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韓国の音楽とアイディンティティ

アイデンティティとは、ひとことで言うと「自分が誰であるか」ということだ。
でも人は社会的な存在だから、「自分が誰であるか」は、つねに社会での位置づけによって、社会との関係によって決まってくる。
裏返すと、自分自身、つまり自己とは絶対的なものではなく、他者との関係のなかに、自己と他者を含む社会との関係のなかに存在する。
アイデンティティという問いは、つねに他者との関係のもとにある。
他者なきところに、アイデンティティという問いも答えもない。
それは、鏡がないと自分自身の姿を見ることができないのと同じだ。
Lee Lang 이랑  イ・ラン

イ・ラン − 世界中の人々が私を憎みはじめた

이랑 イ・ラン – 임진강 イムジン河

日米という巨大な存在

韓国の近代化とその後の歩みは、その歴史的経緯や地政学的な位置から、日本とアメリカという大国の存在を抜きにして語ることはできない。
韓国の大衆音楽はそういう意味で、つねに「他者」の存在と隣りあわせだった。そしてそのような状況のもとで、いまのK-POPであるならその「K」に当たる部分、自らのアイデンティティを作りあげてきた。
1945年8月、朝鮮半島は35年間におよぶ日本の植民地支配から解放されたが、北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍が分割占領することになった。
東西冷戦の最前線となったこの地で、解放された朝鮮民族の統一国家建設への夢は破れ、1948年、南に大韓民国、北には朝鮮民主主義人民共和国が建国される。
こうして建国された韓国にとっての課題は、コンプレックスと憧憬にまみれた植民地支配の後遺症とたたかうことだった。
一方で、米軍政期と朝鮮戦争を経て、東西冷戦の最前線として多くの米軍基地を抱え、
文化的にアメリカの多大な影響下におかれることとなる。
以下、金成玟TK-POP 新感覚のメディア』(岩波新書)に沿って素描すると、韓国の大衆音楽にとって1980年代末までは、日米のサウンドやシステムをどんどん模倣して取り入れる時期だった。
だが1988年のソウル五輪を前後して、経済成長と民主化、国際化へと社会が大きな変化を迎えるなか、韓国の音楽界は、日本とアメリカという他者のサウンドやシステムを模倣する側から、模倣を超えた積極的な混淆と変奏を通じて自己の音楽を創出する側へと向かう。
こうしてJ-POPとアメリカン·ポップの影響は受けつつも、独自の区をにおわせる感覚が生まれはじめた。
このように、日米のポピュラー音楽との関係を再構築することで現在のK-POPが誕生したと言える。
とはいえ、そもそもK-POPという言葉自体、自己を規定するためにつくられたJ-POPの相対概念として、規定するための言葉とし「日本のポピュラー音楽は自らをJ-popと規定したときから、Jの世界の秩序と感覚を原動力とするようになった。
それに対してK-popは、他者によって規定されたそのときから、『K』をめぐるあらゆる境界と秩序を解体しつづけることを原動力にしたといえる」(前掲書)

他者と向きあい格闘

私は、模倣して取り入れる側だったと金が指摘する1980年代までの時期のものであっても、いいものは他者からどんどん 、盛って て盛りまくることによるオリジナリティを生みだしていたように思う。
1970年代に頂点を迎えた韓国サイケデリック·ロックはその最たるものだ(この辺は、申鉉準ほか「韓国ポップのアルケオロジー 1960-1970年代」月曜社、に詳しい)。
大韓ロックとも呼ばれるこれらの音源は、レアグルーヴとして韓国国内はもちろん、日本をはじめ世界中にマニアやファンが多い。
90年代にはアメリカのラップとヒップホップを吸収し、J-POPの影響を相対化してそこから脱却しつつ、独自の洗練によって金が指摘するところのオリジナリティとしょ
ての「K」の感覚を手に入れる。
さらにシステムやビジネスの手法の面でもおもに日米から学び取り入れながら、新たな時代に合わせて積極的に展開することで確立されたK-POPが、2 0 0 0年代に入って日本をはじめ世界中で成功をおさめ、定着するまでの地位を築いていることは周知の事実だろう。
他者依存から抜け出すために他者を貪欲に取り入れ活用し、他者による規定を自己解体しながらすり抜け、洗練を重ねていく。
韓国の大衆音楽 K-POPはつねに他者と向きあいながら、アイデンティティをつくりあげ、それを更新してきた。
アイデンティティの獲得とはすなわち自己相対化であり、そのプロセスは他者との格闘にほかならない。
個々のアーティストにとって音楽が自己表現なのだとしたら、韓国でのそれは自意識に拘泥し自閉した自己表現ではなく、他者を前提とし開かれた自己表現になっているのではないだろうか。
当たり前のことかもしれないが、表現は受け手があってこそのものである。
音楽をビジネスだと考えれば、それはなおさらだろう。
聴いてくれて、買ってくれなければ音楽(ビジネス)は成立しない。
マーケティングといったビジネスの手法の部分ではなく、音楽そのものでオーディエンスを惹きつけようとするならば、他者を前提とした表現がより力を持つのは必然だろう。

自己を見つめ相対化

ボーイズ·グループのBTSが幅広い人種や民族、国籍の若者に熱狂的に受け入れられアメリカでメジャーな人気を獲得し、インディーズの女性アーティスト、イ.ランが日本の繊細で敏感なアンテナを持つ人びとの支持と共感を集めているのも、おそらくこうしたことと無縁ではない。
ここで、BTSとイ·ランを並置することを意外に思人もいるかもしれない。
しかし、内省しつつも世の中に存在する境界を意識しそれを自由に越えて行こうとする彼女の音楽と言葉もまた、他者が前提とされているものとしてのアイデンティティの表出、世界観の提示だ。
以前、私が行なったインタビューで、イ·ランは次のように話している。

私は、伝えるためにどのような方法を取るかということをつねに考え、頭を悩ませている。
わかりやすく伝えて簡単に共感してもらえるような方法もあれば、少し戸惑いやよそよそしさがあるような感じに作って、なぜそうなのかを考えさせるようにする方法もあ
る。
また問いかけるような方法で作るときもあるし気楽な感じだったり、逆にあえて少し攻撃的な方法を取る場合もある。
私が生産した何かを見たり聞いたりした場合に、その前と後で、必ず何らかの変化が
あってほしいと思っている。
他者の存在を前提にするということは、社会を意識するということだ。
この社会の一員として、他者と向きあい、自己を見つめること。
自己相対化をともなうものとしてのアイデンティティ。
だから、他者に開かれていて、風通しがいい。
グローバリゼーションの時代、韓国の音楽が注目を集めているのだとしたら、ここに鍵があるのかもしれない。