アンディ・ウォーホル Andy Warhol

MARIPOL マリポール

マリポールは1947年にフランスに生まれ、1976年にニューヨークに移住した後、映画プロデューサー、ファッションデザイナー、スタイリストとして多岐に活躍し、マドンナ、デボラ・ハリー、グレイス・ジョーンズといった一流アーティスト達を始め、80年代ニューヨークのアートシーンに大きな影響を与えた。
また、ポラロイドで撮影された彼女のポートレートは2冊の写真集、“Mes Polas” “New-York Beat” として発表され、数々のギャラリーにて写真展も開催されている。
現在もエルトン・ジョンや、シェル等のアートディレクターとして様々なアートシーンで活躍中。

ロバータ・ベイリー Roberta Bayley

Roberta Bayley(ロベルタ・ベイリー)は70年代中期に米パンク誌や世界中のロック専門誌へ写真を提供、ピストルズやクラッシュはもちろん、ラモーンズやリチャード・ヘルなど多数のバンドのアルバムカバーなども手掛け、ニューヨークの伝説的ライブハウスCBGBやパンクなどの写真集や写真展への参加など、著しい活躍をみせているフォトグラファーです。

Blondie pictured on a roof with NYC skyline in background © OvoWorks – Roberta Bayley
ブロンディ、デボラ・アン・ハリー Deborah Ann Harry
Photo|Roberta Bayley
Roberta Bayley, Richard Hell, Legs McNeil, Andy Warhol, 1976, Gelatin silver print, Courtesy Barry Neuman / Modern Culture, New York
リチャード・ヘル、アンディ・ウォーホール
Billy idol.1978 Photo:Roberta Bayley
ビリー・アイドル

danny fieldds ダニー・フィールズ

Danny Fields and Nico
アンディ・ウォーホルのファクトリーでの「スター」の一人であり、MC5やストゥージズを捕獲した伝説のエレクトラ宣伝部長、ラモーンズのマネージャーです。
Dee Dee Ramone
Ramones :ラモーンズ
Sex Pistols :セックス・ピストルズ
Sid Vicious:シド・ヴィシャス
London, England
Danny Fields, Iggy Pop, Lisa Robinson, David Bowie
イギー・ポップ、デビット・ボーイ
Tammy Faye Starlite and Danny Fields at The Duplex Cabaret
「厭戦の空気があったと言えるだろうね。FBIトップの息子がドラァグ・クイーンとしてウォーホルの廻りにいたりもしたけどね(笑)。当時のNYはアメリカの他の地域とはまるで違っていた。才能とルックスに恵まれた連中だけがマクシズやファクトリーに出入りできた。パティ・スミスとロバート・メイプルソープはマクシズの常連になりたくて仕方がなくて毎晩入り口で押し問答をするわけだ。あんまり可愛そうなんで私が呼び入れてあげた。やった!って喜んでたよ(笑)」

Susan Bottomly スーザンボトムリー/International Velvet

スターリング・モリソン sterling morrison

モーリン・タッカー Maureen Tucker

Lou Reed ,Sterling Morrison, John Cale, Moe Tucker
ルー・リード,スターリング・モリソン,ジョン・ケイル,モーリン・タッカー

ジョン・ケイル John Cale

パット・ハートレイPat Hartley

アンディ・ウォーホル ファクトリー

ジェラールマランガ gerard malanga

ビリー・ネイム Billy Name

Billy Name (ビリー・ネイム)
1940年2月22日生まれ。
米国の写真家、映画製作者、照明デザイナー。
ニューヨーク在住。
ウォーホルの友人で、ファクトリーの常連の一人。

スティーブン・ショアー Stephen Shore

消えゆくアメリカ原風景をシリアスなカラー作品で表現するスティーブン・ショアーは1947年ニューヨーク生まれです。
わずか6歳のときから写真や暗室作業を開始し、なんと14歳でニュ-ヨーク近代美術館のエドワード・スタイケンに写真を購入されたそうです。
17歳でアンディ・ウォーホール とファクトリーの写真を撮影、その後連続写真に取り組みます。

イーディ・セジウィックEdie Sedgwick

上流階級からファクトリー ガールへ。
アンディ・ウォーホルのスーパースターと呼ばれ、わずか1年でマンハッタン中の憧れガールズ・オブ・ジ・イヤーに。
イーディが最も輝いていた1965年。
それはアンディ・ウォーホルとの出会いから始まります。

Lou Reed&John Cale ルーリード&ジョン・ケイル

1965年にルー・リードとジョン・ケイルは出会い、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド結成。
『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』(1967年)、『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』(1968年)の2作に参加した後、ルーとジョンとの対立が強まり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを解散。
スターリング・モリソンによれば、ルーは「もしケイルが辞めないなら自分が辞める」とまで発言したという。
ルーリードはボブ・ディラン、ニール・ヤングと並び称されるロック詩人。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド解散後、70年にミック・ロンソンのプロデュースによるアルバム『トランスフォーマー』にてソロ・デビューを果たす。
当時まったくもってタブー視されていた性的倒錯者、ヤク中、変態、狂人といった、すべてのアウトサイダーどもに「ワイルドを歩け」と光をあてた、あまりに美しく切ない歴史的名曲を輩出した。
その後も、出口なしの暗黒アルバム『ベルリン』、普遍的なラヴを綴った『コニー・アイランド・ベイビー』、故アンディ・ウォーホルに捧げた『NEW YORK』、ローリー・アンダーソンとの邂逅による『セット・ザ・トワイライト・リーリング』など、常に第一線に立ち、時代性とシンクロしたシリアスな傑作を続々とリリースしている。

ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド The Velvet Underground

ニューヨークにファクトリー (The Factory)をつくり、The Velvet Undergroundのプロデュース。
Lou ReedとNico。
彼は自身について聞かれた際、「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」と、徹底し「芸術家の内面」をなくし表面的であろうと努めました。
初期にはアクリル絵具などでキャンバスに描いていたが、1960年代以降は版画のシルクスクリーンを多用しています。
孔版印刷であるシルクスクリーンの原理は平たくいえば「プリントゴッコ」のようなもので、作家が直接印刷に携わらなくとも制作できる量産に適した手法です。
この考え方は寺山修司やつかこうへい、落語など近代から現代への芸術に対する動きを感じています。
寺山は演劇の文学離れを主張していた。
落語も聞かせる物語や脚本の良しあしの文学性よりも、話芸としての落語家としての芸術を目ざいています。
よく、つかこうへいや三谷幸喜の作品を見に行くと、「すごく楽しかったね!」
と歓喜しているが、「ところで、どんな内容だっけ!?」
これが、現代の芸術のあり方だと思う。
芸術のエンターテイメント。
楽しくなければ芸術ではない!
「15分で誰でも有名人になれるだろう」
この芸術の複製化・連続性。
かつて、寺山修司も素人のパチンコの店員、飲み屋のオヤジ、風俗店のスタッフなど舞台に上げて、5分づつしゃべらせた。
かつて、一点物の高価な貴族の為の芸術家から民衆の為の芸術への、復権運動のようですね。
The Velvet Underground & Nico