寺山修司 Shuuji Terayama

演劇論

まず、登場人物が必要である。
だが、国家や社会は真の意味での「登場人物」 つまり、異形の個人を指名することを好まない。
マルセル・モースが「魔術論素描」のなかで、そのメカニズムを分析して見せたように、魔法使いが指名されるのは、常に彼の生理学、心理学、病理学的諸特性が、共通意識から離脱した存在を、否定的に一人格化し、超自然な能力を許しながら、孤立させ、追放しているのである。
アフリカでびっこや鍛冶屋が魔法使いにされることは、過ちを彼に負わせるためである。
社会の本来的な機能の中で、「個人化」と、追放と、破門とはどう異義語だったりするリュシアン・レヴィ=ブリュールの指摘は、たぶん当たっていたのである。
そして、演劇のパフォーマンスは、追放された百万人のビッコ、鍛冶屋、魔法使いたちを呼び戻し、そこに新たなる出会いの機会を生成することから始めるべきなのだ、と劇団員たちに呼びかけた。
演劇実験室「天井桟敷」の主目的は、政治を通さない日常の現実原則の革命である。
俳優のいない演劇と誰もが俳優である演劇、市外劇、戸別訪問劇、書簡演劇、密室劇、電話演劇、さまざまの施行を繰り返してきた演劇実験室「天井桟敷」の10年間の軌跡を例証しながら、

私にとって観客とは何であったか?

私にとって俳優とは何であったか?

私にとって劇場とは何であったか?

私にとって戯曲とは何であったか?

鈴木忠志

鈴木 演劇をやりだすきっかけは?
寺山 戯曲として発表したのは、劇団四季の「血は立ったまま眠っている」が処女作だった。
鈴木 それまでは短歌とか、そういうほうでは名前はいろいろ知られていたけれども、どういう動機で芝居にかかわったのか、その辺のところからしゃべってくれないかな。
寺山 育ったのが、青森市歌舞伎座っていう映画館だったわけだ。
その青森市歌舞伎座の楽屋裏から、おれは中学校、高校へ通っていたわけ。
戦前は芝居小屋だったところで、名残りでときどき興行をやるから、年に何回かは楽屋を明け渡さなければならない。
そこにどさ回りの一座が入るわけだ。
まさに芝居小屋によって日常生活が変わるわけだ。
それで子供のころから、フィクションを演じる人間は突然やってきて去っていくものだという印象があった。
鈴木 歌舞伎座ってとこにお父さんが住んでいたわけ?
寺山 おやじもおふくろもいなかった。
簡単に言うと、捨て子だったおふくろを拾ってくれた人がその映画館の館主だった。
おふくろはそのあと、おれがある程度成長したので、仕送りをするためにベースキャンプだとか水商売を転々とした。
それが東京に出て大学へ入ってから宝塚とSKDと、劇団四季を見たわけだ。
劇団四季の「間奏曲」を見て、非常に面白かったからジロドゥに対する感想と、上演の仕方について演劇のアンケートにわりに克明に描いて出した。
そうしたら、どういうわけか浅利慶太が興味をもって、一度遊びに来いと言ってきた。
四季がいつまでもフランスの芝居やっていてもしょうがないから創作劇をやると突然言い出した。
おれは23歳で食えなくて、バーテンやったり競馬やったりしていた時期で、芝居やるともしかすると食えるんじゃないかと思って一生懸命になって書いた。
それがたまたま「文学界」に載って、もの書いて食えるかなという気になった。
何年かたって、人間座ってところに頼まれて戯曲を書いた。
それは春日ひとみを使ってアートシアター新宿文化会館でやった「アダムとイブ=わが犯罪学」というやつで、エデンというトルコ風呂の屋根裏に住む家族の話だった。
これを見ているうちに、戯曲を書くことは演劇をつくることと何の関係もないって気がし始めた。

「天井桟敷の誕生」

寺山 素朴に言うと、子供のころ、サーカスなんか見に行く前夜は眠れないわけだよ。
胸がドキドキして。そういう興業が新劇にはないわけだ。新劇の切符をもらっていくとき、しんどいなって感じがする新劇は、近代主義の啓蒙ということばかり熱心で、いわゆる見世物が持っていたもう一つの祝祭的な側面がまったくなくなっている。
要するに浪花節だ、サーカスだ、大魔術だという百鬼夜行で日常生活の連続性を分断するのがよかろうと思った。そこで、天井桟敷と名付け、町のチンドン屋を雇ってね、横尾忠則と東由多加とおれと、三人で劇団始めることになった。
観客の中に要求があったのに、そういう劇団がなかったために、ばかみたいに当たったわけだ。
初期の天井桟敷ってものは満員また満員で、入り口にのぼりが立って、綿飴屋が店を出した。
とにかく切符を買うのが大変で、プレミアまでついたという時期があるんだ。
鈴木 はとバスまで行ったっていうね。
それから俺はだんだん疑問を感じだしたわけよ。
俳優に「何とかちゃん」って言って声がかかってドッと沸いて、ステージでニッコリ笑い返すなんていう関係が、だんだん馴合い化していく。
特定の人間が見られるために舞台に出てくるというふうなことは、やっぱり日常性を深く揺さぶる力にならないんだね。
それで、横尾忠則や東とも、考えが違ってきた。

身 毒 丸 劇団☆A・P・B-Tokyo

フライヤーを頂いた。
2012.11.29(Thu) ~ 12.4(Tue)  
作:寺山修司   
演出:高野美由紀
音楽:J・A・シーザー 
画:智内兄助
劇場:ザムザ阿佐谷
年末 今年の締めくくりは、寺山かなぁ。

迷宮譚

1975年作のこの映画は、全編台詞がありません。
登場するのは、ドア、とそれをかついで歩く男性二人、と女性。
緑白な画面でコントラストが非常に強い印象を残します。
男性がドアをかついだり、二人で抱えたりして、路上や砂浜に置く。
そしてドアを開くと、ドアの向こうは別世界。
「スクリーン=ドア」論を主張する寺山ワールドです。

蝶服記

さえぎられた映画
映写機からスクリーンの間を誰かが歩くと頭の影がスクリーンに写ります。
それを意図的に利用した作品です。
寺山修司の「眼帯に死蝶かくして山河燃ゆ」という一句が母胎ですね。
「蝶服記」 1974年/カラー/12分 カンヌ映画祭監督週間招待

粟津潔(あわつきよし)

1929年東京目黒区に生まれ17歳の頃から絵を描き始めますが、技術の習得はもっぱら美術雑誌の模写や電車内での人物デッサンなど独学によるものでした。
やがて左翼運動に没入、生活のためにキャバレーの壁画やパチンコ台の装飾画などを手掛けるようになりました。
1954年、独立映画社宣伝部の嘱託となりチラシの下書きやポスターの制作に携わると、すぐ翌年の1955年には、漁民による米軍基地反対闘争のためのポスター「海を返せ」で日本宣伝美術会日宣美賞を受賞、以来、粟津は日本を代表するアーティストとして国際的な舞台で活躍、その旺盛な好奇心はデザインにとどまらず、絵画、立体、写真、映画、舞台、建築、環境、と無数にその触手を伸ばして行きます。
造形する、美術、デザインするということは、自由な精神の奥底に眠っているものを起して、作品というモノをつくりだす仕事ある。

宇野亜喜良(うのあきら)

宇野亜喜良といえば、1950年代にグラフィックデザイナーとしてデビューし、1960~70年代には「天井桟敷」の舞台美術をはじめとするスキャンダラスなイラストレーションで世に衝撃を与え続けてきました。
まだ日本にグラフィックデザイナー、イラストレーターといった職業が確立されていない時代のなかで、その作品と存在感でそれらの職業を世に知らしめ、牽引されてきた方です。
まぎれもなく、時代を築き上げてきた作家の一人といえるでしょう。

横尾忠則

好きになることが、まず第一だよね。
仕事になるかどうか、受けるかどうかより、描くことが好きかどうか。そうでないと、どうしたって、つまらなくなるし、キツくなる。
その絵に価値があるかどうかは第三者が決めることで、作者はその場所にいない。
展覧会に並んでいるのは過去の作品で、アトリエで描いている絵が「いま」という瞬間なんだよ。
たった今という瞬間が一番大事。「いま」という瞬間に、自分がどれだけ充足しているか。
それから、僕は、孤独になって、一人だけの世界に没頭して描くのが好きなんだよね。
孤独を恐れちゃいけない。孤独を味わうこと。
孤独になっているときこそ、自分が成長するチャンスだよ。
ボーっとするなら、徹底してボーっとしなきゃ。「今日はゴロゴロするぞ」って意識して決める。
なんとなくゴロゴロしてると、夕方ぐらいになって「何してたんだろ」って、わけのわからない罪悪感にかられるからね。
横尾さんの作品は楽しい。
ウォーホルやバスキアなど日本のPOPアートの先駆けでしょう。
ポスター的な商業と結びつく芸術的な評価が、もっと高くてもいいと思う。

カルメンマキ&OZ

あなたの職業は?
と聞かれた彼はいつも同じ答えでした。
「寺山修司です」
詩人・演出家・劇作家・役者・音楽プロデューサー・作詞家・映画監督
数え上がればきりがない。
フランスのジャンコクトー、アメリカのアンディ・ウォーホル
ひとつのジャンルに縛られない、多彩な才能を見せ完全なるオリジナリティー。
だれの真似でもなく、彼個人の創造。
寺山も同じく音楽のプロデュースをしている。
カルメンマキ&OZ
はじめて彼女の歌声を聞いたときは、びっくりした。
ジャニス・ジョップリン、パティ・スミス、全身からほとばしる表現者の匂いがしました。
寺山にとって生きることとは書き続けること、言葉を武器に格闘の人生だったろう。
その中で、アヴァンギャルド・サブカルやアリスとテレスのような童話など無限の創造だった。
一度は聴いてほしいアーティスト。

僕は子供のころから忍術使いや剣術使いがいるように(言葉使い)の達人になりたかった。そのころから7・5調で書いたり、古文で書いたりすることは得意だったし、そういうことにダンディズムを感じていた。道具になった言葉はテロルの凶器にも役立つと思っていた。だから中学、高校のときにはものを書いて食うんだ、それしかないんだと思っていたんです。
寺山修司対談集/密室から市外へ より

寺山修司の戯曲「伯爵令嬢小鷹狩り鞠子の七つの大罪」

ビートルズがPOPS・JAZZ・ROCKというジャンルを飛び越え、一つの「ビートルズ」というワールドであるのに対し、寺山修司は一つの「世界・ワールド」だ。
今回、8月の公演に見に行くことにしました。
戯曲「伯爵令嬢小鷹狩り鞠子の七つの大罪」
下北沢スズナリで行われ、寺島しのぶさんを主演に宇野亜喜良さん、僕の尊敬するヘアメイクアーティスト伊藤五郎さんを迎える。