ラフィンノーズ、ウィラード、有頂天

home>culture>music>ラフィンノーズ、ウィラード、有頂天

宝島AGES80s

85年の夏、NHKで30分間の特番「インディーズの襲来」がオンエアされた。レコードやソノシートを自費で作り、自分たちで売るという今では当たり前のことをしているバンドの存在が広く世に認められたのは、このドキュメンタリーの功績だろう。
人気を二分していたのは、ソノシート「聖者が街にやってくる」を配布すると告知したら新宿駅東口に1300人も集まってしまったラフィンノーズ。
1STアルバム」「GOOD EVENING WONDERFUL FLEND」が1万枚以上の売り上げを記録したウィラード。
ここに85年暮れにリリースした「心の旅」(チューリップのカバー」がオリコンチャートに入った有頂天が加わり、いつしかインディーズ御三家と呼ばれるようになった。

全く音楽性の違う3バンドの共通点はボーカリストのカリスマ性で、ガーゼシャツやボーダーのニットなどUKパンクファッションに忠実だったラフィンのチャーミー。
白メイクと海賊ルックがゴスの走りでもあったウィラードのJUN。
カラフルなメイクやおどけた表情がポップだった有頂天のKERA。
このKERAが主宰するインディーズ・レーベル”ナゴムレコード”は筋肉少女帯、電気グルーヴの前身である人生、たまなど人気バンドを擁し、宝島のキャプテンレコード、SODOMなどが所属したいたトランスレコード等と共に、インディーズ・シーンの降盛を支えた。
ナゴム所属バンドの女子ファンはナゴムギャルと呼ばれ、赤白黒が三原色のバルーンスカート、ニーハイ、ラバーソールかおでこ靴、髪はツインテールかお団子が基本だった。

85年に最も売れていた音楽雑誌はCBSソニー出版(現エムオン・エンタメ・インメント)のGBだったが、人気投票の1位を独走していたのはアルフィー。
それを杉山清貴&オメガトライブや安全地帯が追うといった状況で、こうしたメインストリームとはあいいれない、自分たちだけの宝物としての音楽、文化がライブハウスにはあった。
宮藤官九郎や気志團の綾小路翔も、学校では共有できないこの宝物たちが自分を形成したことをインタビューで語っている。
当時17歳だった真心ブラザーズの桜井秀俊は「インディーズの襲来」を見て「音楽ってこんなに好き勝手に作っていいんだ!ってテンションが上がった。いわゆるパンクは苦手だったけど、必ずしもパンクスタイルじゃなくてもいいんだ、って教えてくれたのがパンクロック」と懐かしみ、同じく17歳だったGREAT3の片寄明人は既にモッズ少年だったが、キャプテンレコードのオムニバス・アルバム「子供たちのCity」リリース・ライブの裏方を手伝い、ツアー写真集にも載っている。

御三家はともにメジャー・デビューを果たしたが、歌詞の規制などメジャーならではの縛りの多さに牙を抜かれたような感じは否めなかった。
87年4月、ラフィンノーズの野音で観客の死傷事故が起こり、活動自粛へと追い込まれたことがある時代の終焉を象徴していたように思う。
現在もラフィンとウィラードは活動を継続(youtubeに上がっている「ラフィンノーズの生き方」という番組は必見)。

KERAも有頂天のメンバーとのセッションを楽しんでいる。
当時を振り返って「音楽性が全然違うのに御三家ってなんだよ、って笑ってた。でも今ではよかったと思う」というKERA。
何も整備されていない道を走り出した先駆者がいたからこそ、そのあとにたくさんのものが生まれた。
遺産はまだ食いつぶされていない。