はなればなれに Bande à part



はなればなれに Bande à part はなればなれに Bande à part はなればなれに Bande à part

ヌーヴェルバーグと言えば、監督がカメラをもってストリートに出て無許可のゲリラ撮影も何のその、映画の決まり事を無視した、センスや気分一発の、ある意味「私的」な映画の事。
よって、これらの作品は、まんま、当時の若者文化を知る、最高の参考書と言える。
中でもジャン・リュック・ゴダールの撮影した「はなればなれに」はクエンティン・タランティーノが惚れ込んで、なんと自分の会社の社名にしてしまったほど。
ウォン・カーウェイも作品の中で、同じテネシー・ウィリアムズの戯曲の一節をセリフに流用した。
そんなヌーヴェル・バーグの名作ともいえる物語は、金はないけど暇はたっぷりある男二人と女一人の三人が思い付きの強盗をやらかす、というシンプルなもの。
紅一点のアンナ・カリーナ演じるオディールを見ると、シンプルなセーターにタータンチェックの巻きスカート、バレエシューズ、外出時はピーコート風のコートという装いで、今見ても魅力的なBCBG(パリの上流階級のシックなファッション)が楽しめる。
おまけに手鏡持参の両耳を隠すツーブロックのお団子ヘアは、彼女が幼く、自立していない「お嬢さん」であることを意味し、よって、男のマッチョ心を大いにくすぐるのだった。
カフェで三人が唐突に踊り始めるのが、マジソン・ダンス。
一直線になって、ジャズやR&Bに合わせて踊るラインダンスは1960年にボルチモアのテレビ番組で取り上げられて火が付き、瞬く間にパリにも飛び火したもの。
振付の中で、グルーブの良さや粋を競うセンスは、日本の独自のパラパラ事情にも似ているところが面白い。
戦中から戦後にかけて、パリではザズー(ジャス狂)と呼ばれる若者風俗が存在したが、彼らのファッションは蝙蝠傘を持ったりした、イギリスかぶれと言える。
ここに出てくる男二人のアーガイルセーター、スーツ&ハット姿は、まさにその名残りが見て取れる。
60年代も後半になると、長髪、Tシャツ、ジーンズ、民族衣装のドレスダウン、ヒッピーが若者文化に登場するが、この映画はニューシネマの時代を迎える、その前夜の話だ。
印象的なのは、三人が乗り回す車のシムカ。
ミシュランが初めての海外版である北イタリア版をだした1956年、車で出かけるバカンスが庶民のものといった時代背景がある。
ラストシーンで、残された男と女は、車で「北米に行くか、南米に行くか」を話し合うが、それこそが、まさに若者が初めて自分の車をことができた時代だからこその「自由の感覚」に他ならない。
ちなみに、この作品が作られた1964年前後は、世界のポップカルチャー史の最重要時期。
例えば、ビートルズはブレイク前で、ライブハウスで女の子を熱狂させていたし、今に続く若者が自分の稼ぎで、子供のように遊ぶことができるようになった始まりである。
「子供化、無責任、ノーフューチャー」。
けれども先進国は少子高齢化、保守化し臆病になっている今の若者にとってはかえってまぶしすぎるかもしれない。

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