ」別冊として創刊された「anan」は若者に圧倒的に影響力を持ち、ファッション&ライフスタイルの先導的役割を担う雑誌になる。
71年に創刊された「non-non」は、読者ターゲットをより一般層に向けて拡大。
フォークロアスタイルはヒッピー的カウンターカルチャーを昇華した「anan」により一層マイナーからメジャースタイルに。

ビートルズ来日の影響でモッズファッションが流行。
幅広ネクタイ、マッシュルームカットの若い男性が急増した。
新宿にたむろしていた、和製ヒッピーやフーテン達。
ヒッピーには思想があり、フーテンにはそれがないという違いがあった。

1965年 リッチでお洒落な「原宿族」

オリンピック直後に発生。
特有のスタイルはなく、当時流行っていたアイビースタイルが多数。
夜な夜な高級車で乗り付けるこの若者たちは、上流階級の子弟が多かったとか。
気合を入れすぎない退廃的なムードを好み、モンキーダンスを気だるそうに踊るのが粋とされた。
愛読書は「平凡パンチ」
セックス、車、ファッションというコンセプトで当時の若者から絶大な支持を得た。

65年あたりからミニスカートが話題になってはいたものの、67年10月のツイッギー来日がきっかけで本格的なミニ・ブーム!

原宿 1964年~1970年

驚異的な高度成長期により、カタカナ職業人や若者にお洒落を楽しめる余裕が生まれたのがこの時代。
64年には東京オリンピックが開催され、会場近くの原宿は驚くほどお洒落に変貌し、表参道は「日本のシャンゼリゼ」と言われるまでに。
ファッションにも流行が生まれ、アイビーから始まってミニスカート旋風、モッズブーム、ついには都市化によって社会矛盾が広がり、反体制的なアングラ族やヒッピー族など、思想とカルチャーを絡めた人々まで出現。
大衆文化=サブカルチャーが花開くとともに、特権的立場でなくてもファッションで自分を表現できるようになっていったのです。
1967年公開の映画「俺たちに明日はない」ボニーとクライド ボニールックが流行。
ビートルズの影響で、日本でもグループサウンズが人気に。
ザ・タイガース
1968年には新宿・花園神社の紅テントなどアングラ劇団が話題に。
状況劇場 唐十郎

空前のつけ睫毛旋風

アイメイクは、上下のつけまつ毛に、ブルーシャドウ、Wラインと、てんこ盛り。
ミューズはツイッギーで、雑誌にもつけまつ毛の記事&広告が。
いしだあゆみもこのころは、くっきりアイメイク。
二重コスメも市民権を得る。

松田和子

装苑表紙の日本初パリコレモデル、松田和子。
松田和子は1959年、当時、パリの新進デザイナーだったルイ・フェローが来日し、開催したショウに出演。
同年秋、ルイ・フェロー秋/冬コレクションに起用され、日本人として初めてパリ・コレクションに登場した。
その翌年1960年には、世界中のモデルの憧れの的、クリスチャン ディオールのパリ・コレクションへの参加を果たす。

混血美人がスターの時代 入江美樹

本名はヴェラ・ヴィタリエヴナ・イリーナ
父親が白系ロシア人で母親が日本人のハーフ。
1968年9月、指揮者の小澤征爾と結婚。
小澤ヴェラとなる。

憧れは大きな目の外国人顔 加賀真理子

「月曜日のユカ」
大きな目が何より美点。
アイテムをいくつも使ったアイメイクは、今よりもテクニカル。