日々想うこと

八ヶ岳倶楽部 柳生博 柳生真吾

僕は以前、八ヶ岳倶楽部に行ったことがある。
中央本線を各駅停車で小淵沢まで。
小海線小諸行きで甲斐大泉までの長い道のり。
都内で勤め人として美容師をしていたころ。
「生き物」としての自分と「社会人」としての自分。
都会の中では、経済という大きなうねりから逃れることはできません。
消費をしてお金を廻さなければ、今の日本の社会では運営出来ないのですから。
コンクリートの壁の中、お隣さんの顔もわからない。
外へ出てもアスファルトに覆われた道路で生き物の気配がありません。
20代、30代前半までほとんどの時間を都会の美容師という仕事に没頭していました。
そんな中で、先輩から声をかけられ始めた登山。
そこで、出会ったのが柳生博さん、真吾さん親子の「八ヶ岳倶楽部」でした。
柳生さんが大切にしている考えに「営繕」えいぜん・というものがあります。
営繕とは、今あるものを修復したり、よりよくなるよう工夫したすることです。
建物や、人間が作った施設の営繕というのは、割と簡単なことです。
修理し、よりクオリティを高くしていけばいいだけの話だからです。
かつて、「里山」と呼ばれた人間たちの集落には、先人たちの作った雑木林という林がありました。
人工林とは違います。
人工林というのは、建築材や工業のために使う木材を安定供給するために、必要な品種だけを植えた産業林のことです。
産業林は、植えた品種の需要がなくなると廃墟になります。
雑木林には、様々な土着の樹々が植えられ、人々が作った森から燃料や肥料を手に入れ、生活の糧にしてきました。
木を切る周期は18年から20年です。
その切り株から新芽が出てまた20年たったら切っていく。
日本の雑木林の美しさは、樹を切ることで維持してきました。
切って常に新しい林へと更新し、生まれ変わらなければなりません。
先人たちは、手入れを続け残してくれたのです。
僕はそんな先人の知恵を提示して未来へ繋げようとしている「八ヶ岳倶楽部」に足を踏み入れ心を洗われた一人です。

雑草という植物はない 柳宗民

僕の好きな本の一冊には柳宗民さんの「雑草ノート」があります。
その中の一説には、かつて生物学者であられた昭和天皇は、「雑草という植物はない」と言われたそうだが、確かに、雑草という言葉には差別的なニュアンスがある。
すべての植物を愛された天皇にとっては、この言葉を好まれなかったお気持ちがよくわかる。
どんなに見栄えがせず、つまらないと思う植物でも、よく観察すれば素晴らしい生き物としての美しさがある。
農学的には、植えられた植物の栽培に支障をきたす植物のことを雑草と言うらしい。
どころが、一般には、名も解らぬ、美しくもない草久をすべて雑草という言葉でくくってしまっているようだ。
野の草でも、美しいものは雑草扱いされない。
人間でも、美人だけが人間ではないし、人種が異なっても、人権は平等である。
僕の大好きな文章の一つ。

古民家風 木材

2015年5月19日火曜日、新木場まで木材を見に行ってきました。
新木場から徒歩15分くらいの場所ですが、材木屋さんとフォトスタジオといろいろでした。
その中で古材を販売している材木屋さんを見学に。
僕は江戸時代や明治、大正など年月を経た風合いのものが好きです。
新しいもの、新鮮なものには当然の魅力がありますが、時を重ねたものにしか出せない風合いや匂いや質感、モノでも空間でも人でも。
石の文化のヨーロッパとは違い、木材の文化日本は地震や火事などでヨーロッパのように、町全体が時を止めたようには残りませんが、「江戸っ子は宵越し(よいごし)の銭は持たぬ」や「火事と喧嘩は江戸の花」などの当時を表す言葉は、移りゆくモノに執着なく、常に今日、明日と前を見ていたのでしょう。
美容師をしていると一日の大半を部屋の中で過ごすため、空間の演出を見てしまいます。
カフェや映画観賞、旅行先のホテル。
部屋の内装、照明の明るさ、流れる音楽の雰囲気と大きさ。
これらの要素に時間軸というか、深さが必要な時、アンティークな年月を重ねた風合いのものがあるとぐっときます。
奥行き感にも似た、懐かしさというか親近感が増すのです。
それに対し新しいだけでは、温かみや人の息吹が感じられません。
時代が加速していく中だからこそ、一つの場所に留まり想いにふける大切さを忘れたくはないですね。
正論を論じるよりも、意味を求めるよりも、感情や人情、無情なものに身を寄せることが大切な時があると思います。

アイヌの文化 

幸恵が選び抜き死の直前まで遂行を重ねた13編のカムイユカラが納められました。
幸恵はその序文で人びとに語りかけます。
その昔、この広い北海道は私たちの先祖の自由の天地でありました。
それも今は昔。
夢は破れて幾十年。
この地は急速な変転をなし山野は村に、 村は町にと次第次第に開けてゆく。
その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは露ほども想像し得なかったのでありましょう。
激しい競争場裡に惨敗の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは二人三人でも強いものが出て来たら、 進みゆく世と歩みをならべる日もやがては来ましょう。
アイヌ民族は遠い昔から蝦夷地 現在の北海道を中心に独自の文化を育んできました。
人びとの暮らしは狩や猟。
自然のめぐみは神々からの授かり物として大切にしてきました。
あらゆる物に神々が宿ると考えるアイヌの人びと。
その神々との営みを口伝えに語り継いできたのが、カムイユカラという伝承です。
アイヌの人びとはこうした伝承を通して民族の文化を守り続けてきました。

金田一京助さんと金成マツさん

僕が幌別で生まれ育った時代には、アイヌの方と日本人のハーフの級友がいました。
田舎町ではアイヌということでいじめの対象になっていました。
今、想うことはお客さまでマレーシアの方とか、シンガポールの方などのお話を聞くと多民族国家ということ。
マレー系、中華系、インド系などが共存して生活をしています。
日本はなぜ、多民族国家とならず、土人法をつくったり同人化政策を行うのか考えました。
先住民と呼ばれる人たちは世界中に多くいます。
アボリジニ オーストラリア先住民
エスキモー イヌイット カナダ北部にすむ先住民
北米の諸民族をインディアン 中南米の諸民族をインディオ
物事を進める上で分類した方が効率が良く、人間は区分するのだと思います。
その差異が分裂を生むのだと思います。
『凡才の集団は孤高の天才に勝る』
画期的なイノベーションを生み出すのは、いわゆる天才と呼ばれるような一人の人間が生み出したものではなく、グループに生まれる天才的発想「グループ・ジーニアス」だとし、異なるものが出会うことで、意外性に満ちた革新的なアイデアが生まれること。
相乗効果を発揮していくことを考える場合、私たちは「人」に対してフォーカスし、考える必要があります。
僕は美容師として、雑誌、インターネット、町ですれ違う人、映画多くの情報からファッションやヘアスタイルを考えたりします。
しかし、他の職業の人、ファッションとは関係のない仕事の方とお話をすると予想以上のアイデアをもらうことがあります。
「違いを豊かに!」
クリエイションは衝突から生まれることが多いと思います。
地球もビックバンによる破壊からの誕生ですし、パンクイズムですね。
北海道・登別の「知里幸恵 銀のしずく記念館」館長に聞いたこと。
北海道旧土人保護法
この法律は、「貧困にあえぐアイヌ民族の保護」を名目としていますが、実際にはアイヌの財産を収奪し、文化帝国主義的同化政策を推進するために作られたものです。
アイヌの土地の没収
収入源である漁業・狩猟の禁止
アイヌ固有の習慣風習の禁止
日本語使用の義務
日本風氏名への改名による戸籍への編入
「銀の滴降る降るまわりに」
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴 降る降るまわりに。」
という歌を私は歌いながら
流に沿って下り,人間の村の上を通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて、
昔のお金持が今の貧乏人になっている様です。

自分らしさ・・・

剣の道を極めたからには、人としての道も己で切り開いていかなければいけない。
楽なことではありません。
その苦難を乗り越えていけば、そこに他の誰でもない自分自身の生きる道が見えてくるはずです。
かつて、激動の江戸時代から明治への変革を生きた坂本竜馬が頂いた言葉。
時代は違いますが、ソーシャルネットワークによってあらゆる情報が手に入る現代。
知ることは、行う前にあってこそ価値があります。
むやみに、歩き続けることは現代の情報過多の時代には難しいのかもしれません。
しかし、あらゆる「知る」ということは、行動の妨げにも通じます。
何をしていいか解らない。
自分の生きる道がイメージできない。
生きることは素晴らしいことであり、一日でも長く生きることはどんな財宝よりも高価でしょう。
しかし、短い一生の中にも自分らしさく生き抜いた、無名の人は多くいるでしょう。
自分らしさとは、他人の誰に聞いても答えられないと思います。
自分らしさとは「足下を掘れ」。
自分が今、できることを精一杯成すことです。
解らないから、解ってから行動を起こす。
実際、人の話やネットで興味を起こしてから行動を起こすこともいいでしょう。
しかし、人の話やネットでの見聞は実際と多くの隔てがある場合が多いでしょう。
解らないから、解るために行動する。
自分の五感を信じて、失敗を恐れない。
MJ マイケル・ジョーダン
バスケットの世界では勝負は勝ち、負けの繰り返し。
MJにとって、敗北は負けではないと言います。
負けとは、行動しないこと。
挑戦しないこと。
MJはバスケットの世界での成功を投げ捨て、野球の世界への挑戦をあきらめませんでした。
敗北はその人に多くの経験と実績を生みます。
しかし、挑戦しないことはNothing。
何も生まれません。
敗北を恐れない。
それだけが自分の人生、自分らしさを見つけられる方法だと思います。
一瞬の連続が一日、一日の連続が一年、一年の連続が人生に繋がるでしょう。
寒い冬の朝、ベットから布団を蹴飛ばして起きる勝負。
苦手の知人に「おはよう」と言葉をかける勇気。
疲れた体に鞭を打って会いに行く友人や先輩・後輩。
その一つ、一つの勇気ある行動に自分らしさが見えるのでしょう。
多くを開くからこそ、思いもよらないこともあるでしょう。
しかし、その違いや恐れを乗り越えて、合わせ持って次のステージが待っていると思います。
自分を信じること。
自分の可能性を信じきること。
楽しさとは苦楽を合わせ持っての、楽しいという意味だと思います。
ひきこもり。
登校拒否。
会社の休業。
誰でも安定した生活を望みます。
挑戦を忘れた人生は風味のなくした調味料のように、物足りなさを生むでしょう。

おもいだすという、もう一つの現実

付きあって間もないカップルは、なぜか、余所余所しい。
愛おしいと想う気持ちに、理性の身体が追いつかない。
どこか、ちぐはぐ。
長い時間を共にしたカップルは同じものを見、同じ音を聞く。
そして、同じことを想う。
距離を超え、時間を超えるその想いは
両親を想う時、自分の身体を見ることで、いつでも対話ができるのです。
大切な人を想う時、きっと、心の中の大切なその人は、同じものを見て、同じ事を想っています。

霧氷

今から20年以上も前の過ぎた時間の話。
登別という北海道の南に位置するその場所から、僕は隣町の室蘭というところに高校生活を送っていた。
片道1時間30分以上の通学時間。
高台にあったその場所は、いつも風に吹かれていた。
朝、目が覚めると布団から出る自分の顔から吐き出される呼吸は、氷点下の室内で冷やされ白い塊になる。
今でも、冬になると室内を暖める炎のゆったりとした静かな動きを思い出す。
燃えるという作業。
石油の燃えた後の独特の鼻をつくにおい。
冷たい空気の名で、熱伝導による肌に降り注ぐ暖かなぬくもり。
二重窓で防寒整備された北海道のガラスは、汗をかく。
北海道、独特の表現。
ガラスの外側は氷点下で、内側は暖かな生活。
水蒸気が冷やされ、水たまりとなり、汗をかいたよう。
霧氷という現象。
気温が氷点下のとき、樹木や地物に、空気中の水蒸気や水滴が吹きつけられて凍結してできる氷。
きまって、凍えるような’しばれる’日は、空が抜けるように透き通っている。
宇宙まで、どこまでも続いているような錯覚をおぼえる。
駅まで自転車で15分。
どんなに雪が降っても、器用に北海道の人はペダルをこぐ。
ぎしっ、ぎしっと雪を踏みしめる音はとても心地がいい。
北海道のローカル駅は人と人を近づける。
駅のガラスで囲まれた空間はストーブによって、暖かに保たれているから。
1時間に1本から2本しか時刻表に書かれていない時刻表。
みんな、それぞれの汽車を冬の厳しさと向き合い時間を待っている。
そんな、寒さの自然と向き合うからこそ
人とのぬくもりや、短い夏の美しさに、感謝と今を大切に思ういとおしさをおぼえるのです。

ゆきむしのたより

北海道で生まれ育った僕は、東京の四季の現れ方に違和感を覚えることがある。
というのは、そこは、秋がとても小さい。
というか、短い。
夏の次の季節は、冬のよう。
一年を通して雪の長い季節がほとんどを占める。
ひんやりと、肌を冷やすというより、痛点を刺激する’痛い’という感覚。
そんな冬の訪れを、ささやかに目に見える形で、自然は教えてくれる。
’雪虫’
学生時代、駅に向かう自転車で学生服に一つの模様のように浮かび上がる。
もうすぐ、そこまで来ているよ。
近づいているよ。
そんな、声に聞こえていた。
北海道の冬のお知らせ

幸せの放物線 詩

その道の達人になるには、1万時間という時間が必要だと言われます。
毎日3時間の努力を10年間続ける計算。
困難のない人生など無いのでしょう。
そして、困難を乗り越えた分だけ人は強くなり、多くの人を励ませるのです。
たとえ、倒れたとしても、また、立ち上がればいいのです。
今日という日が負けたとしても、明日は必ず勝とうと決意する。
悔しさに涙を溜めた時も、じっとこらえて力をつけ、いつの日か、笑顔で見返していくのです。
すべての人に世界を変える力がある。
自分が望む社会をつくるために、自分ができる最善のことに挑むのです。
眼前の課題に一つ一つ、ベストを尽くして取り組み、学び輝くのです。
偉大な人は、嫉妬をされる。
正義の人は悪口も言われる。
何も恐れることはない。
まっすぐ進むのです。

神聖なる力

神聖なる力をいたずらに外に求めてはならない。
私たちは神聖なる性分を自身の内にすでに備えている。
外的な神聖な力と内的な神聖な力の健全なる交流。
哲学や思想は、自分自身の人生・ものの見方を豊かにし深めていくためにこそ存在する。
何の儀礼も虚飾もなく、一人の人間として平等に接すること。
相手が誰であろうと、一人一人の人生に深い関心と尊敬の心を持って接する振る舞い。
そこに人としての稀有な資質を見るのです。
冬枯れの枝が寒風を抗う姿に、春にこそ必ず花を咲かせるぞ、との決意を想う。
誰が見ていても、見ていなくても、自分らしく咲き誇る名もなき花に自分を写すのです。

生活習慣病・一無・二少・3多

一無とは
無煙・禁煙のこと。
タバコの煙・禁煙によるニコチン・タール・一酸化炭素などの、有害な物質が体内に入るのを防ぎます。
二少とは
小食・少酒。
昔から腹8分目と言われる通り、暴飲暴食を避けます。
主食と一汁三菜、果物、乳製品。
三食、良く噛んで偏食しないこと。
三つの白を控える。
植物繊維を豊富にとる。
三つの白とは
白米・白パン。
食塩。
砂糖。
正しいアルコールの摂取は一日20グラム位。
ビール500ミリリットル。
日本酒180ミリリットル・一合。
焼酎35度70ミリリットル。
ワイン200ミリリットル。
ウイスキー60ミリリット。

成長が感じられない?オリジナル・マイペース

身体が小さいからと言って、頭と足を引っ張って伸ばして見て、身長が伸びるかな?
精神的に他人が引っ張ってみるのも、同じ過ち。
適切な食事と、適切な運動があれば、後は本人に任せています。
同じように、精神的にも褒めたり、笑ったりしながら、待つ忍耐が大切なはずです。
虫たちのさなぎの状態は外から変化が見えません。
しかし、内側では確実に変化が起こっていて、時が来れば羽化して成虫になります。
本人にしかない、オリジナルな成長ペースを見逃さないことが大切です。

自分を褒める

自分自身を大切にし、自分を肯定的に受け入れること。
解りやすく
「自分をもっと、褒めよう!」
ということ。
ふつうは、相手に対し優れた点を挙げて、言葉に出す。
「すごいね!」
「偉いね!」
他人を褒めるのと同じように、自分に向けてみる。
今までの価値観はマイナスのイメージがあった。
「うぬぼれている」
「楽天的」 など。
世の中、当たり前なんてないと思います。
そんなこと、できて当然とか、やって当たり前とか。
自分の良さを認め、積極的に褒めていく。
すると、自分を大切にすると、他人も大切にしようと思います。
100点からの減点法ではなく、褒める加点方式。
自分を褒めることを通して、褒め上手になりませんか?

Chuya Nakahara 中原中也

中原中也は詩人としては、やはりかなり異才だ。
アルチュール・ランボーの詩を読んだとき、「これは自分だ!」と思ったに違いない。
17歳でパリに出て、ヴェルレーヌに出会う。
ヴェルレーヌは彼の才能を見抜いて、妻子を捨てて、同性愛という噂もあるが、旅に出ます。
その後別れて、生涯ただ一冊の詩集「地獄の季節」を発刊。
その後は武器商人となります。
中原中也自体もかなり、アナーキのような人だったと聞いています。
彼独自の詩風を完成させたものは、キュートであり、モード。
宮沢賢治のような、絵本の世界にも通ずるものを感じます。
月の光 その二
おゝチルシスとアマントが 庭に出て来て遊んでる
ほんに今夜は春の宵(よひ) なまあつたかい
靄(もや)もある 月の光に照らされて
庭のベンチの上にゐる ギタアがそばにはあるけれど
いつかう弾き出しさうもない
芝生のむかふは森でして とても黒々してゐます
おゝチルシスとアマントが こそこそ話してゐる間
森の中では死んだ子が 蛍のやうに蹲(しやが)んでる

Chuya Nakahara 中原中也

詩人としての中原中也が好きです。
彼も小林秀雄という人物がいなければ、世にその名を残しませんでした。
彼が30歳で亡くなるまで、ほとんど無名のようでした。
彼の時代は、いまだ純文学が主流のようでした。
室生犀星・むろうさいせい、北原白秋、萩原朔太郎など抒情的。
1910年代に世界的に芸術思想・芸術運動、「ダダイズム」が爆発的に普及し彼もダダイストとなったようです。
彼の詩は、現代美術であり、のちの萩原朔太郎や宮沢賢治なども同じ匂いがします。
僕は映像では三上博さんが、中原中也の役を演じたものが好きです。
三上さんは寺山修二に見出され、「草迷宮」でデビューしてます。
中原中也は親友でもある小林秀雄に、自分の彼女長谷川泰子を取られてしまう。
この三角関係が、とても不思議です。
かれは「ランボオ詩集」を発刊するほど、傾倒していましたので、僕自身も、中也、ランボオは好きです。
彼の詩によって、現代アート、詩の世界が開けた気がします。
ピチベの哲学
チヨンザイチヨンザイピーフービー
俺は愁[かな]しいのだよ。
―――あの月の中にはな、
色蒼ざめたお姫様がいて………
それがチャールストンを踊ってゐるのだ。
けれどもそれは見えないので、
それで月は、あのやうに静かなのさ。
チヨンザイチヨンザイピーフービー
チャールストンといふのはとてもあのお姫様が踊るやふな踊りではないけれども、そこがまた月の世界の神秘であつて、却々[なかなか]六ヶ敷[むつかし]いところさ。

後世畏るべし

後世とは、後輩の世代、若い人たちの事です。
畏るべしとは、無限の可能性があると言う事です。
美容師として、他に誇れる長所は、さまざまな価値観の人間に触れることにより、自分が磨かれる事です。
最近は季節がら、卒業式の晴れやかな姿を見る機会があります。
未来に不安と期待が入り混じる瞬間です。
アジアに仕事などに行かれる方は、よく活気があっていいと言われます。
なぜですかね?
アジアでは、みんなどんどんステップアップをして、チャンスをつかむ姿勢を感じるのだそうです。
日本では勉強をして、ある程度自分の価値観に行くと「保身」にまわり、出る杭を打つような慢心があるようです。
それが、今の若者の虚無感に繋がるのかもしれません。
昔は貧乏や病気から早く抜け出したい一心で、「成り上がり」のような、反骨精神や根性論で活気があったのでしょう。
いい意味でお金が好きな時代。
今は、不景気の上、エコロジーの思想などモノを買わない、欲しがらない思想が強い気がします。
しかし、その思想の延長には、お坊さんが山にこもり、すべての欲を捨てて、自分さえよければいいという引きこもり状態に近くなります。
理想の価値をつかみに行く。
そこには、競争があり、努力、忍耐、持続など多くの精神的な強さが求められます。
以前、お客様で甲子園に出て、大学で全寮制の生活をしている方がいました。
高校時代は、毎日食事前、食事後、体重計に乗り、身体を強くする闘いです。
吐くまで食べる。
筋力トレーニングで脂肪を筋肉に変える。
ダルビッシュさんはメジャーに行くことを決めた後、10キロ体重を増やしました。
1日5食。
おかげで、9回投げても疲れません。
敗北の挫折感。
その後の逆境から這い上がる精神力。
毎日のトレーニング。
その後にやってくる、お金では買えない達成感。
それを教えてくれるのは、今の時代はスポーツだけでしょう。
昔は草野球やサッカーなど遊び場所がたくさんありました。
ゲームもありません。
先輩や後輩、他人との価値観のバランスは自然と養われました。
また、近代のグローバル化に国際感が求められます
小学生から英語の授業の導入。
ナンバーワンという競争の先にしか、オンリーワンは見えません。
自分と言う人間になるために、全力で生き抜くのです。
世界を舞台に国際感豊かな、若者が出る事が楽しみです。
「後世畏るべし」

孔子・論語

吾(われ)十有五にして学に志す。
自分は、15歳で学問を志しました。
三十にして立つ。
修行期を終え、30歳にして立ちあがった。
四十にして惑わず。
40歳にして迷いがなくなった。
50にして天命を知る。
50歳で、自分が天から与えられた生き方を知った。
六十にして耳順う(したがう)。
60歳になり、他人の意見が自然と耳に入るようになった。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰えず(こえず)。
七十歳にして、自分の心の欲するところに従って行動しても、矩(規範、枠)を越えて、踏み外すことはなくなった。。
まだ、まだ迷えることの多い四十代です。。。

現実社会と幸せ

厚生労働省の調査で、30歳から34歳の3人に2人は転職経験があるようです。
戦後、日本経済右肩上がりの時代の「終身雇用」「年功序列」が終結したようです。
むかしは、野球の世界でも、入団したチームに最後まで所属することが美徳で、トレードに出る事は、よいイメージではなかったのでしょう。
「一つの会社で仕事を全うすることが会社の標準」の時代ではありません。
離職の内容もいろいろですが、
「キャリアアップ」
「やりたい仕事が出来ない」
「職場が自分の希望と違う」などさまざま。
僕は美容師をして、7店舗ほど経験した。
同じ会社で勤務地を変えたり、会社を変えたり。
店長など役職のときは、スタッフの悩みを聞いたり、辞めていく人も見送った。
僕はまず、今のジェットコースターのような急速な現代、同じことを繰り返すのは命取りだと思っています。
インターネットも普及し、新しいことがすぐに古くなってしまう。
ファッションも、3年前の雑誌は明らかに、今と違います。
「卒業」と「逃避」は大きく違います。
フランス料理の世界では、一つ星のレストランで何年か修行すると、紹介文を書いてもらい二つ星など、キャリアアップして将来を選択できます。
美容師の場合、その美容室が10年後もお客様から指示があるか、また自分の理想がどこにあるかで、選択が変わると思います。
しかし、現実からの「逃げ」は必ず、次の職場の環境でも同じ壁が待っているため、その壁を超える努力をするべきです。
また、人間が仕事を選択する基準で、給与が高い、仕事内容が好きというものがあります。
給与が高く、仕事が面白くない。
給与が低く、仕事が面白い。
いずれも、程度はあれ、その内容に見合った報酬は欲しいものです。
そして、一番高貴な問題、人の為、社会の為。
仕事をするうえで、収入、好き嫌い、社会貢献。
これが、揃うことはまずまれですが、指標として考えてみるべきでしょう。

法人笑いと幸せ研究所

素敵な人の書物や映像を見ると、心がほっこり、前向きになる。
大谷由里子さん。
吉本興業入社後、人材活性プロデューサーとして活躍中です。
接客業がら、マナーや、人材開発など講習会を行きました。
大谷さんは吉本興行ならではの、発想力。
笑いのない所には希望はないと言います。
「笑われる」のは恥ずかしいかもしれないけど、「笑わせる」って相手を笑顔にすることです。
そのためには、コミュニケーションで信頼関係を築くことも必要だし、相手の興味を引く発想も必要です。
僕は、美容師という仕事をしてまず、接客業として、「笑い」や「共感」などお客様との信頼関係が大切だと気付かされました。
その次に、デザイナーとしてお客様にどのようなヘアスタイルが提供できるか?
服飾と同じように、地域性もありますが、オリジナリティー・独創性を悩みました。
人と違う事をすることをオリジナリティーと思う時期もありました。
しかし、大谷さんは、オンリーワンになりたい人がいたら、「ナンバーワンの向こうにしかオンリーワンはないでぇ」と言います。
好奇心がある人はさびないと言います。
新しいことをやってみようと言う好奇心と、「これで一番になったろう!」と挑戦した先の「オンリーワン」
この要素が大事です。

木を買わず山を買え

現存する木造建築で世界最古とされる法隆寺の五重塔。
名もなき匠たちが心血を注いだ技と知恵の結晶です。
日本の伝統的な塔である「五重塔」は、これまでに地震による倒壊例がなく、建物中央の柱=心柱に秘訣があるとされています。
634mという塔を現代の技術でつくろうと試みた結果、いわば、現代の最新技術と伝統的構法が出会ったわけです。
そこで、今回の制振システムを五重塔になぞらえて、「心柱制振」と呼んでいます。
改修に携わる宮大工の世界には、口伝があります。
「用材は木を買わず山を買え」
山の中腹以上の木は風雨に当たるので強い。
栄養分が豊かな谷の木は太いが柔らかい。
育った場所まで知らなければ、真に木を生かして使うことはできないとの意味です。
「木組みは木の癖で組め」
強い風が枝に当たり続ければ、幹はねじれて「癖」がつく。
癖のある木は厄介ですが、素直な木より強い所があります。
右にねじれた部材は、左にねじれたものと組み合わせれば、強靭な力が出ます。
人間の性格や才能は千差万別です。
僕がかつて、役職を頂いていたとき、結果を出せないスタッフに対し、短所ばかり見てその人の生まれもった長所を見たあげられなかった気がします。
和やかな空気を持った人、人を素直に褒められる人、テキパキ仕事をこなす人、いつも陽気で周りを涼しい空気を届けられる人、みな誰にも負けない長所がある。
日本が誇る科学技術も、伝統から来る知恵の結晶で、先人は自然から学んだのでしょう。
今日は悲しい出来事一つ。
世界のディーバ。
ホイットニーが亡くなった。
もっと、年を重ねた彼女の姿を見たかった。

暴力としての言語・寺山修司

詩の起源は、言葉の起源とはまじりあうものではなくて、出会いの起源にまじりあうものである。
人はもう一人の相手の前ではじめて「詩人」になれるのであって、たとえば今、そこに不在のもう一人をどのように想起するかによって詩の「方法論」が生まれてくるのである。
ローレンス・ファリンゲッティというビート詩人は「グーテンベルグの印刷機械の発明が詩人に猿ぐつわをはめてしまったのだ」と言っている。
音声の伴わない肉声というものもまた存在しえたのであり、古代詩人の手彫りのペトログリフなどは、まさしくアクのための肉声詩だったのだと言うことができるだろう。
詩がどのように「成り立ち」得たかを考える時、私は即興詩人の時代をなつかしがらぬ訳にはいかない。
艶歌師が花園町の小路にギター一本抱えて入っていき、そこで「他人の言葉」を祭祀し、情緒的空間から酔っぱらいたちと共通の回路を探すように、即興詩人の時代には、目の前に「詩」の共有者がいたのである。
そして、詩人の口から読者の耳までの1メートルそこそこの長い旅路を辿る言葉は「与える側」から「受け取る側」へ引き継がれるのではなくて、共有者甲と共有者乙との往復運動だったということが、実は重要なのだ。
グーテンベルグの印刷機械の発見以来、目の前にいた共有者乙「読者」は、詩人の前から姿を隠してしまった。
そして、詩は影なき男の影を探しながら、あてどない戦場に送りだされ、意味の中で死を遂げた。
一行は、一行を生む。
ことばはとばとだけ近親相姦を繰り返す。
だがその一行と一行の間には、もはや現実から「時」のすきま風おくりこむ余地はない。

森ゼミ・もりよしひろ

森ゼミとは、社会と遊びながら「自分だけの生き方」を見つける場である。
そんな人生の大命題、早々見つかる訳がない。
だが、どこかで決着をつけ、きちんと歩む必要がある。
社会と関わって、どうやって「自分だけの生き方」をしていこうか。
あいにく教科書はない。学校でも教えてくれない。
自分で見つけるしかないのだ。
ヒントは世の中に溢れている。
しかし、見つける術(道具)をほとんどの人が知らない。
自己を観察する術、人と交わるコミュニケーション術、社会を頭と五感で知る術、人や社会と遊ぶ発想力、思いや事実を発信する放送力、、、、。
どれもこれも、「自分だけの生き方」を見つけるための道具となる。
この時期は大学生の就職活動をしている人がくる。
就職氷河期と言われていますが、求人倍率1倍を超えているようです。
みなさん、大企業志向が強いため、雇用のミスマッチが起きている。
僕は、美容室で一部上場している大企業で働いたことがある。
大企業は、激しい競争が求められ、仕事も全体の一部を任される形が多いです。
一方、中小企業は、自分で書類をつくり、営業にまわり、社長と打ち合わせと、あらゆる仕事をこなせます。
しかも、新入社員を採るのは数年に一度で、社員を大切にします。
会社を選ぶ際に重要なのは、売上高でなく、利益率や企業の社会的責任(CSR)、社会への貢献度です。
大企業というブランドで判断するのではなく、「何をどう作っているのか?」
「どう社会に役だっているのか?」
で考えてもらいたいものです。
どこで働くかよりも、自分が何をしたくて、会社で何が出来るかが重要です。
森さんは「人生は生涯、就職活動」ということです。
就職活動とは、いわば「自分の居場所を見つけること」。
自分に何が出来て、社会にどう貢献していけるか。
生涯にわたり模索し続けることでもあります。
内定を取るためでなく、ずっと先にある長い人生の為に考えることです。
偏差値、学歴とは与えられた仕事をきちんとこなす能力です。
発想力・人間力は大学名ではありません。
僕は、1990年代に美容師を始めた。
社会は売り上げ至上主義・偏差値教育。
競争でしか反映されない人間関係の社会は何を生んだのか分からない。
毎日、報告される店舗ごとの売り上げ。
スタイリストの売り上げ順位。
40歳以上の人がいないお店、体力、気力のみ、子供の生めない美容師の雇用状態。
生涯、就職活動。
自分探し、社会への貢献。
僕の知り合いの美容師で、福島にチャリティーカットに行っている人がいる。
もう、7,8回自分の週一度の休みを利用している。
全ては善意であり、社会貢献で元気になってもらいたい、自分も元気になれる。
しかし、社会は複雑で、地元の美容室からあまりよく思われていないということも事実。
矛盾をはらみつつ自分さえよければいいという利己主義を排したい。

奥田瑛二・安藤サクラ

ぼくは奥田瑛二という人間が好きだ。
社会や不条理なものに対しての憤りと、自分の中のロマンチシズムを、エンターテインメントを通して観(み)た人に感じてほしいというのはありますね。
人って、もっと汚れているし、きれいなところばかりではない。
例えば、子どもを虐待する母親の裏側には、男好きで邪淫(じゃいん)に満ちた女の部分があったりするし、まともに男を愛せないからこそゆがんだ愛し方をしてしまうのかもしれない。
そういう人の心の表と裏、深層に介在する魂の表と裏を掘り下げていくと、いろんなことが見えてくる。
それが現実だとしたら、一体どうしたら救われるのかも突き詰めて考えます。
実際、撮影の際も、きれいなことだけを救いあげるのではなく、身近な汚れたものもちゃんと受け入れながら撮っていこうとします。
娘に安藤モモコ、サクラさんがいる。

明日は明日の、、、

今年は、いろいろと生きることに関して考えることが多かった。
未来のことを不安に思うことも多いですが、あまり不確定なことに心、休まらないのも、あまりポジティブな行動でない気がします。
未来は遠くにあるものではなく、目の前、今にあるのです。
ということを聞いたことがあります。
江戸時代には「明日は明日の風が吹く」
という風習があったと言います。
江戸っ子の楽天的、また未来を信じる人の信頼・絆を感じます。
今を大切に生きる。
江戸っ子ですね。

フランス文化に思う

1990年東京はバブル経済。
北海道から東京に移り住んだ時には、その価値観、文化にひたすら驚いていた。
きつい、きたない、きけん 3Kなんて言われたものです。
ファッションは肩パットが過剰に入り、丈は極端に短かったり、パンツはタックが入ったり、DCブランドブーム。
虚飾、拡大、贅沢、世の中の価値観は間違った方向へ向かいつつありました。
ナチュラル、自然、地球にやさしい、なんて言葉はどこにもありません。
宮崎駿は後年、風の谷のナウシカなど映画の企画を配給会社に持っていっても、どこにも見向きもされなかったようです。
その当時は、宇宙ものやハリウッド全盛期。
ぼくは、バブルに汚染され、無線の免許を取って(この当時は、携帯、ポケベルなどなく、トレンドは無線を持つことだった)ゲレンデに向かった気がします(笑)。
美容室で働くも、アメリカの合理化理念が浸透します。
いいものを長く、という職人文化、自然と人間の共存や、「絆」的な人間主義が影をひそめます。
毎日が数字に追われます。
何のための数字か!?
新規率、目標達成率、パーマ比率、原価率、店販比率、損益分岐点。
人間の成長という視点での数字と人間を「マス」単位で計り、人間軽視の数字か?
当時はそんなことを考える暇もなく、ひたすらに数字を追っていました。
今のマネーゲームのようなリーマンショック、株などの問題。
アフリカなどの一日の労働賃金が100円に満たない「フェアトレード」。
ぼくの友人は2人自らの命を絶っています。
そんな、価値観の中、人間が本来生きることの意味を模索しました。
江戸時代の暮らし。
ヨーロッパの暮らしに関心を持つようになります。
ぼくの今の美容の目標である、フランス的な個人主義に見るアイディンティティからの表現としてのヘアスタイル、日本の文化とフランスの文化の融合。
これが、ぼくにとってのヘアスタイルのブランドです。
たぶん、日本人にそのままのフランス人感覚は浸透しません。
多くのフランスの現存する美容室が日本に来ましたが、最後まで普及することはありませんでした。
たぶん、日本人感覚が受け入れないのでしょう。
ぼくは以前読んだ本に、40歳からは自分の顔を持つべきだ、というようなことを目にした。
20代は親の顔だったり、学校の顔だったり、好きなタレントの顔だったり、社会の顔で暮らすのは当然です。
人間は一人で生きているわけではありません。
社会と個人との付き合い方というか、バランス。
日本人は社会性に豊かであるが、いざ、個人となるとなかなか難しい場合がある。
規則正しく、自分を律する強さもあります。
場をわきまえる。
その反面、個人の色が見えにくいともいわれます。
フランスはそのま逆。
まず、自分、個人がありその延長に社会性があったりします。
まず、あなたの意見はどうですか?
それは、自分の中から、誰のものでもない、あなたのオリジナルですか?
ということを大切にされます。
ぼくは、そんなヘアスタイルを目指しています。

フランス文化に思う

ぼくの価値観の中で、フランスがぴったりだぁと思ったのはもう15年以上前にある。
1990年東京に出てきた時点で、僕は外国から来た異邦人。
北海道で生まれ育った自分は、言葉は同じと理由だけですべてが違っていた。
朝、起きた時に、布団から足を踏み出すと氷点下です。
寒いという表現より、冷たい。
急いで家族のいるダイニングに向かうと、石油ストーブの独特の匂いと、二重窓から映し出される、氷点下の外の世界。
すでに、除雪車が外の道路に昨晩から降り積もった雪を、道路わきに寄せています。
家から出るには、その雪を毎日取り除く作業から始まります。
学生服に身を包み、汽車「北海道では、札幌以外は電車の事を汽車と言います」に乗り遅れないように、冷たい外気に負けないよう自転車のペダルをこぎ、2両編成の汽車に乗り込む。
冬の時期は、体育の授業が大変。
球技はほぼ出来ません。
寒さのために、「突き指」が続出。
そのため、サッカーや柔道など寒さとの我慢比べだった記憶しかありません(笑)。
なぜ、桜の歌が卒業式に歌われるか、東京に出るまではピンときませんでした。
北海道では、桜を皆で祝う習慣はそこまでありません。
ぼくの住んでいた室蘭では桜は5月に咲いていました。
高校時代に過ごした思い出の風景。
地球岬です。
ここで、室蘭には全国に訴える2つの食文化がある。
東京では北海道のラーメンは「味噌」と言うでしょう。
間違いではありませんが、すべてではありません。
以前札幌で、三越の北海道開拓記念の写真店を見に行ったことがありました。
当時は石炭などを採掘するために、内地「北海道人は関東のことを内地と呼ぶ」から、炭鉱夫を呼び、一つの集落を作りました。
そこで出される、食材に身体が温まる味噌ラーメンが考案されたという話です。
北海道でラーメンを食べると、フライパンでスープをしっかり作ります。
博多ラーメンのような「替え玉」制度も、冷えることを避けてありません。
濃厚なのは労働で疲れ切った炭鉱夫たちに、料理人が心から温まって精をつけてもらいたいという思いからでしょう。
ほかに、旭川「醤油ラーメン」。
函館「塩ラーメン」。
しかし、僕の生まれ育った室蘭には「室蘭カレーラーメン」があります。
これは、こちらで食べる、スープが単にカレーライス用に使われるものというイメージがありますが、ぜんぜん違います。
味というものは言葉で伝えることは難しいです。
それと、ぼくは室蘭に住んでいて思うのは、焼き鳥というものは「豚肉」を使うもの。
と、勘違いしていました。
東京に来て、あれっ!焼き鳥にトリ肉が使われていることにびっくりした記憶があります。
よく考えれば、当然。
こちらでは、焼きトン、と呼ばれていることも後で知りました。
豚肉と玉ねぎを交互に差し、濃厚ニンニクたれ、で頂きます。
絶品!
北海道在住時代は、母親が櫛に豚肉と玉ねぎを刺しているのを、二男のぼくは手伝い、父が自慢の醤油に、砂糖、おろしにんにく、を混ぜて夕食に食べたものです。
ぼくは東京に20年いて、まだこれを越える焼きトンは逢えていません。
焼きトン「一平」は室蘭発祥です。
全道に広がり、ご来道には是非!
話はそれましたが、こんなわけで、東京はぼくにとって外国に近い、四季、文化なのです。

フランスの文化に想う

ぼくは、心の奥深くにフランスに対する憧れがある。
まだ一度も、ヨーロッパに足を踏みいれたことはないが、外から見る写真、絵画、演劇、音楽、表現されているものから、底辺にある文化を考えます。
実際にフランス系の美容室で働かせて頂いた経歴もあり、フランス人のデザイナーの言葉から感じるエッセンスというか、雰囲気は伝わってきました。
ぼくの敬愛する芸術家フランス人に「ジャン・コクトー」がいます。
ジャン・コクトーが友人である詩人のラディゲにリングを送る為に、この世に存在しないリングを作って欲しいとオーダーし、完成したのが、三色のゴールドを使ったデザインです。
三本が絡み合う美しいデザインのピンクは愛、ホワイトは友情、イエローは忠誠を現し、ピンクゴールドのリング部分にはCartierの刻印が入っています。
コクトーのドローイング
彼のドローイングには、彼自身の魅力、、、かわいらしさ、、品位が備わっている。
線には気位、教養、精神が現れます。
決して、誰かに習った線ではありません。
『美女と野獣』
コクトーは美しきジャン・マレーのために構想を練ったと云われるもので、アンリ・アルカンのカメラワークがさらにマレーの美を際立たせています。
コクトーはアンリ・アルカンに「画家フェルメールの光の使い方で撮ってほしい」と注文したといいます。
「デッサンをするのはジャズの即興演奏に似ている、チャーリー・パーカーのサックス演奏のようにね」
デッサンが文字になり、文字がデッサンになる。
彼にとって、生きること自体が表現であり、本物のアーティストでしょう。

自分史

よく、お客様にどうして一人で美容室をされているのですか!?
と聞かれる。
皆さんは、やはり不思議なのでしょう(笑)。
決して、孤独が好き、とか人間嫌い、とかエゴイストではありません。
今日も男性のお客様から聞かれました。
そこで、僕なりに書いておこうと思いました。
まずは、僕の経歴に触れたいと思います。
1990年、東京の中野にある「窪田理美容専門学校」を卒業した僕は、当時からファッションの発信地であった青山店を希望していましたが、世田谷の「豪徳寺店」に勤務。
その当時は、カリスマ美容師以前の時代です。
美容学校でも、ひとクラス40人中男子6名ほど。
まだまだ、女性社会でありました。
当時は中学卒業で美容資格が取れたので、年下の先輩なども大勢です。
1990年の東京はバブル経済。
お店も今のようにひしめき合っていなく、チェーン店も少なく、大型美容室も今のように多くなかったと思います。
ですから、シャンプーボーイの僕は大忙し。
お客様はひっきりなしにきます。
カット前のシャンプー、カラー流し、パーマ流し、自分のシャンプー台の前にはシャンプー待ちのお客様が行列が出来ていました。
それでも、今の美容室体系と違い、途中入社の人は多くなかったと思います。
1年目、2年目、3年目、チーフ、店長とスタッフが揃い、教わるべきものはしっかりと教わり、スタッフが独立しても、次のスタッフが育っていました。
それぞれの美容室には伝統があり、受け継ぐことによってブランドが色濃く出ていました。
その後、スターバックスやドトール、マクドナルドなどのチェーン店などによる合理主義が参入し価格破壊がきます。
次々に伝統的な美容室は、縮小を迫られました。
今のような、H&Mやユニクロ、など良質なしっかりしたブランドコンセプトのある会社が出てきて、多くのハイクラスなブランドが影をひそめる現象に同じです。
また、従来の徒弟制度的、労働体系が見直され独立が重なったこともあり、今のような多くの美容室が存在する時代に入ります。
青山、原宿のような高級感、トレンド感でブランドを打ち出す美容室や1000円などでカットが出来るような、2極化が始まります。
そのような中で、美容師は今現在の属する美容室でキャリアを重ねたり、同じ方向の仲間で出店したり、経営にまわったりなど選択します。
僕の周りには、何店舗も経営してハサミを置いたオーナー、自分も美容を続け経営する人、美容室のスタッフで続ける人、いろいろあります。
今の時代、何もしなければお客様は来店されません。
広告、宣伝、キャンペーン、チラシ、多くの新規開拓の投資をします。
お金だけのことでなく、自分のエゴを貫く事でなく。
その中で、美容師として生きること。
僕の信念があります。
僕にできることではなく、僕にしかできない事。
自分らしくあること。
自分に問いただした結論は、今現在の美容状況をみて、一人で美容師をやってみることでした。
誰かのせいにすることもできないし、何もこちら側がアクションを起こさなければ、何も起きない。
今までは、近道的に、できなかったことは他の誰かが代わりにしてくれていたが、多くの出来なくてはいけない事を学ばせてもらっています。
それが出来なくて、多くのスタッフや家族を守れないと思っています。
とりあえずは一人。
さて、どうなりますか。。。

Marie Laurencin/マリー・ローランサン

鎮 静 剤

マリー・ローランサン
堀口大學 訳
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。パステル色の美しい女性達を描いた画家のマリー・ローランサンは、1883年にパリのお針女の私生児として生を受けました。
19歳の時、磁器の絵付けの講習を受け始め、やがて画塾アカデミーアンベールに通い、そこでピカソと共にキュビスムを創始した芸術家、ジョルジュ・ブラックと出会います。
ブラックのひきあいで、モンマルトルのピカソのアトリエ、バトー・ラヴォワール(洗濯船)に出入りするようになり、そこで詩人アポリネールと出会い、運命的な恋に落ちます。
この時ローランサンは22歳、アポリネールは27歳でした。
洗濯船…高円寺にも同名のBarがある。
けれどローランサンはやがて「洗濯船」のメンバーたちが熱心に描いていた キュビズムの絵に違和感を覚えるようになります。そして一つの事件が起こったのをきっかけに、アポリネールとの6年間の恋が終わります。
1911年8月22日ルーブル美術館から名画「モナ・リザ」が盗まれるという事件が起こり、その捜査が行われていた中で、アポリネールの秘書のピエレが、ルーブル美術館から彫像を盗み出して、アパートに隠していたということが発覚したのです。
アポリネールは共犯を疑われ、1週間拘留され、結局ピエレも含めて、無実だと分ります。
けれどそれがもとで、嫉妬深くなったアポリネールに、ローランサンはついてゆけなくなり、翌年、苦しみながらも彼の元を去ります。
けれど2人は別れた後も文通を続けます。
別れから5年の月日が経ち、ローランサンは結婚し、アポリネールは軍隊に入隊し、大怪我をした後、ローランサンの知らない女性と結婚してしまいます。
ローランサンは深く傷つきます。
しかもその年のうちに、アポリネールはスペイン風邪のため、この世を去ってしまうのです。
出会いから11年、アポリネールは38歳の若さでした。
アポリネールの死から38年後、ローランサンはパリで、心臓発作のため、亡くなります。
埋葬は、ローランサンの遺志通りにされました。
白い衣装に赤いバラを手に、そしてアポリネールからの手紙を胸の上に置いて・・・。
ローランサンが詩を書き始めたのは、1914年に第一次世界大戦が始まり、結婚したばかりの夫でドイツ人画家、オットー・フォン・ヴェッチェンとスペインに亡命した時でした。
スペインに彼女の居場所はなく、描いた絵も少なくなります。
そして、届くアポリネールの結婚と死の知らせ。
「鎮静剤」はそんな時に書き上げられました。
詩の中の哀れな女達。
そして最後のもっとも“哀れな女”は、ローランサン自身だったのでしょう。
けれどその時の彼女は知りえなかったのかもしれませんが、彼女はもっとも哀れな「忘れられた女」ではありませんでした。
アポリネールがスペイン風邪のため亡くなった時、その枕元にはローランサンが描いた名作「アポリネールと友人達」が架けられていたのです。
僕の大好きなヘアメイクアーティストに野村真一がいます。
1971年ニューヨークで「VOGUE」「BAZAAR」などモード系雑誌やエスティーローダー・レブロンなど広告を中心に活動していました。
1999年突然の引退と共に、近年死去されました。
彼の著書「雪で千年、雨で百年」という著書があります。
そのなかで、愛する人に嫌われ、棄てられ、そして忘れられる…忘れられるとは、存在の無視につながります。
人間は誰しもそれぞれの環境において、強弱、濃淡の差はあっても、それなりの存在を持って生きています。
無視された存在の中でしか生きられない人間の思いは想像を絶します。
人は関係性の中でしか生きられないのでしょう。
そこには、人間関係の潤滑油…(笑)が不可欠!

diary

Posted by styleskoenji